第一部 第四章

第12話 消失

「人が消えた?」


にわかには信じられない言葉を聞き、リヒトは思わず繰り返した。


「ああ、赤の適合者の一人が消えた。不適合者も色なしもだ。姿も痕跡もなく、まるで風に溶けたかのように──もう何人消えたか分からん」


赤(ロッソ)の適合者、レオンが周囲を注意深く見渡し、低く告げる。

白の不適合者の収容はあらかた終わり、やっと色なしの保護に乗り出そうとした矢先の出来事だった。


誰かが先手を打っている。

リヒトたちの行動を先読みしている。

そうとしか思えなかった。


***


リヒトは黄(ソレイユ)の施設に向かった。

この件は、瞬にも伝えた方がいいと考えたのだ。


施設はほぼ軍隊だった。リヒトが足を踏み入れると、整列した部下たちから敬礼され、瞬が顔を出す。


「どうした?」

「ちょっと相談があって」


リヒトはあえてへらりと笑った。

あれから彼は、より孤高の存在になったように見える。

リヒトは胸が痛んだ。せめて、一人でも同じ位置から意見できる者がいれば。

しかし、柚葉も自分も、もう瞬の側には立てない。お互いの守るものがそれを許さない。


「人が消えるって話、知ってるか?」

「ああ、黄(ソレイユ)で調査済みだ。残留データはゼロだった。質量も温度も、粒子痕さえ検出されない。“存在がなかった”としか言いようがない。」

「そんなことって…」


「考えられるのは、黒(ノクス)か……」

「アズの話では、黒(ノクス)は不参加のはずだったんだけどな……」


でも、胸の奥がざわりと震える。

消失の恐怖と、黒(ノクス)の存在感が、静かに絡み合っている。


「あいつ、すぐテキトーいうんだから」と瞬が軽口を叩く。


「随分、気安いな。相手は地球外生命体だぞ。あまり気を許すな」

瞬の言葉は兄のような響きがあり、リヒトは苦笑いする。


「うん、わかった、兄ちゃん」


ふ、と瞬の目が優しくなる。良かった。瞬もまだ、こんな風に笑えるのだ。


「色なしの適合を急ごう。白の不適合者の把握は済んだか?」

「うん、おかげさまで」


宣言通り、リミは二十人の不適合者を受け入れてくれた。

残り五人は何とかリヒトの庇護下に入っている。


「赤(ロッソ)は強いやつ以外は受け付けてくれないから、助かるよ」

「お前、まだ赤の適合を受けるつもりなのか」

「もち。まだ説得中だけどね。あいつ、強さしか認めてくれなくてさ。腕試しみたいなもんだ」


瞬は言いかけてやめる。「黄なら」と。

リヒトは黄(ソレイユ)の力を必要としていない気がしていた。

直接、要らないと言われるのが怖かった。


リヒトは、誰もいなくなった場所をゆっくりと歩いた。

胸の奥が、かすかにざわつく。

その微かな波立ちが、黒の正体を、知らぬ間に彼の中でひとつの像へと結びつけていく。


——まだ決まったわけじゃない。そんなはず、ない。


そう思おうとするたびに、黒の気配はより濃く、彼の足元に影を落とした。



* * *


ナギニは暗い宇宙空間で一人、蹲っていた。

彼はもう食事も睡眠も、空気すら必要としなかった。


「もう完全に人間じゃなくなっちゃったじゃん…」


以前のような明るさは消え、ただ無為に時間を消費する。


どうしたらいい。

リヒトに話したかった。

けれど、彼の側にはいつも人がいる。

一人になる場所を見つけるのは至難の業だ。


それに――最近、時々記憶が途切れる。


夢など見ないのに、人の悲鳴や恐怖に染まった顔が頭を掠める。

一度だけ、カイハを見たこともある。

ただ恐怖に歪むカイハの瞳だけ。


ナギニは膝を抱え、暗闇の中で小さく呟く。

「俺、一体どうしちゃったんだよ…」


宇宙に残るのは、消えた者たちの痕跡と、これから起こる戦いの予感だけだった。

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