36.婚約式と愛の祝福
聖堂の鐘が、見事に晴れわたった空へ高らかに響いた。
陽光はステンドグラスを透かし、金と青の光を床に描く。
外では風がやさしく花びらを舞わせ、まるで天そのものが、この日を待ち望んでいたかのようだった。
聖堂の中は、やわらかな光に満ちていた。
金と白の絨毯が祭壇へと延び、
天井にはヴァレンシエール王国の国章――双頭のグリフォンが輝いている。
その傍らに掲げられた、モンテリュー公国の旗。
翠の大樹と蒼き泉が陽光を受け、静かに揺れていた。
列席者の列には、王家の貴族、聖職者、モンテリュー公国の人々。
クロード翁とカイル、エレナも正装で並び、ばあやは目を真っ赤にしてハンカチを握る。
その隣でアルマン・ド・モンテリューは背を伸ばし、黙って娘の晴れ姿を見つめていた。
長い白布の通路を、アレクサンドルとシャルローヌがゆっくりと歩む。
アレクサンドルの礼装は黒と銀。
シャルローヌのドレスは純白に金糸の刺繍、
森の葉と泉の波を描く光が、柔らかく流れている。
祭壇の前で立ち止まると、進行役の声が響いた。
「ヴァレンシエール王国第一王子、アレクサンドル・ド・ラ・フォント・ヴァレンシエ。
モンテリュー公国第三王女、シャルローヌ・ド・モンテリュー。
両国の絆と未来をここに誓い、この婚約を宣言する!」
鐘が再び鳴る。
グリフォンの翼が光を受け、翠の旗が大きくはためいた。
そして、進行役が続ける。
「――続いて、祝福の儀。モンテリュー公国、
アルマン・ド・モンテリュー大公閣下により執り行われます」
列席者が息を呑み、人々の視線が、一斉にアルマンへと注がれる。
巨躯の男がゆっくりと立ち上がり、翠の外套をひるがえして前へ進み出た。
シャルローヌが驚きに声を上げる。
「お父さまが祝福を!?」
アルマンは祭壇の前で立ち止まり、娘と、娘の隣に立つ王子を見渡した。
そして、重く低い声が静寂を満たす。
「森と泉の加護を、この二人に」
その声は、かつての沈黙を埋めるように、穏やかで確かなものだった。
「根が大地に留まり、泉が絶えず湧くように――
この結びが永遠に続くよう、モンテリューの名において祝福する」
掌から、淡い翠の光があふれる。
それは森の風と水の匂いをはらんだ、優しい光。
シャルローヌの金の指輪が応えるように輝き、アレクサンドルの黒の魔力が包み込む。
金と黒と翠。夜明けの森のような光が溶け合い、聖堂全体を温かく染め上げていった。
高窓から、一筋の影が滑り込んだ。
「ピルルルル……!」
青と橙の羽をきらめかせ、ビジュが天から舞い降りる。
羽ばたきが光を散らし、祝福にきらめきを添えた。
「なんと神々しく美しい光だ」参列者たちがうっとりと見え上げる。
シャルローヌが笑顔で手を伸ばすと、ビジュはその手にとまり、小首をかしげて鳴いた。
「ピルッ」
アルマンが目を細め、ギヨーム王は満足げに頷き、マルゲリータ王妃が微笑む。
「……愛の祝福ですわね」
光が静かに落ち着いたそのとき、アレクサンドルが一歩前に出た。
そして、ゆっくりと片膝をつき、シャルローヌの右手を取る。
その仕草は、かつての婚約式とまったく同じ。
だが――その瞳だけが違っていた。
仮面の奥にあった冷たさは、今やどこにもない。
「この誓いを、神と国と、そして――おまえに捧ぐ」
その言葉とともに、彼はシャルローヌの手の甲に静かに口づけた。
シャルローヌはこのうえなく幸せそうに微笑む。
(アレックス……しあわせです)
その静まり返った厳かな瞬間――。
聖堂の片隅から、小さな嗚咽が漏れ聞こえた。
リオネルだった。
いつも冴えた皮肉で場を締める彼が、今は何も言わず、
ただ、肩を震わせ、顔を伏せていた。
アレクサンドルが、気づいて微笑む。
「……泣くな、リオネル」
「……泣いてません」
震えた声が返る。
「ただ、さっきの光が……目に強すぎただけです」
アレクサンドルは静かに笑った。
「おまえにしては冴えない切り返しだな」
リオネルは、言葉にならないまま、
喉の奥から「くーっ」と情けない声を漏らした。
アレクサンドルがそのまま優しく言う。
「リオネル。……ありがとう」
初めて聞くその一言に、リオネルの決壊はあっけなく訪れた。
「うわーーーん!! アレックス、おめでとううううう!!! 」
聖堂中があたたかな笑いに包まれる。
マルゲリータ王妃はくすくすと扇で口元を隠し、
ギヨーム王は愉快そうに「よい泣きっぷりだ」と笑った。
