死にたがりの青年と芍薬の約束

青によし

第1話 死体を探す少女


 まだ夜と朝の境目、薄明の東の空が紫に彩られていく。

 その幻想的な景色の下で、紀生は地面ばかりを見つめていた。


 探しているものがあるのだ。


 そう、彼女の一日は変死体を探すことから始まる。



「あぁ寒い」


 三月になったとはいえ、まだまだ朝晩の冷え込みは厳しい。思わず白い息と共に愚痴めいた言葉がこぼれ落ちた。


 藤里紀生(とうり・きお)は長い黒髪を頭頂部で結び布で包んでおり、前髪と結ぶ長さの足りなかった横髪が、顔の輪郭を縁取っている。意志の強さを感じる大きな目、真っ直ぐに伸びた品の良い鼻梁、薄桃色の唇は紅をさせば魅惑的な唇になる。


 そのままでも美しい少女、化粧をすれば誰もが振り返るような美女だ。しかし、服装がそれを邪魔していた。十七歳ゆえに女性らしい体つきなのだが、それを悟られぬように胸をさらしでつぶし、ゆったりとしたパオを着て腰のくびれを隠していた。


 パオの襟は立っているため、のど元も隠れる。もともと異国の男性が着ている服なのもあり、紀生を少年のように見せてくれた。そう、紀生は男のなりをして街に出ているのだ。



 永く閉じていた国が開き、文明開化が叫ばれ街は様変わりした。紀生が生まれたときにはすでに外国と貿易を始めていたが、それでも幼い頃と比べて洋風の建物が増えた。


 特にこの地が横浜、外国船を受け入れる港街だからこそ、より西欧化が顕著といえる。外国人居留地にはレンガの頑丈な壁、大きなガラスのはめ込まれた窓、歩きやすく舗装された大通り、それを照らすガス灯、土の気配のない街並みが広がっている。



 紀生は大通りを突っ切り、ガス灯の明かりを避けるように裏路地へと入った。外国人居留地の横には貧困層の街が出来ているのだ。整備のされた居留地とは違い、雑多な景色が広がっていた。


 道路の舗装は途切れ、建物も奥へ行くほど台風が来たら飛ばされそうな掘っ立て小屋が多くなる。出稼ぎで田舎を出てきた人が住み着いたり、あやしげな外国人が店をやっていたりするので、柄の悪い輩も多い。今はまだ早朝だけに静まりかえっているけれど。


「変死体はいつも裏路地で見つかるからな」


『あれ』は光に弱いらしいので、夜でもガス灯で明るい大通りでは変死体が見つからないのだろう。


 そんなことを考えながら猥雑な小道を進む。すると、微かに血の匂いが漂ってきた。一気に緊張感が増し、手に汗が滲む。

 危険はないかと耳をすますが物音はしない。だとすれば、いるのは負傷している人もしくは動物だけだろう。


 念のため警戒を解くこと無く、慎重に匂いの発生源を探る。できる限り気配を消し、足音を立てないように一歩ずつ進んだ。だんだんと血の匂いが濃くなる。それに比例するように、緊張感も増していく。


 ここを曲がるともう行き止まりだ。けれど、匂いはそちらから漂っていた。紀生は背中を建物の壁に付け、慎重にのぞき込む。すると、朝日がちょうど差し込み始めた。


 そこには透明な光に照らされた青年が、血だまりの横に座り込んでいた。


 足を投げ出し、手も力なく地面に落ち、背中は壁にもたれ頭は下を向いている。まるで置き去られた人形だ。


「……天に召されていくよう」


 女学校で見せてもらった西欧の絵画を思い出した。亡くなった人を、天からの使いが迎えに来るというものだった。光に照らされた裸の赤ん坊達が、真っ白の羽で舞い降りる不思議な絵。


 解説をしていた英国教師は、神の慈しみが感じられる優しい絵だと流ちょうな日本語で語っていた。確かに、彩色も鮮やかで、緻密で、美しかった。


 でも、紀生はその絵が怖いと思った。天の使いがいくら無垢で可愛らしい姿でも、やっていることは死神と同じだからだ。まさに魂を召し上げられている姿を描いた絵だ、怖くて当然だろう。



 紀生が身じろぎをすると、地面の砂利が音を立てる。ここでは紀生の生きる音しかなかった。目の前の青年は微動だにしない。


 血の海のほとりに投げ出された彼の手足は、赤黒く色づいていた。服もところどころ変色している。

 紀生はゆっくりと近寄り、青年の顔の前に手をかざす。呼吸は感じられなかった。恐る恐る首筋に指を二本置くも、脈は測れなかった。震える指で感じた彼の肌は氷のように冷たく、岩のように硬い。


