33.アレックスのシャルローヌ

 夜会の喧騒が遠ざかり、王宮の庭は静けさを取り戻していた。

 星の光が白い花を照らし、噴水の水音がかすかに響く。


 シャルローヌは、ひとりバルコニーの外れに立っていた。

 夜風が頬を撫で、ドレスの裾を揺らす。

 胸の奥で、ひとつの決意がかたちを取る。


(アレックスに……ちゃんと話さなきゃ)


 心の底から信じたいと思える人。

 だからこそ、もう隠したままではいられなかった。


 背後で足音がした。

 振り向くと、月の光を背にしたアレクサンドルが立っていた。


「……こんなところにいたのか」

 柔らかな声。

 「皆が探してたぞ。リオネルなんか、“また光ったのか”って半泣きだった」


「光ってません」

 思わず返したその声に、少し笑いが混じった。


 アレクサンドルも微笑み、彼女の隣に立つ。

「少し、冷えるな」

「大丈夫です。……それより、話したいことがあります」


 その表情を見て、彼は静かに頷いた。


 シャルローヌは夜空を見上げ、ゆっくりと口を開いた。

「アレックス。わたし……この世界で生まれた人間じゃないんです」


 風が止まる。

 花の香りのなかで、その言葉だけがはっきりと響いた。


「別の世界で、わたしは“帯刀瑠璃子”という名前で生きていました。

 剣道をしていて、警察官をしていて……事故で死んで、目を開けたら、この世界の“シャルローヌ”に成り代わっていたんです」


 言葉を口にした瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。


 この人には、自分のすべてを知ってほしい。

 偽らず、同じ場所に立ちたい。

 その想いが、胸の奥からあふれていた。


 アレクサンドルは、驚きも拒絶も見せなかった。

 ただ静かに彼女の言葉を最後まで聞いていた。


 やがて、静かに息を吐く。


「……事故とは、どんな事故だ?」

「え?」

「おまえの言う“前の世界での死”というのは。あと――成り代わったのは、いつだ?」


 問われ、シャルローヌは少し視線を落とした。

「……幼い王子が川で溺れたんです。あなたによく似た。わたしは、その子を助けようとして……流されて。

 気づいたら、嵐の夜の船の上で――“シャルローヌ”として目を覚ましていました」


 アレクサンドルの瞳がわずかに見開かれる。

 そして、ほんの短い沈黙のあとに、低くつぶやいた。


「……なるほどな」


 その声には、驚きよりも確信が宿っていた。


「すべて――つじつまが合う」

 アレクサンドルはゆっくりと彼女に歩み寄りながら言葉を重ねる。

「急に剣が強くなったこと。俺を見て開口一番、“生きていた”と叫んだこと。

 そして……俺が池に近づいたら取り乱したこと。全部、これで説明がつく」


 シャルローヌは不安げに彼を見上げる。

「……信じてくれるの?」


「もしも嘘だとするなら――」

 アレクサンドルの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

「おまえがこんな話を、うまいこと組み立てられるとは思わない。信じるぞ」


「え……そういう信頼?」

 シャルローヌがぽかんとする。


 アレクサンドルはふっと笑い、軽く肩をすくめた。

「そういう信頼だ」


 そして少し表情を和らげて言った。

「前に話した青い鳥を癒した少女の話を覚えているか?」

「ええ。あの王宮の庭での話ですね」

「あの少女は、シャルローヌ姫だ。おまえのことだ」


 シャルローヌは首を振る。

「あれはわたしじゃない。あの少女はもういません」


 アレクサンドルの目が静かに細められる。

「俺は、あのときから一度もシャルローヌ姫に会っていなかった」

「……え?」


「大公は、姫を隠すようにして外に出さなかった。

 俺は力の限りを尽くして、おまえとの婚約をもぎ取った。

 ようやく会えると思ったときに、まさかの嵐で行方不明と。

 ――そして、やっと再会したのがあの王都の大通りだ。

 おまえだと、すぐにわかった」


 青い瞳が、まっすぐにシャルローヌを見つめる。

「その瞬間、俺も叫んだ。“生きていた!”と」


 シャルローヌの胸がきゅっと鳴った。

 王都の風、背の高い黒髪の青年、そしてあの言葉が――いま確かに重なる。


「それから今まで、こうしておまえと過ごした。

 鍛えてきたはずの表情筋が仕事をしないほど、感情が動いた」


 生きていたシャルローヌを思い浮かべては思わず微笑したアレクサンドル。

 隠すように背中を向けたその耳が真っ赤だったこともあった。


 二人で夜の王宮を走ったこと。

 握った手に、心臓が、跳ねたこと。

 背中合わせに戦ったこと。

 

 「俺は……情けなくもお前を苦しめたこともあった」

 祝福が出ないシャルローヌを前に、何も言わず完璧な仮面をかぶっていたあの日。


 シャルローヌは思わず首を振った。

 否定の言葉を口にしようとしたとき、アレクサンドルの手がさえぎるようにそっと彼女の頬に触れる。

 

「“魂”が同じなら、それがすべてだ。

 あの時、小鳥を救った少女も、今こうして国を救った聖女も、

 俺の感情を揺さぶり続けてきたのは――すべて、おまえだ」


 シャルローヌの瞳が大きく揺れる。

 その橙の瞳の奥に、青い瞳が映る。


 「俺のシャルローヌは――おまえだ」


 もう、涙を止められなかった。

 頬を伝う雫を、アレクサンドルが指でそっと拭う。


 「アレックス……」

 かすかに名前を呼ぶだけで精一杯だった。


「こういうときに突然剣を振らなくなったのは、成長だな」

 くっと笑われて、「ええ!? 今!?」と抗議の声をあげようとしたシャルローヌの唇は、

 アレクサンドルの唇にそっとふさがれた。


 風が花の香りを運び、月の光がふたりを包む。

 枝の上でビジュが小さく鳴いた。

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