アルマンが静かに言葉を添える。
「――幸せに、生きろ」
その声に、シャルローヌの瞳がまた潤む。
「はい。お父さま、ありがとう」
鐘の音が鳴り響き、聖堂の扉が開く。
光と風、花びら、そしてビジュの羽音。
まるで世界そのものが、二人の未来を祝福しているかのようだった。
◇
式のあと、続く宴のなか、王城の庭は花と笑いに包まれていた。
音楽隊の弦がやわらかく響き、貴族たちがグラスを手に談笑している。
白い石畳の上には舞い散る花びらと陽光。
その真ん中を、アレクサンドルとシャルローヌが並んで歩いていた。
空は青く、どこまでも澄んでいる。
雲ひとつない広がりを見上げながら、シャルローヌは静かに息をついた。
(……あの嵐の夜が、まるで遠い夢みたい)
冷たい波の中で、ただ手を伸ばしたあの瞬間。
生きる理由も、居場所もわからなかった。
けれど――その手がいま、愛する人を掴んでいる。
「アレックス」
名を呼ぶと、彼が振り向いた。
黒の髪が陽を受けて艶めき、澄んだ青の瞳がまっすぐに彼女を射抜く。
風がベールを揺らし、頬に花びらが触れた。
そのたび、心臓が甘く鳴る。
「……どうした?」
「いえ。ただ……」
息がこぼれる。
「しあわせすぎて、胸がいっぱいで……」
アレクサンドルが微笑む。
「そうか。なら、均衡を保つ必要があるな」
「え?」
「おまえばかり幸福を抱えては不公平だ。俺も同じ量、受け取っておく」
「……何をですか」
花びらが風に舞う中、アレクサンドルが低く囁く。
「おまえがあまりに可愛すぎて、これはもはや職務に支障をきたす」
「職務に!?」
「だから、是正処置として――」
そのまま、迷いなく唇を重ねた。
世界が一瞬、息を呑む。
風も光も止まり、ただふたりの鼓動だけが響いた。
その場の貴族たちがざわめき、娘たちは一斉に息をのむ。
視線はもちろん、黒髪の王子と花のように抱かれた花嫁へ。
「きゃーーっ!」「殿下が口づけした!」「なんて絵になる二人……!」
歓声があがり、場が華やかな笑いに包まれた。
シャルローヌは真っ赤になって叫んだ。
「も、もうっ! こんな、みんなの前で! アレックスなんて知らない!」
恥ずかしさで胸がいっぱいになり、
(剣でも振らなきゃ、やってられない……!)
と本気で思う。
視線の先で、カイルの腰の剣が光った。
「シャル!? ちょっ、待って、まさか――!」
慌てて背を向けて逃げるカイルを、シャルローヌが追いかける。
だがカイルをつかまえるより早く、アレクサンドルがすばやく追いつく。
「待て! ほかの男を追うのは、許さない」
次の瞬間、シャルローヌの体がふわりと宙へ――
アレクサンドルに抱え上げられた。
「きゃっ!?」
だが、驚く間もなく、彼女は軽やかに王子の肩を蹴って跳躍した。
ドレスの裾が陽光を受けてひらめき、白い蝶のように舞い上がる。
その一瞬の光景に、アレクサンドルは思わず息をのんだ。
(……綺麗だ)
華麗に着地したシャルローヌが笑う。
「捕まえられるものなら、どうぞ!」
アレクサンドルの青い瞳が愉しげに光る。
「ふっ……逃げられると思うな」
二人は笑いながら駆け出した。
(――もっと幸せになるに決まってる。なぜわかるかって?)
風を切って駆けながら、シャルローヌは笑顔で叫んだ。
「そんな気がするから!」
遠くで、リオネルとカイルが並んで見送る。
「……あれは止めなくていいんですよね」
「うん……楽しそうだから止めないでおこう」
二人は同時にため息をつき、しかしどこか嬉しそうに微笑んだ。
ギヨーム王が満足そうに両腕を組み、
「よし! 次は結婚式をやるぞ! 」
と豪快に笑う。
その勢いで「三日後!」と言いかけ、周囲が「え!」と固まった瞬間、
マルゲリータ王妃がすっと扇で夫の口を隠した。
「次が結婚式なのはたしかですけれど――三日後はありませんわ」
「な、なぜだ!? だめか!」
「だめです」
王妃のきっぱりした声に、王は肩を落とし、周囲からくすくすと笑いが起こる。
ビジュが高く舞い上がり、青と橙の羽が空に弧を描く。
光の軌跡が交わり、空は無数の祝福に満たされた。
風と光と、愛が溶け合い、世界がやさしくきらめいていた。
――愛は、いつだって、ここにある。
鐘の音が響く。
世界が、ふたりの未来を祝福していた。
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