01.退魔宣教師
とある国の片隅にある静かな街に訪れる二人の影があった。
黒い外套に身を包んだ二人の姿は、街の風景に溶け込むことなく、ひときわ異質に浮かび上がって見える。
一人は子供と見間違えるほど小柄な少女。
もう一人は、隣に立つ彼女の頭ひとつ――いや、ふたつ分は軽く超えるほどの巨躯の男だった。
彼らは特別な用件のため、この街に足を踏み入れていた。
二人は歩調をあわせて街の中心へと向かっていく。
道行く人々は遠巻きに視線を向け、二人が近づくや否や、道を空けて避けていった。
彼らの噂はすでにこの街にも届いていた。
――退魔宣教師。
彼らはそう呼ばれる者たちである。
世界全土へ布教を広げる宗教組織――“聖王会”。
百年ほど前に現れた“聖王”を神と崇める教会である。
創設からわずか一世紀足らずにもかかわらず、その信仰は驚異的な速さで広がり、
いまや世界中に多くの信徒を抱えていた。
その影響力は、諸国の王すらも逆らえぬほどになっていた。
短期間で信仰が広まったのには、ひとつの大きな理由がある。
それは“退魔宣教”と呼ばれる活動によるものだ。
世界には、超常的な魔法を操る“悪魔”が存在する。
悪魔は圧倒的な力を持つがゆえに、ときに人間を支配し、暴力的にふるまってきた。
人間は悪魔に抗う術を持たなかったため、一方的に被害を受けるしかなかった。
だが、聖王会が用いるとされる特別な武具には、悪魔を退ける力があるという。
聖王会は各地へ悪魔退治に赴き、幾度となく討伐に成功してきた。
悪魔の被害に苦しむ人々は、一方的に受ける苦難から解放されるのならば――と、
次々に聖王会へ帰依していった。
その結果、聖王会の信者は着実に増え、教区は大きく広がっていった。
やがてその信仰は個々人の範囲を越え、国家規模にまで及ぶほどに膨れ上がった。
この街を治める領主もまた、聖王会の熱心な信奉者だった。
領内で発生した怪異の調査と鎮圧を求め、彼は聖王会に退魔宣教師の派遣を要請していた。
こうして、二人の退魔宣教師が、この街へとやって来たのである。
二人の退魔宣教師は、街の代表者が暮らす屋敷の前へと案内された。
門前で使者と別れると、そのまま屋敷の奥へと足を踏み入れた。
「聖王会から参りました、退魔宣教師のルカと申します」
小柄な少女が、凛とした声で名乗りを上げた。短く整えたブロンドの髪と鋭い眼差しが印象的だが、面差しにはまだ幼さが残っている。
それでも、その立ち姿には外見の幼さを補って余りある気品が漂っていた。
続いて、大男が低く重い声で口を開いた。
「同じく、ニコラスです」
ニコラスと名乗った男は、燃える炎のような赤髪を短く刈り揃え、聖王会の紋章入りのローブは乱れがちで、どこかだらしない印象を与えた。
しかし、その体格は常人をはるかに超え、全身を覆う筋肉は岩のように鍛え上げられている。
ただそこに立っているだけで、圧倒的な威圧感を放っていた。
「これはご足労をおかけいたしました。聖都からこのような辺地まで……」
町長は深く頭を下げ、労いの言葉を述べた。
「いえ、世界中の人々の幸福と平和を守るのが我らの務めですので」
ルカは静かに応じ、すぐに問いかけた。
「ところで、領主殿より悪魔祓いの依頼を受けて参りました。この地に現れるという悪魔とは、いかなるものなのでしょうか?」
「……ゾンビをご存じですか?」
「ゾンビと言いますと、動く死体のことですか?」
ゾンビ――。
ルカの脳裏に、伝承で語られる忌まわしき存在が浮かぶ。
死しているはずの肉体が動き回り、生きた人間を捕食する――そんな怪物。
「はい。しばらく前から、ゾンビらしきものが街の人々を襲う事件が繰り返し起きております。そのため、聖王会へ宣教師の派遣をお願いしたのです」
