35曲目 基樹さんは”歌地蔵ヲタ”


「私はですね、コノミちゃんの笑顔をバラまきながら歌う姿が大好きなんです……。目の前のファンにレスを贈ってたりすると、たまに自分のパートの歌い出しを忘れちゃったりするじゃないですか!!?? あの、やっちゃったって顔! 舌出してカメラに抜かれるの見るのが大好きで!!! ライブ映像がBlu-rayになったら、その瞬間を一時停止して、コマ送りにして楽しむんですっっっ!!こう、ひとコマずつ、ひとコマずつ……えへへ。それでよく噛んでご飯食べるときが何よりも幸せでっ!! ……すべてのどんな瞬間を切り取ったってコノミちゃんはいつも可愛くて、憧れなんです!!!」




おいおい、柚季さんよ。


俺はともかく、自身のアイドル活動のファンへ向けて「特殊性癖」を楽しんでいることを公開して、後悔しないのか? 変態アイドルとして名が馳せたりしないだろうか。


そしてこの勢い……大丈夫だよな……??この人……。


自分がアイドルだってこと忘れて、この海鮮丼屋で酒をかっ喰らって酔い散らかしたりしないよな?

メニュー表には日本酒や焼酎なんかが並んではいるが、彼女が注文するような事態になれば、力尽くでも止めようと思う。もう既に小さなオフ会みたいになっているのは一旦……目を瞑っておくけど、本当に大丈夫だろうな?



「そうだよねっ!!! 僕も元気に歌ってる姿が好きなんだよなぁ……なぜだか、背中をバーンってひっぱたいて頑張れって言ってくれてる感じが好きでさ……。やっぱりコノミは歌ってる時が一番可愛いよね……。歌うべくして生まれてきたというかさ、本当にコノミには日々感謝しているけど親御さんやご家族の支えがあってからこそなんだろうなぁと思うと、この年で涙目になっちゃってさぁ……」



「わかります!!!! わかりますっっ!!!」



……。



わっっかるわぁぁぁぁあああ!!!!!



あの笑顔は母ちゃん御手製の料理を美味しそうに頬張るからエネルギーになってるし、家族の献身的な支えがあってこそっ!!!



……じゃなかった。




落ち着け、ミイラ取りがミイラになってどうする……。



鼻息を荒くして息巻く柚季さんは、既に基樹さんと意気投合を通り越して、心のドッジボール大会を始めてしまっている。


さらに悪いのが、そんな生き生きとした基樹さんを前に、美幸さんが楽しそうに話をどんどん広げているものだから、誰もツッコミやゲームを審判する側として機能していないことだ。とんだヲタク夫婦に絡まれてしまったらしい。


そして、こんな談義を繰り広げている我々のすぐ近くで、母ちゃんと恋乃実はしらすパンケ―キに夢中で、自撮り写真を家族LINEに投下しまくっているということ――基樹さんのお言葉を借りるのであれば「なんて世間は狭いのだろうか」だ。


目の前にしているのは、実の兄である俺なのだから尚更、世界は狭い――



「オニイさんもわかるでしょ?」


基樹さんは会話に参加したがらない俺を見て、さぞ気を遣ってくれて話を振ったのだろう。妻帯者ともあれば、本当に心地よい気配り、心配り……。この人が地方アイドルまで追っかける生粋のアイドルヲタクであることを忘れそうになるくらい。ジェントルマンが過ぎる。


 

ここはひとつ、話を合わせておくに越したことはないだろう。


「もちろん……こんなところで語りつくせないほどですよね。最近だと、新曲! Bメロの歌いだしとかそこ、シットリ系だろって思っちゃってます! 振り付けも激しくなくて魅せるような振りなのにそんなに元気に歌ってどうするんだよ……って」


「ん ?……新曲?」


「葡萄館で披露した新曲です」


「うん、それはわかってるんだけどね……。確かBメロの歌いだしって、レナじゃなかったかなぁ……って」


「えっ?」


「僕ね、特に歌とか音楽とか好きだから一回聴いただけでも覚えるんだよ。確かBメロの歌いだしは、コノミから歌い継いだレナのパートだよ?」




しまった――


 

あろうことか、頭がパンクし始めている俺の脳は新曲のBメロの歌いだしをコノミと誤認してしまったようだ。マズった……。


そして、基樹さんが歌地蔵ヲタなんて聞いてない。

――耳の穴かっぽじって歌だけを吸収し、ライブ中に微動だにしないヲタク



どこに認識の齟齬が出た?

この答え合わせですら、テンパって頭が回ってない。



「あれ、そうでしたっけ? 思い違いかな?」


「そうかもしれませんよ? オニイさん。この人の歌声に対する執着は尋常じゃないから」


美幸さんが基樹さんの言葉に、うふふと援護射撃を放つ。

なんと恐ろしいコンビネーション……。


「これは、これは。失礼しました……」

 


そうだ、一昨日の晩……。


まだ柚季さんと付き合う前に、一日デートへ格好の話題提供だと思って、恋乃実がリビングで父さんに対して行った特別ライブを目に焼き付けた。あの時だ……。


どおりでコノミは歌いっぱなしなわけだし、普段歌うパートではないはずの場所も歌声として脳内に保存されているはずだ。危うく、基樹さんに俺が「聴けるはずのない非コノミパートを聴いている」こと、それすなわちコノミの何らかの関係者であることがバレてしまうところだった。


今一度……冷静に、丁寧に、正確に――俺。


立て直そう。



「でも、オニイさんの知識も相当なものでしょ? 着眼点からも好きなことは伝わってくるし、ユズキちゃんと一緒に行動してるって、相当な熱量だと思うし……」


「フォローいただけて光栄ですね」



あははと笑っていただけているので、この場は無かったことにしよう――

そう思いながら柚季さんの顔を横目で見ると、なぜか苦悶に歪む表情がそこに見えた。



どういう感情なんだ? 柚季さん?

生しらすが痛んでた?なんてことはないだろう――

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