2.胸のなかの熱いものと黒太子の命令
手当て、寝床、温かいスープ、焼き魚。ありがたい。生き返る!
(あ……生き返ったんだったよね、わたし。文字どおり)
瑠璃子は川で殉職し、嵐の船に乗っていたシャルローヌ姫に生まれ変わったのだと思う。乗っ取ったのかな。たまたますこんと入ったのか、そのあたりはわからない。現実を受け入れるのみ。「わたしはいまシャル」。少しずつ、思考もまとまり始めてきた。
(あの幼い異国の王子は、助かったかな。どうか生きていてほしい)
瑠璃子を見て見開いていた青い瞳が鮮明に蘇る。
(生きていて。そしてあんまり自分を責めないでくれるといいのだけど。わたしはこうして生きているのだし)
ただ、困ったことがある。胸の奥になにか熱いマグマのような「熱」がじりじりと燃えるようで消えないのだ。胸が熱い。もしかして……恋?……というわけではない。
(この熱……胸の奥でぐるぐるする。たぶん“聖女の力”ってやつ)
シャルローヌの記憶にあった。「祝福の儀」で、指輪を媒介に金色の光の粒々を送った、あの感覚。そして嵐の船で大切なばあやを救おうと指輪からあふれて行った光の球。あれのもとのエネルギーがこの熱なんだろう。
(今はその「指輪」がない。きっと嵐の海で失くしたんだね)
指を開く、握る、また開く。指先がじりじりする。出口なしの熱は溜まって、内側からシャルローヌを焼く。
(水攻めの次は内側から火あぶりだなんて勘弁だわ。焼ける前に、なんとかしなくちゃ)
ゴザを敷かれた部屋は、広くはないがこざっぱりとして清潔だ。磨かれた金属の鏡に映る自分は、知らない顔。でも、芯の強情さは見覚えがある。
(金髪に橙色の瞳。地球人っぽくない感じだわ ……瑠璃子の記憶が強いけど、シャルローヌの記憶もしっかりとある)
目を閉じれば、兄たちに怒られながら笑った食卓の瑠璃子や、ばあやの膝で泣いた幼いシャルローヌ姫の記憶が交互にスライドする。
(シャルローヌ姫の体と記憶で、こうして生き延びた理由はまだ不明。だけど)
「うーん。考えるのは苦手だー。わかるときにわかればいい。まずは——生きる。いま、わたしはシャル」
小さく脳筋宣言すると、肩のビジュが「ピルッ」と返事をした。
村長の家へ行って挨拶をする。
「食事や服に寝床、ありがとうございます!」
この右も左もわからない世界で、村長をはじめ村のみんなの親切はほんとうに助かったのだ。
「何を言う。あの魔獣は近ごろ頻繁に現れては村を襲い船を襲い、大けがをする者も増え、このままではいつ死人が出てもおかしくない状況だったのじゃ」
村長がゴザを敷いた床に手をついて、頭をすりつけんばかりにする。
「礼を言う。シャル殿はこの村の恩人じゃ」
周りの村人も口々にお礼を言う。シャルローヌは慌てて「そんなそんな」と手をバタバタ振るが誰も聞いちゃいない。
「誰かを助けられたならそれは嬉しいです」と、やっと言った。
ここに集う人たちの暮らしや命を守れたのかと思うと、あらためて嬉しさを実感して笑顔になる。
シャルローヌとなってから、初めての笑顔だった。
「おかげで漁にも出られるし畑や森で収穫もできる。急がないなら少しゆっくりしていくといい。何か困っとることがあれば何でも言うのじゃぞ」
そんな優しさに甘え、シャルローヌは思い切って相談してみることにした。
「船で旅しているときに、嵐に遭って。ここへ流されてくる間に、指輪を失くしたようなのです」
何もない左手をかざす。
「その指輪がないと、胸の中の、なんていうか熱のようなものを外に出せなくて焼けるように苦しくなって」
我ながら説明が下手すぎる。でも村長や村人たちはすぐにわかってくれたようだ。
「それは“魔力”じゃ。ほっとけば身を削る。出口がいる」
(魔力……やっぱりここ、地球じゃないよね。わかってた!)
