素直な子による素直ではない決着

「流石母さまです! どんな事があろうとも全て計画通りって訳ですね!」


「だから言っているでしょう、ひぃ姉ちゃん。母さまには知らぬ事などないのです」 


 ひぃと、ふぅだ。

 妖狐の娘達が彼女よりも小さい体躯となった神を二人がかりでむんずと抑えつけて離さない。

 神は必死にもがいて抵抗しているが、妖狐の娘が二人同時では力負けをするらしく全く抜け出せる気配はない。


「よくやったぞ。ひぃとふぅよ。流石は余の娘達じゃ。やはり頼りになるのはお前達だけじゃの。こいつみたいな凡俗とは大違いじゃ」


 僕の口から僕に対する罵声が飛び出る。ひぃとふぅはそれを聞いて、キョロキョロと辺りを見回した。


「母さま? 何処にいるんですか?」


「何であなたが母さまの口調を真似てふぅ達の事を娘呼ばわりするんですか? 気持ち悪いです」


 久しぶりの罵詈雑言に少し懐かしさすら感じる。

 僕がどう説明しようかと頭を悩ませると、先に妖狐が僕の口を借りて説明した。


「実はお前達にこやつの殺害を命じた少し後に、ちとしくじってしまっての。あろうことか余はこの薄汚い人間の中に閉じ込められてしまったのじゃ。つまりもう余と怜は一心同体というわけなんじゃよ」


 ひぃとふぅは訝しげに僕を眺め回した後、僕をよく観察しようとしたのか少し立ち上がった。しかし、神がすかさずピクリと動くものだから直ぐにドカリと座り込む。


「本当なんじゃろうな、妖田怜。ひぃ達に嘘を付いたら後が怖いぞ?」


「そうなのです。ふぅ達に嘘を付いたら原型を留めぬほどグチャグチャなのです」


 少女二人は僕を脅迫してニヤリと笑う。相変わらず恐ろしい少女達だ。


「そ、そんな事する訳ないだろ。僕はあやかしなんて毛ほども興味ない。本当は命が助かったら直ぐに縁を切るつもりだったんだ。そんな僕が嘘を付いてまでお前達と一緒にいようなどと思うものか!」


 僕は咄嗟にそう弁明した。半分本当で半分嘘である。ひぃとふぅに再会して正直言って嬉しかった。気分が高揚した。

 僕はある意味、嘘を付いてまでひぃとふぅと一緒にいたかった。


「本当かなぁ?」


 とひぃとふぅは顔を見合わせて、次いでケラケラ笑いあった。

 笑った理由さえ考えなければ微笑ましい光景だろうにと心の中で悪態を吐く。


「本当だとも。ひぃ、ふぅ。余の元々の美しい身体は今お前達の後ろに倒れている。それが確たる証拠じゃ」


 妖狐がそう言うと、ひぃとふぅは二人揃って同時に後ろを振り向き、妖狐の死体もとい抜け殻を確認した。


「え? は、母さま……?」


「ど、どういう事ですか?」


 二人は思わぬ母親の死に動揺した。頭を抱えて、口を抑えて、目を泳がせて、敬愛なる母の死亡に酷く心を震わしている。


「落ち着けい二人とも。じゃから最初に言ったじゃろう。余はこやつの中にに閉じ込められてしまったのじゃと。余は死んでおらぬ。怜が生きておる限り、余は何れ元の姿に戻る方法を見つけ出す。じゃからお前達がすべき事は余を憂う事ではなく、こいつ———

 お前達が下に敷いておるそれを殺す事じゃ」


 妖狐は強く、それでいて優しく娘達に指図した。その言葉遣いは僕と最初に出会った時を想起させる。

 娘達にもその言葉遣いが通じたようで、二人は軽く頷くだけでこれ以上一切の質問を口にしなかった。

 それからひぃが神の後頭部を殴るのを皮切りに、二人は殴る蹴る、噛みつくの好き放題をし始めた。


「どうじゃ? 久しぶりの再会は。感動して言葉も出んじゃろう。お前が内心ずっと娘達に会いたがっておったのは知っておったからの。普段なら再度生み出す時は余計な事を喋らんように記憶を消去しておるのじゃが、こやつを斃せば全て終いじゃから最後に特別サービスをしてやったぞ」


