春の隣に

羽翼綾人(うよく・あやひと)

【第一部】川島圭吾のお隣さん

第1話 本当に閉じ込められたんだ

 ガチャン、と旧式のロックが無機質な音を立てて落ちた。

 俺──川島圭吾かわしま けいご──と夏川結菜なつかわ ゆいなは、顔を見合わせる。

「……今の音、なんの音?」

「さあな」

 俺は、先ほどまで開け放たれていた鉄の扉に近づいた。

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

 手応えはあるが、びくともしない。

 何度かガチャガチャと試してみるが、結果は同じだった。

「おい、開かねえぞ」

「はあ? あんた、ちゃんと閉めてなかったの?」

 結菜が俺を脇に押し退けて、ドアノブに手をかけた。

 体重をかけ、渾身の力でドアを引く。

 だが、やはり開く気配はない。

 やがて、彼女が後ろに下がる。

「嘘……」

 ようやく状況を理解したらしい。

 その顔から、さっきまでの威勢が消えていた。

「はあ、マジかー。どうすんだよ、これ」

 俺は壁に寄りかかり、他人事のように、ため息をついてみせた。

「……誰のせいだと思ってんのよ」

 恨めしそうな声で、結菜がこちらを睨む。

「そりゃ、教室でくだらない賭けに負けたお前だろ」

 これでも内心では、マジで焦っていたが、あえてどうでもいい口ぶりで言った。

 慌てた顔をしたところで事態は好転しないからだ。

 ところが結菜の怒りに火をつけた。

「はあ!? あんたが『日頃の行いが悪いからだ』なんて余計なこと言って茶々を入れるからでしょ! いつもいつも一言多いんだよ、バーカ!」

 結菜は俺のすねを軽く蹴飛ばしてきた。これぐらいのじゃれ合いは、日常茶飯事だ。

「事実を言ったまでですー」

「圭吾、あんたねえ……!」

 結菜はわなわなと拳を震わせるが、やがて大きなため息をついて、首を左右に振った。

「……はーあ、マジ最悪。あんたみたいなムッツリすけべと二人きりで密室ん中とか、何の罰ゲームよ、これ」

 憎まれ口を叩きながらも、その横顔は不安を隠しきれていない。いつもの強気が、少しだけ揺らいで見えた。

「そんなこと言って、本当は嬉しがってんじゃねえの?」

「しねよ、しね。しね!」

 結菜は握りしめた拳を俺に向けた。

 子供の頃は、よく拳で語り合っていた。

 しかし、今はそんなことをしている場合じゃないと思ったのか、こちらから目を背けて、出入り口に向き直り、ガンガンとドアを叩き始めた。 

「誰かー!! すみませーん!! えっちな男と一緒で怖いです!!」

 何度もドアを叩き、叫び声を上げた。

「……だから、俺のこと、変質者みたいに言うのやめろって」

「中学の時、映画の女の子の下着シーンすっごいだらしない目で見てたよね? 昨日も松島さんの胸のライン眺めてたし」

「し、しらねーな……」

「すけべの汚名を消したかったら、あんたも大声出しなさいよ!」

 二人で何度も助けを呼ぶ。

 しかし、騒音は外に届かないのか、誰もいないのか、何の反応もない。

「これ……本当に閉じ込められたんだ……」

 結菜はその場に座り込み、膝を抱えながら、「これ……明日の朝まで出られないんでしょ?」と、暗い顔で言った。

 俺は壁のスイッチを押す。

 小さな室内灯がついた。

「灯りはあるんだな」

 その光をぼんやりと眺める。

 二人の会話はそこで途切れた。

 どれぐらい時間が経っただろうか。携帯も学生鞄も教室に置いたままだ。

 九月の蒸し暑い空気と、汗と埃の匂いが肌にまとわりついてくるようだった。

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