第2話「最初の取引」


### 1


三日目の朝。


四人は廃墟の市場跡を探索していた。


かつてここには、帝都一の市場があった。新鮮な野菜、香辛料、魔法道具、宝石。あらゆるものが取引されていた場所。


今は瓦礫だけが残っている。


リゼは崩れた店舗の中を覗き込んだ。床には腐った果物が散乱し、壁際には使えない缶詰が転がっている。ネズミに荒らされた穀物の袋が破れ、中身が床に散らばっている。


「こりゃダメだ」


ミラが舌打ちした。


「まともな食料はない。全部腐ってるか、ネズミの餌になってる」


ガルドが別の店舗から出てきた。「こっちも同じだ」


ゼノが杖をついて歩いてくる。「備蓄倉庫も当たったが、空っぽじゃった」


リゼは静かに周囲を見回した。


食料がない。


三日前に井戸で確保した水はまだある。だが、食料は残り二日分。それを四人で分ければ、一日分にしかならない。


「別の場所を探すしかないわね」


リゼが言いかけたとき――


人影が現れた。


---


### 2


ガルドが即座に剣の柄に手をかける。


「誰だ」


現れたのは二人組だった。


一人は中年の男。四十代半ば、小太りで、どこか商人らしい愛想笑いを浮かべている。服は汚れているが、比較的しっかりとした作りの外套を着ている。


もう一人は若い女性。二十代後半、疲労の色が濃いが、まだ気丈さを保っている。腰に治療道具の入った袋を下げている。


男が両手を上げた。


「やあやあ、こんなところで人に会うとは。驚きました」


愛想笑い。だが、目は笑っていない。リゼとガルドを値踏みするように見ている。


「お困りですか?」


ミラが警戒する。「何の用?」


女性が一歩前に出て、両手を上げた。


「敵意はないわ。私たちも生き延びたいだけ」


声は落ち着いている。だが、体は緊張している。


リゼは二人を観察した。


男の服の汚れ方。女性の治療袋の中身。彼らの立ち位置。


「元商人と、元治療師?」


男が目を見開いた。


「……よく分かりましたね」


「服と道具を見れば分かる」


リゼは淡々と答えた。


「で、何の用?」


男が笑みを深めた。


「取引です」


---


### 3


男が背負っていた袋を下ろす。


中から取り出したのは、乾燥肉と保存食だった。


リゼの目が鋭くなる。


「……食料」


「ええ。まだ食べられるものが少しだけ」


男は袋の口を開けて見せた。確かに、乾燥肉が数切れと、保存用の硬いパンがある。


「交換しませんか?」


「何と?」


リゼが尋ねる。


男は四人を見回した。


「魔力石。あなた方、魔導師でしょう? 魔力石なら廃墟のあちこちに埋まってる。でも、私たちには掘り出す技術がない」


リゼは黙って考えた。


魔力石。魔法を使う際に触媒として使う石。帝都崩壊時、至る所に散らばった。確かに、魔導師なら魔力探知で場所を特定し、掘り出すことができる。


だが。


ミラがリゼの耳に囁いた。


「罠かもしれない」


「……分かってる」


リゼは小声で答えた。


だが、食料は必要だ。このままでは、二日後には飢える。


リゼは男を見た。


「名前は?」


「ロウ。ロウ・マーチャント」


「エレナ・ヴェール」


女性が答えた。


リゼは頷いた。


「いいわ。魔力石十個と、食料三日分」


ロウの目が光った。


「成立です!」


---


### 4


夕方。


六人は廃墟の一角で作業していた。


リゼとゼノが魔力探知で魔力石の場所を特定し、ガルドが瓦礫を掘り返す。ミラが魔導工具で石を取り出す。


ロウとエレナは離れた場所で待っている。


「八個目」


ミラが魔力石を袋に入れた。


「あと二個」


三十分後、十個の魔力石が揃った。


ロウが袋を開ける。


「では、こちらが食料です」


乾燥肉五切れ。硬いパン六個。干し果物が少々。


リゼは受け取り、袋の中を確認した。


「……分かった。取引成立」


ロウが愛想笑いを浮かべた。


「お役に立てて光栄です」


---


### 5


焚き火の前。


六人は食料を分配していた。


だが。


エレナが震えている。


リゼが気づいた。


「どうしたの?」


エレナは顔を上げなかった。


「……あの食料」


「何?」


「半分は……腐りかけてる」


沈黙。


ミラが乾燥肉を手に取り、匂いを嗅いだ。顔をしかめる。


「……本当だ。これ、もう腐ってる」


リゼの目が冷たくなった。


---


### 6


リゼがロウの前に立った。


「説明してもらえる?」


ロウは笑みを崩さなかった。


「何のことです?」


ミラが腐った肉を投げつけた。


「これのことだよ、クソ野郎」