「失くした指輪が、魔力の“出口”の役目をしてたのですね」
「そうだ。“魔道具”の指輪じゃ。指輪でも、指輪じゃなくてもええ。同じ働きをする魔道具というものがある。が……この辺りじゃ手に入らん。王都か、途中の大きな町よ」
(王都……たぶんだけど、そこには婚約者の黒太子アレクサンドル王子がいるよね。シャルローヌ姫の泣いて嫌がっていた記憶のせいで、あまり近づきたくない気もする)
黙って考えこむシャルを見て、村長が合図をして何かを持ってきてくれた。
「これは護符だ。魔道具のような役割を少しだが果たす。魔力を散らす程度じゃが、ないよりは良いじゃろて」
綺麗な刺繡をたくさんほどこされた赤い小さな袋には、長い革ひもがついている。 袋のなかに、畳まれた羊皮紙のようなものが入っていた。 羊皮紙を広げるとびっしりと記号のようなもので埋められている。
「身に着けておきなされ。この村では、護符が必要なほどの魔力持ちなどとんと生まれやせんから」
(きっと貴重なものだろうに)
シャルローヌは護符のお守りを両手で握りしめたあと、革ひもで首から下げた。すっと背筋を伸ばし、村長の目をしっかり見つめたあとに、両手をついて深く頭を下げる。
「ご厚情、痛み入ります。心より深謝申し上げます」
(いつかきっとここにお礼に来よう)
シャルローヌは強く心に誓った。
「王都へ行く」
シャルローヌは声に出して決意を自分に言い聞かせる。黒太子には会いたくないと記憶のなかのシャルローヌ姫がぐすんと訴えるのだけど、王都に向かわなくては魔道具も手に入らないらしい。護符が効いているうちに王都へと行って、魔道具を手に入れたい。
村長や村のみんなは残念そうだけど、無理に引き留めはしなかった。
「ただな、女ひとりの旅は危ういぞ。お前さんは目立つ。金髪に、なによりその瞳の色じゃしな」
この国でもあまり橙色の瞳はいないらしい。
「それにシャルさん、お綺麗だもの」
「絶対狙われるって。シャルさんは強いけどさ、面倒が向こうから寄ってきそうだ」
みんなが口々に言う。
(たしかに……鏡の中のわたしは“姫ビジュアル”全開だった)
息をひとつ。すぐに決心して、結わえた長い髪をつかんで、小刀を——ざくり。金の束がさらさら落ちた。
「ええ……!?」「もったいない!」「似合う」「思い切りがいいねえ」
軽い阿鼻叫喚。
「男性に見えないかな?」
「うーん、まあなんとか。シャルさん背も高いし」
「帽子を被ったら?」
誰かが持ってきてくれた幅広の帽子をかぶる。
「今日から私は旅の男、シャル」
「おお……」拍手が起こる。なんとかなりそうだね。
村長が目を細めてうなずく。
「よかろう」
たくさんの食べ物や水やなにやら持たされた。
「じゃあ、行ってきます」
「はいな。行っておいで」
手を振るみんなの笑顔に、胸の熱へ涼しい風が一本通った気がした。シャルローヌ、王都へ向けて出発。
◇
——そのころ王都では。
石の壁の部屋に、湿った風が流れ込む。積まれた書類の角がふわりと揺れた。黒髪の青年は羽根ペンを止め、顔を上げる。高窓の光がコバルトの瞳に差し込んだ。
「……沈んだ、だと?」
膝をつく騎士の喉が、ごくりと鳴る。
「はっ。暴風雨にて船は大破。殿下の——ご婚約者、シャルローヌ姫は海に呑まれ、ご遺体は未だ——」
「“遺体”だと? まだ死んだと決まったわけではあるまい」
室内の空気が一拍で冷えた。黒太子アレクサンドルは表情を動かさない。けれど胸の奥の魔力が無意識に漏れ、彼の体の周りに黒い靄となって漂い始める。騎士は肩を跳ねさせてぐっと歯を食いしばる。
「王子殿下……!」
背後で近衛隊長リオネルがたしなめ、声を押さえて耳打ちする。
「アレックス。落ち着け。威圧になっている」
すっと息を整え、アレクサンドルは視線を騎士から外し告げた。
「報告書面を出し、下がれ」
人払いののち、部屋に残ったのはリオネルだけだ。
アレクサンドルはわずかに息を吐き、机の木箱を開ける。中には大きな橙色の石のついた首飾り。姫に長く仕えた乳母が涙で差し出した形見——報告には、乳母が“聖女の護りの光球”に守られて嵐を生き延びた、とある。
橙の宝石が、ひそやかに光った。指先がかすかに石に触れた瞬間、心臓を内側からぎゅっと掴まれたように胸が痛む。脳裏に浮かぶ、陽を宿す橙の瞳。
——王城の庭で、猫にやられた小鳥を両手で包み、「もう大丈夫」と笑った幼い姫。やわらかな金の髪。怯えをごまかすような小さな強がり。彼女は“聖女”と呼ばれていた。確かに、癒しの光はそこにあった。あの日から、朝焼けを見るたび、夕焼けに立ち止まるたび、同じ橙を空に探す癖がついた。たった一度で永遠になった色だ。もうすぐ彼のもとへとやってくるはずの光だった。
「シャルローヌ……」
リオネルが腕を組み、苦い笑みを浮かべる。
「お前がそんな声を出す日が来るとはな、アレックス。……で、どうする。捜索の範囲を広げるか?」
「海の沿岸を。漁村、港、漂着物。可能性は薄くとも、ゼロではない」
「承知。第一王子近衛隊長リオネル・ド・ヴェルサン、しかと拝命した」
それ以上、アレクサンドルは何も言わない。首飾りを胸に強く握り、目を閉じた。橙の光は、掌の中で弱々しく、でも確かに灯っている。
窓辺へ一歩進み、遠い水平線のきらめきを見据える。
「——生きていろ。それ以外は許さない」
アレクサンドルは、世界そのものに向かって命じた。
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