 僕は確かに妖狐の言う通り全く言葉が出なかった。しかし、それは感動したからではない。再び会えたという驚きとも違う。


「娘、か……」


 ひぃとふぅは妖狐の娘のように振る舞ってはいるが、その実そう振る舞わされているだけのただの分身にすぎないという現実から来るものだった。

 彼女たちは自我はあるが、自分はないのだ。何処まで行っても彼女達の行動は彼女達の為のものではなく、妖狐の為のものなのだ。

 僕はその事実に失意を覚えずにはいられなかった。

 ひぃとふぅは自分の為に行動出来ない。それ即ち、あやかしとしてすら生まれていない。

 僕がそれを思い悩んでいると、下の方から呻き声が聞こえてきた。


「な、なぜ———。なぜ、お前が私を見下ろしている。私の計画は完璧だった。妖田怜に呪いをかけさせて、それを媒介にお前を封じる私の作戦は一部の狂いもなかったんだ!」


 神はそこまで言うと、再びボコスカと殴られてまた声にもならない呻きを上げた。


「そこが余と主の一番の違いじゃ。作戦は作るものではなく、出来るもの。その場その場で臨機応変に対応せにゃ神様は務まらんて。主が余の魂を封じる少し前、余は主に攻撃したのではない。余が万が一斃されても良いように娘達を作り出したのじゃ。主に気取られぬよう時間差で娘達を生み出すように細工をしての」


 妖狐はそこまで言った後、小声で「しゃがめ」と僕に指図した。僕はそれに従ってしゃがみ、神に顔を近付ける。


「娘一人では主に敵わぬが、二人がかりなら話は別じゃ。既に余は主の時を逆行させて妖力のかさを減らしておる。それならば娘二人いれば充分じゃろうて」


 そう言って言葉が途切れた直後、ブッという音がした。

 音の出所は僕の口だ。神の顔を見ると、唾が付着しているのが目に入った。


「数百年前のお返しじゃ。死ぬ前にありがたく受け取るが良い。では、さらばじゃ」


 妖狐がそう締めくくると同時にひぃとふぅの攻撃は一層激しくなり、いよいよ神を殺しにかかる。

 僕が止めた所で、きっと止まりはしないだろう。

 僕にはこのまま最後を看取る事以外に出来る事はない。


「グ、クソォ……。こ、こんな事が、許されて、いい訳、が」


 神は最後の呻きを上げて、神山町全土に轟くかと思う程大声の断末魔を響かせた。

 その後、辺りは打って変わって葉が風で擦れる音が煩いと思う程静かになる。

 先に沈黙を破ったのは、僕であり妖狐だった。


「ククク、これで余の天下の再臨じゃ。最後は呆気ないものだったの」


 妖狐はそれからひぃとふぅに向けて言った。


「ひぃ、ふぅ。余は暫く怜の中で元の身体に戻る為の方法を考える。じゃから、それまでは主達がこの街の神として余の代わりに君臨するのじゃ」


 ひぃは少し動揺した顔を見せたが、ふぅは直ぐに事態を飲み込んだらしく、僕に向かって敬礼した。


「母さまの頼みなら必ずやり遂げてみせるのです。ふぅとひぃ姉ちゃんは一蓮托生、粉骨砕身頑張るのです。ね、ひぃ姉ちゃん」


 アワアワしていたふぅはひぃのその言葉を受けて直ぐに顔をキリッとさせると、妹と同様に敬礼した。


「勿論です! ひぃも立派にやり遂げてみせます!」


 妖狐は二人の宣誓を聞いてただ一言「流石じゃ」と呟いた。

 どうやらこの街の神は会長から妖狐へ、そして妖狐から妖狐の娘達へと受け継がれたらしい。妖狐は元の身体に戻る方法を探すと言ったし、戻ったら再び神の座に居座るのだろう。