「なるほど……つまり、我々の任務はゾンビ退治というわけですね」
「はい。ただ……要請した時とは事情が変わっておりまして」
「事情が変わった?」
「実は、ゾンビはここ最近まったく姿を見せなくなったのです。一時は毎夜のように現れ、人を連れ去る事件が続いていたのですが……」
町長の声には戸惑いが滲んでいた。どうやら彼自身も状況を完全には掴みきれていないようだった。
「ゾンビは夜になると現れるって話だったが、本当に夜だけなのか?」
ニコラスが、ルカと町長の会話に割って入った。
「ええ。ゾンビが街を襲うのは、決まって夜だけです」
町長が答える。
「ゾンビって、そういう習性だったか?……まあいい。それで、今は姿を見せないって話だが、消えた理由はわかっているのか?」
ニコラスは首をひねりながら、町長へ問いかけた。
「我々も、ただ手をこまねいていたわけではありません。聖王会に宣教師を要請する前に、街を守るため傭兵団を雇ったのです」
「傭兵ですか……」
ルカが眉をひそめた。
傭兵――。普通の傭兵が悪魔に対抗できるとは考えにくい。下手をすれば、逆に被害が拡大しかねない。
町長が続ける。
「傭兵団のリーダーは、実力も人柄も信頼できる人物でした。
しかし……」
「その傭兵団は、どうなったんです?」
「しばらくの間、彼らは街を守ってくれていました。
ですが、ある日を境に――全員が忽然と姿を消したのです」
「姿を消した? ゾンビたちにやられた、ということですか?」
ルカが問いかける。
「それが……はっきりしないのです。
その可能性は高いと思いますが、奇妙なことに傭兵が姿を消したのと同時に、ゾンビの姿も見えなくなったのです」
「ゾンビと傭兵団が……共倒れになったということでしょうか?」
ルカが首をかしげた。
傭兵とゾンビがどちらも同時に姿を消すなど、あまりに不自然だ。
「街の民は、それを調べることさえ恐れております。……ただ、ゾンビがいなくなってからは、別の怪物を見たという噂が立つようになりまして」
「別の怪物?」
「ええ。ここ数ヶ月ほどのことです。夜の街道で“馬のような生き物”を見たという者がいまして……。ただ、その馬の胴体には、人間の上半身がついていたというのです」
「ただの馬面の男が馬に乗ってたんだけじゃないの?」
ニコラスが冗談めかして言ったが、町長の表情は変わらなかった。
「いえ、見間違いなどではないと聞いています。馬の胴体に人間の腰から上をそのまま載せたような姿だったと聞きました」
「神話にケンタウロスという生き物がいますよね。それに似た存在、ということでしょうか?」
ルカは記憶にある伝説の生き物を思い返した。
「ええ。我々も最初はそう思いました。……あれはまさに、ケンタウロスそのものだったと聞いております」
「そいつ、人間の頭がついてたんだろ?話くらいできなかったのか?」
ニコラスの問いに、町長はかぶりを振った。
「さあ……そんな怪物と話をしようなどとは誰も思いませんよ。そいつは顔全体を覆う兜をかぶっていたそうです。人間の顔かどうかもわかりません。きっとその下には、おぞましい化け物の顔が隠されていたのでしょう」
町長の声は震えていたが、その語り口には与太話では済まされぬ真実味があった。
「つまり――この地では、ゾンビに加えて“馬の体に人の上半身を持つ怪異”まで目撃されている、ということですね」
ルカが静かに確認すると、町長は重々しくうなずいた。
「はい。間違いありません」
「承知しました。我々が真実を突き止め、この地に平穏を取り戻します。……聖王会の名にかけて」
ルカは凛とした声で誓いの言葉を告げた。
そして、二人は町長の屋敷を後にした。
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