廃都リビルド ― 崩壊した帝都で始まる都市再生記

ソコニ

第1話「廃墟の魔導師たち」


### プロローグ


白亜の塔が連なっている。


魔法工房から蒸気が立ち上り、石畳の大通りには商人や職人が行き交う。中央広場では子供たちが魔法の噴水で遊び、笑い声が響いている。


都市国家ノヴァ・アーキテクト。人口五千を超える、新たな文明の中心地。


塔の最上階、窓辺に立つ白髪の女性が、眼下の光景を見下ろしていた。


リゼ・アルトハイム。かつて廃墟で這いつくばっていた女は今、皺の刻まれた顔で静かに微笑んでいる。


「リゼ先生、これが本当にあの廃墟だったなんて信じられません」


傍らに立つ若い魔導師見習いの少女が、感嘆の声を上げた。


リゼは答えなかった。彼女の瞳には、今はもう存在しない風景が映っている。


瓦礫の山。腐臭。魔獣の遠吠え。そして、互いを信じられず武器を構える人々。


「あの日、私たちは何も持っていなかった」


リゼは静かに呟いた。


「ただ、諦めない意地だけは」


---


### 1


灰色の空が、崩れた城壁の上に広がっていた。


風が吹く。瓦礫の隙間を抜けて、死の臭いを運んでくる。


帝都崩壊から三年。この地に足を踏み入れる者は、もういない。魔力災害で壊滅した首都は、今や魔獣と死体だけが支配する墓場だった。


だが、一人だけ。


リゼ・アルトハイムは、崩れた石柱の影に身を潜めていた。


三十二歳。かつて王立魔法研究所の主席研究員だった女は今、ぼろ布を纏い、顔には煤と泥が張り付いている。三年間、ただ一人で生き延びてきた。人を避け、魔獣を避け、腐った食料を漁り、汚れた水を濾過し、夜は震えながら眠った。


生存だけが目的だった。


足音が聞こえた。


リゼは息を殺す。複数。少なくとも三人。


手に魔力を集中させる。戦うか、逃げるか。判断は一瞬で決めなければならない。この廃墟で人間に出会うということは、略奪者か、あるいは同じ逃亡者か。どちらにせよ、油断はできない。


足音が近づく。


リゼは石柱の隙間から、そっと様子を窺った。


三人組だった。


先頭を歩くのは、傷だらけの鎧を着た大柄な男。身長は優に二メートルを超え、背中に大剣を背負っている。顔には無数の傷跡。目は冷徹で、何かを警戒するように周囲を見回している。