 結局最終的な勝者は妖狐だったと言う事だ。

 僕がそう結論付けたその瞬間、僕の胸からゴボゴボと内なるものが湧き出てきた。その内なるものは僕の胸から喉へ到達し、やがて口腔を押し上げて外に出る。


「こんな事が……。こんな事がまかり通って良いはずがない。真なる神は私なんだ。絶対に妖狐の好きにはさせるものか」


 それは、言葉だった。

 僕の口から妖狐のものでも、当然僕のものでもない第三の声音(こわね)を持った声が流れ出した。

 こ、これは———。

 この声の主は容易に想像出来た。

 神を名乗るものは僕の知る限り一人しかいない。


「な、何でお前がここにおる!? 余はお前を殺したはずじゃ」


 僕が反応する前に妖狐が声を荒らげた。

 当然僕の声で僕に尋ね、僕の声が僕に答える。


「既に妖田くんの魂の一部は私のものになっていてね。私の身体にある私の魂が消滅したから魂の本体が妖田くんの中にあるものに移ったんだよ。それと同時に私の自我も移ったという訳さ」


 神は淡々とそう説明した。

 妖狐は「何じゃそりゃ!」と驚嘆の声を上げたが、僕は黙って考える。

 すると、どういう事なんだ? 

 僕の中には今僕と妖狐と神の三つの自我が入っているという事か?

 おいおいマジかよ。二人の魂でさえも大変なのに三人も魂がいたら今後どうやって生活するんだよ。

 僕が今後の生活を考えてうなだれているのを他所(よそ)にして神は声のトーンを上げて爛々と発言した。


「これが最後の防衛線なのだが、何とかそこには引っ掛かってくれて助かったよ。私が今後神として神社に君臨する事が出来ないというのは非常に口惜しいが、妖狐が神になるよりかは百倍マシだ。妖狐と共にここにいる限り、妖狐を怜の肉体に縛り続ける事が出来る。願わくばこの神社の統治は妖狐の分身以外にやって欲しいものだが……、まぁ分身と言えど妖狐の指示がなければ動けないような木偶が二体だ。このまま放っといてもいいだろう」


 爛々とした僕がそう言い切った後、続けざまに声のトーンを下げた僕が愕然と発言した。


「嘘、じゃろ? 余はもう戻れぬのか?」


 その直後、再び声のトーンを上げた僕が僕に返す。


「そうだよ! お前はもう二度と元には戻れない! 妖田くんが死ぬまで私と一生一緒にここで暮らすんだ!」


 僕のトーンが上がったり下がったり大忙しだ。神の喜悦と妖狐の悲哀が交互に入れ替わるその感情の余波で、僕の感情まで左右されておかしくなってしまいそうだ。

 僕は発狂したい衝動を必死に抑え、一度大きく深呼吸をすると努めて冷静に、僕の中に潜むあやかし達に向かって忠言した。


「いい加減にしてくれ。この身体は僕の身体なんだ。お前達の所有物なんかでは断じてない! お前達が僕の身体を今まで好き放題利用していた事はこの際目を瞑る。だが、もう戦いは終わったんだ。因縁には一区切りついたんだ。これ以上争って、僕を利用しようとするのなら———」