肉がロウの足元に落ちる。


ロウの顔から笑みが消えた。


「……生き延びるためだ」


彼は低く言った。


「仕方ないだろう」


ガルドが剣を抜いた。


「殺すか?」


リゼがガルドの腕を押さえた。


「待って」


全員がリゼを見た。


リゼはロウを見つめた。


「ロウ。あなたを追放することもできる。殺すこともできる」


ロウは黙っている。


「でも、それはしない」


「……何?」


ロウが顔を上げた。


リゼは冷静に言った。


「代わりに、ルールを作る」


---


### 7


「取引には必ず第三者の立会人を置く」


リゼは指を折りながら続けた。


「詐欺が発覚したら、次回取引は拒否。三回詐欺をしたら追放」


ミラが声を荒げた。


「甘すぎる! こいつは俺たちを騙したんだぞ!」


「分かってる」


リゼは静かに答えた。


「でも、これが社会の始まりよ。暴力ではなく、ルールで」


「社会だと?」


ミラは信じられないという顔をした。


「こんな廃墟で?」


「そう。こんな廃墟でも」


リゼはミラを見た。


「暴力で解決すれば、次も暴力になる。でも、ルールを作れば――」


「次はルールが機能する、か」


ガルドが剣を収めた。


「……お前の好きにしろ」


彼は低く言った。


「俺は従う」


ミラは舌打ちしたが、何も言わなかった。


---


### 8


ロウは複雑な顔をしていた。


「……何で殺さない?」


リゼは答えた。


「あなたを殺しても、私たちは何も得ない」


「じゃあ、追放すればいい」


「追放しても同じ。でも、あなたが商人としての知識を活かせば、全員が得をする」


ロウは黙り込んだ。


エレナがロウの肩に手を置いた。


「……私たちも、変われるかもしれない」


ロウは彼女を見た。


そして、小さく息をついた。


「……分かった」


彼は立ち上がった。


「ルールに従う。でも、次も騙すかもしれないぞ?」


「それならそれでいい。その時は追放する」


リゼは淡々と言った。


「でも、少なくとも今は、チャンスをあげる」


---


### 9


夜。


六人は焚き火を囲んでいた。


だが、誰も本当の意味では打ち解けていない。


ロウとエレナは少し離れた場所に座り、他の四人はその様子を監視している。


ミラがリゼに小声で言った。


「本当にこれでいいの?」


「分からない」


リゼは正直に答えた。


「でも、試す価値はある」


ガルドが遠くを見つめた。


「秩序……か」


彼は低く呟いた。


「久しぶりに聞いた言葉だ」


リゼはガルドを見た。


「あなたは秩序が好き?」


「好きじゃない。でも、必要だ」


ガルドは焚き火を見つめた。


「秩序がなければ、人間は獣になる」


リゼは何も言わなかった。


ただ、彼の言葉の重さを感じていた。


---


### 10


翌朝。


ロウが魔力石をもう一度掘り出していた。


「これで十二個だ」


彼は袋を差し出した。


「昨日の分の補填だ。腐ってない食料と交換してくれ」


リゼは袋を受け取った。


「……分かった」


ロウは愛想笑いを浮かべた。


だが、その笑みは昨日とは少し違っていた。


「ルールってやつも、悪くないかもしれないな」


リゼはその姿を見て、小さく微笑んだ。


エレナがリゼに近づいた。


「ありがとう」


「何が?」


「私たちを殺さなかったこと」


リゼは首を振った。


「礼を言われることじゃない。私は私の利益のために動いただけ」


「それでも」


エレナは静かに言った。


「あなたは、何かを作ろうとしている」


リゼは答えなかった。


ただ、廃墟の向こうを見つめた。


「もしかしたら、私たちは何かを作り始めているのかもしれない」


小さく呟いた。


誰に聞かせるでもなく。


ただ、自分自身に言い聞かせるように。


---


### 11


六人は廃墟を歩いていた。


まだ信頼はない。


ロウは時折、他の五人を横目で見ている。次のチャンスがあれば、また騙すかもしれない。


エレナは罪悪感を抱えながらも、生き延びるためなら何でもするだろう。


ガルドは秩序を求めながらも、暴力でしか解決できないと思っている。


ミラは誰も信じていない。


ゼノは諦めている。


リゼは――分からない。


ただ、何かを試そうとしている。


それだけ。


灰色の空の下。


六人は歩き続ける。


何を作ろうとしているのか、まだ誰にも分からない。


ただ、確かに。


何かが始まっていた。


---


第2話 了

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