32曲目 神の悪戯


「あっ。入店待ちの時だけ、念のためサングラスしておいてくれる?」


江の島の入り口で柚季さんはサングラスを装備したことを諸君は覚えているだろうか?と言っても、ふざけた語り部が、結構前に話したことだ。


忘れている者も多いだろう。


だが実際、柚季さんは目元にサングラスをしているわけでは無いので、諸君の認識も間違ってはいない。可愛いお顔は丸見えだ。安心してくれ。




柚季さんと俺が弁天橋を渡り切る前――

サングラスは既に変装の役目を終えて、その時から彼女の手遊び道具になっている。

だから、ここまでのデートではハッキリと彼女の表情の変化を眺めては、幸せな気分に浸れていたのだが。

 

サングラスには、改めて役目を全うしてもらおう――

今から恐らく、本日の一番の山場にして、ターゲットたちに最接近してしまうポイントだと俺は踏んでいる。




そう。

それは、仲見世通りで入店整理券を入手した時の事。




こんなに熱心なヲタクカップルが早起きして、江の島に直行したというのに、整理券番号は「三番」と「四番」だった。


惜しくもを逃したのである。


そして、恐らくだが、「一番」「二番」をさらっていったのは、俺と柚季さんが警戒している「ヲタクのオジサンとそのツレの女性」の二人組だ。




今から、どうしても開店まで、鉢合わせのリスクが跳ね上がる。

流石にこの美人さんの目元さえ隠しておけば、見つかる可能性も低くなるだろうと余裕ぶっこいているが、内心もうドキドキが止まらない。



「見つかったら見つかった時だからさぁ。心配させちゃってごめんね?」


柚季さんが申し訳なさそうに言ってくる。


「いや。彼氏として、彼女のアイドル活動に理解を示すのは当然のことだから」

「罪悪感とか……ある?」

「アイドルヲタクとしての?」

「そうそう」

「いや。柚季さんとこれから過ごしていける日々と、アイドルと付き合ってる罪悪感を天秤にかけると、柚季さんが俺の彼女で居てくれてる方に振り切ってるから」

「そっか。ちょっとホッとするよ」


柚季さんは露骨に安心した顔をしてくれた。

なんだ、可愛いかよ……。


「アイドルに彼氏が居たところで俺は、彼女の人生に幸あらんことを祈って静観するタイプのヲタクだし……って、前にオフ会で話したことないっけ?」

「公表されたら考えるって昨日言ってたけど、それ以外は酔ってて全く覚えてないや~」

「これから正しい酔い方も覚えていこうね?都度、記憶ぶっ飛ばしてたら危ないからね?柚季さん?」

「控えていきま~す!あはは!!」


そんな柚季さんの手を引きながら、なんやかんやで海鮮丼屋まで帰ってこれた。


 



店内をチラリと偵察してみたが、まだ客の影も形もない。

開店まであと十分。

それを乗り切れば可愛い彼女とのお食事……ウイニングランと言っていい。


 


あと、五分……。



柚季さんは椅子に座って足をプラプラさせている。

同い年の割には子供っぽく映るギャップがたまらん!


とても昨晩、母性たっぷりに豊満な胸で包み込んでくれた彼女に見えない。






あと、二分……。


店員が店の奥から出てきて、整理券番号を確認する。

前の番号二つは空席のまま。




時計を見て、秒読みするのを辞める。




『おはようございます!ただいまより開店いたします!整理券番号、一番でお待ちのお客様~!』



とうとう、開店時間となり店員が呼び込みを始めた。





 『一番の方、いらっしゃいますか~?……飛ばしまーす!二番の方~!――』




結果から言えば、勝手に周りの目を気にし過ぎていた俺たちは


良かった。変なことにならなくて。


俺は店内の階段をのぼりながら安堵して、客席へと案内される。



『お好きな席にどうぞ~』


俺と柚季さんはお座敷席に陣取った。


「柚季さん。注文まではスピード勝負だから、気になったのあったらすぐ注文しよう」

「わかった。メニューみせて!」

「はいよ。せっかくだし生シラス丼がやっぱりオススメだよ。そろそろ食べられなくなるし」

「へぇ~……????」

 柚季さんはあからさまに首をかしげる。

「大体、年始から春になるまでは禁漁になるらしいよ」

「へぇ~!よく知ってるねぇ……。孝晴くんって物知りさんだ?」

「知ってることだけ知ってる。知らないことは全く知らない」

「そりゃそうだっ」


柚季さんは生シラス丼のページで止まる。


「そこまで言うなら、名物を食べてみようかなっ。初めてだし」

「めっちゃ美味しいから、安心していい」

「孝晴くんがしらす捕ってきたみたいに言うじゃん。あははは!」


俺たちは、他の組に負けない速さで店員を机に呼びつけると、生シラス丼を二つ注文して一息つく。

店内を小走りで忙しくしているので店員を独占するのは申し訳なかったが、その対価には見合う金銭を落としていくので、どうか健康に、職務に励んでほしい。感謝感謝。




店内が賑わい始めてきたころ――

客席は徐々に埋まっていき、相席がスタートしてきたその時。



俺の安心しきった精神に、瞬時に落ちてきた黒い影。



そう……。



俺たちは安心しきっていたのだ。






『後ろから失礼します。相席よろしいでしょうか?』

「はい!どうぞ!」


柚季さんが答える。


『……。あ、あれ?……もしかして、ユズキちゃん???』


優しい声色は年配のオジサンから発せられた。


そう。

俺たちが朝から勝手に避けていた二人組――


 

無防備な素顔を晒す柚季さんは口をぽかんと開け、固まってしまっている。



アイドルのユズキを推しているDD誰でも大好きなオジサンと、そのツレのご婦人が、どんな神様のいたずらか、俺たちの相席となってしまったのだった――

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