 そう言って僕は参道の方まで歩いていき、眼下に広がる階段を見下ろした。

 そして、くるりと身を翻して階段に背を向ける。


「僕は、ここで落ちて死ぬ」


 僕は初めて、自分の命を材料としてあやかしを脅迫した。

 この三日間で僕は幾度となく、あやかしに命を人質に取られて従わされてきた。そんな僕が最後の最後で自らの命を人質にしてあやかしを従わせるとは何たる皮肉だろう。

 脅迫すると直ぐに、神も妖狐も何も言わなくなった。

 やはりあやかしとて命は惜しいらしく、僕と一心同体になっている今ではどちらも僕を殺す事は選ばなかった。

 意外にもあっさり脅迫が通じた事にホッと胸を撫で下ろす。

 それから、妖狐と神と僕の一悶着を黙って見ていたひぃとふぅに近付いて目配せする。


「なぁ姉さん、ふぅ。お前達はどう生きたいんだ? 妖狐の娘……として生まれて妖狐の言いなりになっている人生で本当に良いのか? 折角妖狐の代わりにお前達が神の座を手に入れたんだ。もっと妖狐の代理じゃなく自分の意志で生きないか?」


 ひぃとふぅにもっとあやかしらしく生きて欲しいと思った僕は、そう彼女達に尋ねた。

 すると彼女達は互いに顔を見合わせて少し考え込んだ後、二人で同時に頷いた。


「ひぃ達は母さまを愛しておる。母さまの言いなりになっているのではなく、自らの意志で母さまの為に尽くしたいのじゃ。それこそがひぃ達の生きる意味、本懐じゃ」


 やはりそうか……。

 結局、妖狐の娘達は妖狐の為になる事しか出来ないのだ。無理矢理説得して妖狐の為になる事以外をしろと言った所で、無意識にでも妖狐の為に行動してしまうような性格なのだ。いや、そういう性格に作られているのだ。

 彼女達は何処まで行っても妖狐の分身でしかないのだ。

 僕がそれを聞いて落胆すると、ふぅが口を開いて「ですが」とひぃの発言に続けた。


「ですが———

 母を超える事は娘の使命だとも思うのです。完璧で愛すべき母を超え、自律して自立する事こそが、ふぅ達娘に課せられた責任なのだとも思うのです。だから———」


 それから、ひぃとふぅは再び顔を見合わせ手を握り合うと、同時に言った。


「余は母さまに負けないくらい立派な神様になるのじゃ」


「余は母さまに負けないくらい立派な神様になるのです」


 彼女達のその決意はとても神々しく感じられ、あやかしを超えて正に「神」を体現したかのようだった。

 自分の利益の為ではなく「母を超える為」に神になるという娘達は、今まで出会ったどのあやかしよりも神様に相応しいと感じられた。

 妖狐の傀儡だと思っていた彼女達は、その実熱い思いを胸に秘めていたのだ。

 安心した僕は力が抜け、ドッとその場に座り込み彼女達の顔をマジマジと見つめた。

 可愛らしい顔が僕の眼全体に映し出される。最初に出会った時と変わらない、憎たらしいけど不思議な魅力を感じさせる綺麗な顔だ。

 このまま放っといても彼女達なら大丈夫だろう。

 誰よりも神に相応しい彼女達ならば、きっと母を超えてこの街の良き産土神となってくれるはずだ。

 僕はフーっと大きく息を吐き、徐ろに立ち上がるとひぃとふぅに背を向けた。


「よし、それじゃあ僕は行くよ。落ち着いた頃にまた遊びに来る」


 そう言って階段を降りようとする僕の背中に、ひぃが乱暴な別れの挨拶を投げかける。


「フン。最後に気持ち悪い顔で余らの顔をジロジロ見おって。母さまがお前の中にいなかったら『二度と来るな』と言ってやる所じゃ」


 思わず振り返ると直ぐ、ひぃの厳しい言葉にふぅが優しい言葉を重ねた。


「また明日にでも来ていいのですよ。ひぃ姉ちゃんは『会えなくて寂しいからまた来い』と言いたいだけなのですから」


 その言葉を受けてひぃが「何だと?」とポカリとふぅの頭を小突く。

 ふぅは「ごめんってば」とはにかみ笑う。

 僕も釣られてフフと笑い、再び振り返って今度は振り返らずに階段を降りていく。

 ふと左を見ると、太陽が正に新狐山を照らしつけようとしている最中(さなか)だった。

 新しい朝が、やって来たのだ。

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