もう姉妹には戻れない

キノハタ

プロローグ

プロローグ 妹とキスをする

 この前、妹にキスされた。


 突然に、脈絡もなく。


 まるでそれが『普通』だとでもいうみたいに。


 でも、お互いもう高校生だ。やっていいことと悪いことの分別は、とっくについてるはずなのに。


 それでも妹は―――くろえは、何の断りもなく私の唇を奪っていった。


 どうして? と聞いたけど、くろえは目を逸らすだけで、答えてくれない。


 今の私たち姉妹は、どこかおかしい。


 歪で、不安定で、傾いてる。


 でも、もしかしたら、そんな歪んだ関係のまま。


 なあなあにして受け容れている私自身が、一番どうかしているのかもしれない。


 12月、窓の外では、凍えるような夜風が吹き始めた頃。


 部屋にやってきたくろえに、また脈絡もなく唇を奪われながら。


 私はそんなことを考えていた。


 薄く目を閉じていると、ふわりと柔らかくて、溶けるように熱い唇が、濡れながら重なっていく。


 この誰より大切な妹の隣に、これからどんな顔で居ればいいんだろう。


 愚鈍な私には、わからない。


 こんなこと、誰かに聞けるはずもない。


 そんな私の耳には、唇が触れあう水音だけが鮮明に聞こえてて。


 窓の向こうで吹く夜風の音は、どこか朧気に遠のいていった。




 

 ※





 私の妹、くろえの特徴は色々ある。


 あえて一言で言えば、何処に出しても恥ずかしくない自慢の妹かな。


 優しくて、気遣いが出来て、みんなから信頼されてて、とっても優秀。


 一年生なのに生徒会の副会長に選ばれて、定期テストはいつも上位、運動も得意。


 ありとあらゆることがポンコツで、まともな友達すらいない私とは、まさに対極の存在だ。


 欠点らしい欠点と言えば、優秀だから独りで全部しちゃうことくらいだろうか。


 好きなものは、卵がふわふわのオムライス。


 髪はさらっと肩ほどまで伸びる、セミロング、真っ黒な瞳が綺麗な美人系。


 そんなのが、私の妹。羊宮 黒江だった。



 「黒江と灰琉はる先輩って、似てないですよね」



 そして、文芸部の部室で、後輩の琥白こはくちゃんにそんなことを言われて、私はあははと苦笑いを浮かべることしか出来ないでいた。


 まあ、似てないのは当然で、私とくろえの血は繋がってない。


 だって、私が7歳くらいの頃、お母さんの再婚に伴って姉妹になったから。


 「ごめんね、くろえみたいに優秀じゃなくて……」


 そうやってちょっと力なく笑ったら、琥白ちゃんは大慌てで、ぶんぶんと首を横に振った。


 「ち、違いますよ。雰囲気があんま似てないなって意味で。ほら、灰琉先輩は、こう柔らかくて、優しい雰囲気だけど、あいつは、どっちかっていうとキリッとしてるっていうか……」


 「あはは……、そうだね、気遣いありがとう、琥白ちゃん」


 後輩のぎりぎりのフォローに、こっそり目元を潤ませながら、私は苦笑いが止められない。黒江と私が姉妹だという話をすると、まあ、大体こういう反応になるから、慣れてはいるけど。


