36曲目 基樹さんの”ガチ恋論”
俺が柚季さんのあまり見ない表情を疑問に思っていると、口を開いた彼女が剛速球を放つ。
「お二人は自分の推しに恋人が出来たり、結婚したらどんな気持ちになりますか?」
柚季さんは激論を巻き起こす、ヲタク界の禁断の話題に切り込んだ。
ダメだって、柚季さんっ!!!
ここまで華麗に回避してきた、愛だの恋だの繊細な話題についてはこんなところで討論会するべきじゃない!
それは触れてはいけぬパンドラの箱――途端に俺は背中に十字架でも張りつけられたように背筋が伸びる。
「ユズキちゃん、いきなり尖った議題だねぇ……」
「わたし、色んな人の考え方を聞くの……好きなんです。自分の意見の落としどころを見つけて嚙み砕けるというか。これはKARENに対してだけじゃなく、自分のアイドル活動に対しても教訓になると思うので、意見を聞いてみたいなぁって」
いつにも増して真剣な表情の柚季さんは、その瞳の奥に魂を燃やしている気がした。
この視線を俺は知っている。
アイドルがアイドル足りうるときにプライドを秘めて作る覚悟の視線。
家でコノミがストレッチしているときと、今の柚季さんのそれは何も変わらなかった――
「うーん。僕はアイドルに恋人がいるのは、あまり否定的な立場じゃないよ。確かに、アイドルを商品として捉えた場合に、恋人の存在は価値が落ちたと表現するのもわかるよ? アイドルは疑似的にファンに恋愛してもらって成り立つ商売。少し前まで主流だったし、今もそうだからね」
興味深く、だが逃げ道を探すような視線で柚季さんは基樹さんの話に聞き入っている。
柚季さんは「うん」と一度だけ頷いた。
そして神妙な面持ちで話を進めている基樹さんを見ていると、本当に二人は今日が初対面なのか疑ってしまうが……。いや、そういえば基樹さんは柚季さんにとってファンの一人だから、握手会とかチェキ会では面識があるか。
「でも、僕は推しに恋人がいたって賛成だし、結婚したって賛成かもなぁ。そんな推しを作った経験がないから、断言はできないけど……」
バツが悪そうに、ぽりぽりと頬をかいた基樹さんは続ける。
「アイドル自身の恋愛は、表現力のスパイスだと思ってるかも。色んな楽曲を歌ったり、歌詞をお客さんに伝えたりしなければいけないわけでしょ? アイドルって」
そう基樹さんが言うと、柚季さんに尋ねるように聞く。
「はい」
柚季さんの返事には重みがある。当事者だから尚更である。そしてこの俺も基樹さんの意見には全面的に賛同できる。
「ある種、恋の歌を歌うアイドルが恋を知らなかったりすると、演技が必要になるもんね。それより、経験として蓄えた方がステージ上での表現の幅は広がるじゃない? それでいいと思うけどなぁ僕は……。例えばコノミ。彼氏が出来たり、熱愛が報道されたりしたとしても、良かったねぇ! って祝福できるタイプ。ヲタクの中では珍しいタイプかも……」
えへへと基樹さんは笑っている様子を見て、俺はこの人となら仲良くできそうだなと感心してしまった。
「この年じゃ……ガチ恋なんて痛いし。僕が応援したいと思うアイドルたちは、二回り以上年下の方ばっかりだから、もはや娘みたいなものなんだよ……。そんな自分の推しが、ある日突然、熱愛発覚や結婚発表したとして、驚きはするだろうけども、悲しくなったりはしないと思う。それが嫌なら僕の見る目がなかったし、そもそも応援してないだろうし。僕が応援したいと思って推し始めた子だから、僕は普通に納得して受け入れると思う。あの子が選んだんだからきっと大丈夫って。……と、こんな感じでどうかな?」
一人のヲタクの誰をも傷つけない意見は聞きごたえがあった。
「ありがとうございます。興味深かったです」
「やめてよ、ユズキちゃん。一昔前の古き良きヲタクみたいなさ……あっはっは」
そういうと基樹さんは朗らかに笑ってくれた。柚季さんもくすりと笑顔を見せる。
そして、アイドル界のタブーに片足のみならず、両足ドップリ浸かる当事者の俺にも、心にグッとくる良い話だった。
「あっ……、恋する乙女は綺麗になるって言うじゃない? ほら僕らの間でも、【○○ちゃん、彼氏できたよね?】みたいな噂になるくらいさぁ。途端に可愛くなったり、綺麗になったりさ。そんな意味で僕は、賛成する。ビジュアルが向上するのであれば、愛とか恋は容認派っ!」
最後にひと笑い誘いに来た基樹さんと、それを少し呆れたような目で見た美幸さんが眩しい。俺と柚季さんもこんな関係性になれるのだろうか。
長年連れ添った絆や信頼関係をつい、見せつけられた気がした――
そしてひと笑いのうちに、柚季さんはちらっとこっちを見て、目で訴える。
うんうん――とりあえず、頷いておく。
こういう時の柚季……雪さんは、言いたいことは言うし、隠し事はしないタイプだ。
そういう人だ。
彼女の好きにやらせてあげよう。
――柚季さんはとうとう、良心の呵責に耐え切れず、今我々が抱えている問題を吐き出してしまったのだった。
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