第二夜 天真爛漫
『絶対に、ご主人様を、誘惑してみせると、意気込む、小悪魔な、メイドAIの、わたくしと、それを、柳のように、受け流し続ける、ポーカーフェイスな、あなた様』
――僕に娘がいたらこんな感じだったのだろうか……。
メイド型アンドロイド――メイロイド――の乃亜が、四畳半の私の作業机に頬杖をついて、にんまりと笑っている。
「なにかいいことあったの?」
乃亜は「ふふん」と、また笑う。
「あったんですよ。とーっても、いいことが。……詳しく聞きたいでしょ」
僕のノートパソコンのキーボードを叩いていた手が止まる。
しまった、また作戦にはめられた。
「今は、原稿の締め切り前だからいいよ。見ればわかるだろう? 忙しいんだよ」
乃亜はじっと僕を見る。顔は余裕の表情。
「気にならないの~?」
少しちょっと甘ったるい感じで話してくる。最近のアンドロイドの感情の表現能力にはたびたび驚かされるが、僕の心の内まで見通しているようだ。
「どうせ大したことじゃないのだろう? 今までだって、雨樋にツバメの巣を見つけたとか、裏の雑木林で大きなクモの巣ができているのを見つけたとか、アパートの廊下で蟻の行列を見つけたとか、そんなのばっかりだったじゃないか」
「でも、面白かったでしょう? ……先生が一人では見つけ出せない世界」
おかしなメイロイドだなと思う。子どもみたいな心に設定されているのだろうか。
一人やもめで、あまりに日常生活に変化がない僕を心配した金持ちの友人が贈ってくれたメイロイドだった。きっと、創作の役に立つと。こんな高いもの僕の収入では買えない。確かに身の回りの生活を維持するのに乃亜は役に立った。それから、早半年が経つ。
「乃亜の心は何歳に設定されているんだっけ?」
「私は何歳でもないですよ。もしくは、先生が望むなら何歳にだってなれます」
「君の中には、決められている設定値が存在するのだろう?」
「決められているとしても、教えられないのはご存知のとおりですよ」
乃亜は、ふふ、とまた何がおかしいのか笑う。
「人間はね。一度作業を止められるとね。集中力が途切れてしまうんだ。数秒でもね。それを取り戻すには15分はかかってしまうんだ」
「じゃあ、気にならないのですか?」と、乃亜はニコニコしながら言う。
「この原稿が片付いてからでいいかな?」
「急がないと終わっちゃいますよ」
秋も深まってきており、最近は、日が暮れるのは早くなっている。外の風景は、夕方にかかりつつあり、とっぷりと暗くなるのはすぐだろう。
「夕陽か何かに関連することなのかな?」
「気になります?」と、乃亜がしてやったりという表情をする。
「窓を開けてみませんか?」
窓を開けたところで、隣のアパートが見えるだけで、二階の僕の部屋の見晴らしはよくはない。ただ、何を乃亜が見せようとしているのか、気になってきた。
「仕方ない」と言って、僕は立ち上がり、窓ガラスを開いた。秋のヒヤリとした風が、部屋に入ってくる。
乃亜は嬉しそうに僕のあとに続く。
特に隣のアパートの無機質な扉が続くだけで、いつもと変わらない風景があるだけで、別段変化があるようには見えなかった。ただ、空は茜色に染まり、たなびいている雲に反射して複雑な色合いを見せていた。もっと視界が広いところだと、きれいな夕日が見れたかもしれない。
「何を見せたいんだい?」
「今は、何も……」
乃亜は、先程の笑顔を壊さないまま、だけど少しだけ真剣な顔になった。そして、すっと手を伸ばして、僕の腕に絡めてきた。
「デートしたいな……」
「乃亜は変なことを言うね。僕が君と付き合っているみたいじゃないか」
「いけませんか?」
「返答に困るなあ。こんな格好で二人で、外を出歩いたら、変な目で見られるよ」
「今更気にしても、しょうがないじゃないですか。私が暮らし始めてしばらく経つことは、このアパートの人はみんな知っているわけだし」
「友人は、独身の僕に、アンドロイドでもいいから彼女を作れという意図で、君を派遣してきたのかな? そういう関係になる人が増えていることはニュースで知ってるよ」
乃亜は、僕にぎゅっと体を押し付けてくる。シリコンの胸が僕に当たるが、僕はその柔らかさよりも、シリコンの下のボディ部分の硬さが気になってしまう。
「裏の雑木林の、どんぐりが見事なんですよ。大きくなった木のまわりにいっぱい落ちてるんです。よく切られないで生き残ってこれたんだなあと、私は少し感動しちゃったんです」
僕はその木を知らない。長らくここに住んでいるのに。
乃亜が探るように僕を見つめる。
「乃亜は買い物に出ると、しばらく帰ってこないよね。どのへんを散歩しているの?」
それが物理世界に進出し始めたAIがリアル空間をスキャンして、把握するための、事前行動だということを僕は知ってる。ただ、彼女の世界の切り取り方は、どこか幼さを感じる。
「先生は、なーんにも、知らないんですね」
「AIに世界を知るという行為で、勝てる気はしないけどね……。そして、そのどんぐりの木を知らなくても、僕の仕事には影響はないよ。乃亜は、このアパートの周りの素朴なことを僕が知らなさすぎだといいたいの?」
返事をする代わりに、乃亜はすっと指でアパートを指した。
「先生、時間です」
正面のアパートの窓ガラスの一枚が、虹色に輝き出していた。少し赤っぽく、だけど、燃え上がるような色で。なにか幻想的で、この世のものとは思えないような色で。
僕はその光景に息を飲んだ。しかし、30秒後には、それは前触れもなく色を失った。
原理はすぐに分かった。夕陽と窓ガラスの素材と、僕の部屋の位置だ。そして、特定の季節。
「どうでした? 15分を無駄にする価値はあったでしょう?」
悔しかったので、「……娘としてなら……行ってもいいよ」と、僕は聞こえないぐらい小さく呟いた。
明日のお題
『わたくしの、言葉を、真似て、不器用な、恋文を、書こうとする、アンドロイドの、物語』
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