その後ろに、小柄な女性。背中に機械工具の入った大きな袋を背負い、腰にはベルトに工具がぶら下がっている。鋭い目つきで地面を観察しながら歩いている。


最後尾は老人。白髪の魔導師が杖をついて、疲弊した様子でゆっくりと歩いている。


リゼは即座に判断した。


元軍人。元技師。元宮廷魔導師。


かつて帝国に仕えた者たち。自分と同じ、敗者たち。


そして、彼らの視線が――自分が隠れた石柱の方を向いた。


「そこにいるのは分かっている」


低く、警戒に満ちた声。大柄な男が剣の柄に手をかけている。


リゼは小さく舌打ちした。隠れ続けるか、出ていくか。


だが、もし戦闘になれば、三対一。勝ち目は薄い。


彼女は両手を上げ、ゆっくりと石柱の陰から姿を現した。


「撃たないで。私は丸腰よ」


男は剣を抜かなかったが、警戒を緩めなかった。その隣で、小柄な女性がリゼの顔をじっと見つめている。


数秒の沈黙。


「……女か」


男が呟いた。


女性が口を開く。「あんた……もしかして、リゼ・アルトハイム?」


リゼは表情を変えなかった。「知っているの?」


「噂だけ。王立研究所の天才って」


女性は皮肉げに笑った。


「で、その天才様がこんな廃墟で何してるわけ?」


「あなたたちと同じよ。生き延びるために」


リゼは淡々と答えた。感情を表に出さない。それが、この三年間で身につけた生存術だった。


沈黙が流れる。


風が、崩れた建物の間を抜けていく。


男が口を開いた。


「……ガルド・フェンリス。元王国軍魔導騎士」


「ミラ・ギアハルト。元宮廷技師」


老人が咳き込みながら言った。「ゼノ・クラウス……元宮廷魔導師じゃ」


リゼは頷いた。「リゼ・アルトハイム。元王立研究所主席研究員」


ガルドが低く言った。「とりあえず、殺し合いは後回しにしないか」


「後回し?」


「この先に、まだ使える井戸がある。水を確保してから、話をしよう」


リゼは一瞬考え、頷いた。


「分かったわ。でも、背中を見せたら殺されるかもしれないわね」


「お互い様だ」


---


### 2


井戸は、崩れた屋敷の中庭にあった。


辛うじて使える状態。水は濁っているが、魔力で濾過すれば飲める。


四人は慎重に距離を取りながら、順番に水を汲んだ。


ゼノが激しく咳き込む。


ミラが舌打ちした。「爺さん、肺をやってるな」


「構わんよ……どうせ、長くはない」


ゼノは疲れた目で空を見上げた。


リゼはゼノを一瞥し、腰の袋から薬草の束を取り出して投げた。


ゼノがそれを受け取る。


「……何故?」


「煎じて飲んで。少しはマシになる」


「何故、助ける?」


リゼは冷たく答えた。


「死なれると面倒だから」


ゼノは小さく笑った。「……そうか」


ガルドが水筒に水を詰めながら言った。


「日が暮れる前に、野営地を決めよう」


「一緒に?」とミラが訝しげに尋ねる。


「魔獣が出る。一人より四人の方が生存率は上がる」


ガルドは淡々と言った。


「信頼しろとは言わない。ただ、利用し合おう」


リゼは頷いた。「それでいいわ」


---


### 3


夜。


四人は井戸の近くで野営していた。


焚き火は焚かない。光は魔獣を引き寄せる。だが、完全な闇の中では襲撃に対処できない。リゼが魔力で微弱な光を灯し、周囲をぼんやりと照らしている。


四人は互いに距離を取って座っていた。


ガルドは剣を膝に置き、目を閉じている。だが眠っていない。わずかな物音にも反応する準備ができている。


ミラは工具を磨きながら、時折リゼとガルドを観察している。


ゼノは薬草を煎じて飲み、咳を抑えている。


リゼは魔力探知を展開し、周囲の気配を監視していた。


信頼などない。


誰もが、いつ他の三人が襲いかかってくるか警戒している。


だが、それでも。


一人ではない、という事実だけは確かだった。


突然、遠吠えが響いた。


リゼが跳ね起きる。「魔獣――複数!」


ガルドが即座に剣を抜く。「方角は!?」


「北東から! 少なくとも十匹!」


瓦礫の影から飛び出してきたのは、魔力汚染で狂った狼型魔獣の群れだった。


体長二メートル。黒い毛皮から紫色の魔力が漏れ出し、目は血走っている。


「散開しろ!」


ガルドが叫ぶと同時に、最初の魔獣が襲いかかった。


リゼは即座に魔力障壁を展開する。魔獣の爪が障壁に激突し、火花が散る。


「左から三匹! 私が引きつける!」


「いや、お前は後方支援に回れ! 前は俺が!」


「指図しないで!」


リゼは叫びながらも、障壁を維持したまま後方へ跳んだ。ガルドが前に出て、大剣を振るう。一匹の魔獣が真っ二つになり、黒い血を撒き散らす。


ミラが魔力石を起動させる。閃光が爆発し、魔獣たちが怯む。


「今よ!」


ゼノが支援魔法を詠唱する。ガルドの剣に魔力が纏わりつき、切れ味が増す。


リゼは攻撃魔法を放つ。火球が魔獣の群れに炸裂する。


戦闘の中で、自然と役割分担が生まれていた。


ガルドが前衛で魔獣を引きつける。圧倒的な膂力と剣技で、次々と魔獣を屠る。


リゼが中衛で攻撃魔法と障壁を担当する。ガルドが危険なときは障壁で守り、隙があれば魔法で攻撃する。


ミラが魔導工具で罠を設置する。魔獣が踏むと爆発する魔力地雷を、瓦礫の隙間に仕掛けていく。


ゼノが後方から回復と支援魔法を詠唱する。


五分間の激戦。


最後の一匹をガルドが斬り伏せたとき、四人は息を切らせていた。


---


### 4


ガルドが無言で薪をくべる。さすがに、魔獣の死体がある以上、焚き火を焚かないわけにはいかない。他の魔獣が死臭に引き寄せられる前に、死体を燃やす必要があった。


ミラが怪我の手当てをしている。自分の腕に浅い傷。魔獣の爪が掠めたらしい。


ゼノは疲労困憊で、すでに眠っている。


リゼは焚き火の前に座り、黙って炎を見つめていた。


沈黙。


やがて、リゼが低く呟いた。


「……一人では死んでいた」


ガルドが答える。


「俺もだ」


また沈黙。


ミラが手当てを終えて、肩をすくめた。


「で? これからどうすんの、あんたたち」


リゼは答えた。


「分からない。ただ生き延びるだけ」


「同じだ」


ガルドが短く言った。


ミラは二人を見て、小さく笑った。


「なら、とりあえず一緒にいたら? 死ぬ確率は下がる」


リゼとガルドが顔を見合わせる。


リゼが口を開いた。


「……三日間だけ。それで判断する」


ガルドが頷く。


「それでいい」


ミラが薪を火にくべながら言った。


「三日間ね。まあ、それまで生きてられるといいけど」


---


### 5


翌朝。


四人は廃墟を探索していた。


食料を探すため。使える道具を探すため。そして、より安全な場所を見つけるため。


だが、リゼは気づいていた。


ガルドは常に彼女の背後に立たない。必ず視界の中にいる位置を保っている。


ミラは工具を手放さない。いつでも武器にできるように。


ゼノは杖を握りしめている。支えのためだけではない。魔法の触媒として、いつでも発動できるように。


誰も、誰も信じていない。


昨夜、協力して魔獣を倒した。


だが、それは生存のための一時的な協力にすぎない。


本当の意味での信頼は、まだ存在しない。


リゼは静かに思った。


それでも――この関係は、続くのだろうか。


続ける価値は、あるのだろうか。


答えは、まだ分からない。


ただ一つだけ確かなことは。


一人ではない、という事実だけは。


それだけで、何かが違う。


リゼは前を歩くガルドの背中を見つめた。


この男は、信じられるのだろうか。


ミラは? ゼノは?


分からない。


でも――


「三日間」


リゼは小さく呟いた。


「とりあえず、三日間」


廃墟の中を、四人は歩いていく。


灰色の空の下。


崩れた建物の間を。


何も持たず、誰も信じず。


ただ、生き延びるためだけに。


それでも。


確かに、何かが始まっていた。


---


**第1話 了**

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