 思う所がないかと言われれば、そんなことも当然ない。


 くろえを見てると、ちょっと嫉妬じゃないけど、やるせない気持ちになる瞬間はどうしてもある。


 『普通』にもなれない私と、誰から見ても『特別』なくろえ。


 近しいからこそ、比べて、惨めになって、少し悲しい気持ちになることもある。


 自分が姉という立場にいるから、尚のこと。


 ただ―――。


 「…………まあ、でも、くろえは誰より頑張ってるから」


 私はそれを知っている。


 いつも遅くまで勉強していること。


 体形を整えるためにトレーニングもしてるし、持ち帰りで生徒会の仕事もたくさんこなしてる。


 それに、人にたくさん注目されるということは、時に心無い言葉を言われるということでもある。


 そんな言葉に傷ついて、落ち込んで、それでもくろえは頑張っている。


 初めて出会って、10年間、私はそんな頑張り屋の妹のことを、誰よりも近くで見てきたんだ。


 だから、例えこの世界の誰が敵になったとしても、私だけはくろえの味方でいたい。


 それが、ポンコツお姉ちゃんの、最後の矜持なのですから。


 でも、だからこそ、最近のくろえの行動はよくわからない。


 「………………」


 そんな思考が顔に出ていたんだろうか、琥白ちゃんは何とも言えない顔で、私のことを心配そうにじっと見ていた。


 そうして、しばらく沈黙が続く。


 あー、またやってしまった、私が喋るとすぐにこうやって、会話途切れちゃうんだよなあ……。なんて反省が頭の中に湧いてくる。


 そんな頃のことだった。


 「はる、待たせてごめん。生徒会の仕事長引いちゃった、帰ろ」


 がらっと部室の扉が開いて、噂をしていたくろえが顔を出す。


 いつかのクリスマスにあげた、黒色のマフラーを首に巻いて、整った出立ちで、何食わぬ顔で私に目を向ける。


 そんな一瞬、ふっと、くろえの口元に目が行きかけて―――慌てて首を横に振って邪念を払った。


 落ち着け、ここは外で、琥白ちゃんの前だぞ。しっかりしないと。


 ふーってどうにか堪えた感情を吐き出していたら、くろえと琥白ちゃんは自然と喋り出していた。


 「えー、先輩、帰っちゃうんですか? 黒江、あんたもうちょっと仕事してきなさいよ」


 「もう十分したっての。ていうか、年明けの準備も先に終わらせてきてんの、文句ないでしょ」


 「私が、先輩と喋る時間が減るじゃん」


 「そう、なら早めにきてよかった」


 いーってむくれる琥白ちゃんに、どことなく尖った視線を向けるくろえ。私は隣で笑いながら、鞄を片づけて帰る準備をする。この二人、相変わらず仲いいなあ。


 「じゃあ、琥白ちゃん、また明日」


 「はーい、さようなら、灰琉先輩。あとついでに黒江も」


 「はいはい、じゃあね、琥白。早く帰ろ、はる」


 どことなく不満そう手を振る琥白ちゃんに見送られて、私は黒江と一緒に歩き出す。


 冬場の夕方は、日も短くて、辺りもすっかり暗くなってる。


 人もすっかりいなくなって、室内でも寒くて震えそうな校舎の中を、くろえと二人でこつこつと歩いてく。


 いつも通りの日常、何度も繰り返した、そんな日々。


 おかしいことはなにもない、私たちは少し仲がいい普通の姉妹、それだけでしかない。


 …………そのはずなんだけど。


 くろえの少しを後ろを歩いていたら、何気なくふっと手を取られた。


 冷たくて、白くて、柔らかいくろえの手が、私の手をぎゅっと握ってる。


 …………姉妹だもの、手を繋ぐくらい、変じゃないよね。


 そう想ってはいるはずなのに。


 心臓が少しだけ、鼓動を早めるのは、何でだろう。


 何度も何度も繋いだはずの、この手の感覚が、いやに鮮明なのはなんでだろうか。


 「ねえ、くろえ」


 口を開いた


 「なに? はる」


 くろえは振り返らずに、答えを返した。


 『どうして、この前、キスしたの?』


 そう問いかけようとしたけれど。


 ここはまだ、学校の中。誰が聞いてるかもわからない。


 「……今日の夕ご飯、何がいい?」


 だから、まだ聞いちゃダメだよね。


 「……オムライスがいいかな」


 くろえは何かを想い出すように、そう言った。


 私は静かに、くろえの言葉に頷いた。


 「だよね、そんな気がした」


 窓の外ではびゅうびゅうと、凍えてしまいそうな風が吹いている。


 だから手が冷たくなってしまわぬように、二人で手を繋いでないといけないんだ。


 そんな言い訳を、何処にもいない誰かに繰り返す。


 「卵薄いのがいい? ふわふわのがいい?」


 「ふわふわの、卵いっぱい使うやつ」


 「わかった、お姉ちゃんに任せなさい」


 そう言うと、くろえは振り向かないまま、くすっと笑った。


 そうして、昇降口から出て、 ふっと見上げた空は、思ったより暗くなっていた。吹きすさぶ風は、あっというまに私たちの体温を奪っていく。


 くろえの手を、ぎゅっともう一度強く握った。


 だって、凍えてしまいそうだから。


 そんな言い訳を、誰もいない虚空に繰り返す。


 くろえは何も言わなかった。でも、不意に私の手がゆっくりとなぞられた。


 それから、お互いの指を絡め合うように、くろえに手がぎゅっと握られた。


 まるで、恋人がそうするみたいに。


 こんな握り方したことないのに―――。


 私は咄嗟に何も言えないまま。ただ胸がぎゅっと締め付けられるような感覚だけに、思考を満たされていく。


 何か、言わないといけないのかな、普通の姉妹なら、何か―――。


 そう思ってはみるけれど。


 「……帰ろっか」


 「……うん」


 結局、何も言えないまま。


 私たちは、そのまま家路についた。


 きっと、少し前まで、私たちは普通の姉妹だったけど。


 でも、もう元には戻れない。


 そんな予感だけを、ただ漠然と感じながら。


 冬風の中、手を繋いで帰った。


 君とただ、二人っきりで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る