「死んで、る」


 紀生は自分の呼吸が浅くなっていることに気付いた。目の前に死んだ人がいるということに、どうしようもなく動揺していた。

 変死体を求めていたとはいえ、実際に死体を間近で見るなどそうそう無い。悲鳴をあげないだけでも上出来だろう。


「でも、これだけ血を流して死んでるということは、器には出来ない……か」


 紀生が探しているのは、ただの死体ではない。変死体なのだ。

 死因が病気でも毒でも外傷でもない、医者からすると原因不明の突然死と診断するしかない死体を探している。そして、この横浜では最近、その変死体が頻繁に発見されていた。


「目の前で人が死んでるっていうのに、がっかりするなんて」


 まずは冥福を祈るべきところを、使えないと気を落とすなんて、人として最低だと自覚している。でも、最低でもその道を行くと決めたのは自分なのだ。


 せめて顔を拭いてあげようと、手ぬぐいを懐から取り出して死体に近づく。すると、あることに気付いた。


「致命傷はどこ?」


 致命傷となった部分は服に広く血が染みているはずだが、彼の服には点々と飛んでいるだけだ。傷は背中だろうかと、少し動かして見てみるが、綺麗なもので血痕さえなかった。


 どういうことだろうか。この血はこの死体のものじゃない。もしや、と紀生に希望が見えてくる。


 紀生は左手首に付けた赤い腕輪を、そっと右手で押さえた。僅かに、気をつけなれば分からないほどだが、ほんのりと温かい。

 この腕輪は呪いに反応する代物、ということは――――


「変死体だ……ついに、見つけたんだ!」


 原因の分からない変死体、それは呪いを受けて死んだ体だ。


 横浜は西欧だけでなく、中華圏からの文化も濃く入り込んでいる。その中には、奇跡かつ禁忌の死者を蘇らせる中華由来の反魂の術も密かに伝わっていた。紀生はこの反魂の秘術を行うための器を探していたのだ。そして、今、目の前にある。 


「これで紀一郎(きいちろう)が蘇る」


 歓喜で体が震えてくる。叫び出しそうになる口を両手で押さえ、それでもこらえきれない興奮を座り込んで押さえ込んだ。


 他人の死を喜ぶだなんてきっと地獄に落ちるだろうと思う。けれど、それでいい。弟が蘇るなら、なんだって受け入れる。


 紀生は斜めがけの鞄から、銅の香炉を取り出す。手のひらにのる小さなもので、蔦の絡まった模様が刻まれており、上部からは煙が上がるように模様の隙間に穴が空いていた。香炉の中には魂を呼ぶ反魂香が入っていて、火を付ける代わりに霊力を注ぎ込むことによって焚くことが出来る。


 紀生は立ち上がり、死体の前で右手に乗った香炉を突き出す。左手は香炉の上にかざし、目を閉じた。呼吸をゆっくり行い、興奮してしまった息遣いを整える。そして、霊力を香炉に向けて注ぎ込んだ。


 じわじわと花の香りが立ちあがる。焚くことに成功したようだ。あとは弟の魂が迷わずここに来てくれれば良い。祈るように霊力を注ぎ続ける。


 この国にはない異国の花の香りだ。強い香りと微かな煙が目の前の死体を包むように広がる。少しくどいくらいの甘さをはらんだ香りのせいか、頭の中がぼんやりしてきた。

 いや、違う。術のための霊力が足りなければ、寿命が削られると師匠が言っていたから、霊力が底をついたのかもしれない。そんな風に思った時だった。


 視界の端に人影が見えた。弾かれるように影を見る。そこには弟の面影を残す、生きていたらこんな風に成長していたのだろうなという青年がいた。その体は透けており、生きている人間では無いことは明らかだった。


「きいちろう?」


 紀生の呼びかけに、透き通った青年は微笑んだ。どうにも困ったような、眉尻が下がった紀一郎が良くしていた表情に、彼の魂をここに呼ぶことが出来たことを確信する。


 嬉しさと、懐かしさと、どうしようもないふがいなさに鼻の奥がつんと痛んだ。


 でも、まだ術は終わっていない。呼んだ魂を器に入れなくてはならないからだ。そして、それが一番難しいと言われている。


 反魂香を焚いて、魂と器を結びつけるのが反魂の秘術だ。だけど、魂が器に馴染んでくれるかはやってみないと分からない。失敗すれば自我を無くした化け物となる。師匠からは五分五分だと言われていたが、それでも紀生は半分の勝機に賭ける。


 透き通った紀一郎が器のほうを向いた。どこか迷ったような表情が気になるが、時間もあまりない。もうすぐ反魂香が燃え尽きてしまう。反魂香が魂を呼び出しているため、消えたら魂も戻ってしまうのだ。


「紀一郎、早く器に!」


 紀生は焦る心のままに、器を指し示す。すると、指の先にいた器の彼と紀生の目があった…………えっ、目が合った?


 紀生は意味が分からなくて、頭の中が真っ白になる。


「待って、どうしよう」


 とんでもないことをしてしまった。器には魂は一つしか入れない。だから死体が必要なのだ。でも、死んでいると思った器は目を開けた。つまり、生きていたのだ。これでは紀一郎の魂は行き場がない。


 慌てて紀一郎を見る。もともと透き通ってはいたが、もはやぼんやりとした輪郭程度しか分からない。消えかかっている。


「き、きいちろう?」


 紀一郎の影が一部揺れる。まるで手を振っているような揺れだった。


 そのまま儚く影は消えていく。気が付くと甘ったるい香りもしなくなっていた。残されたのは何故か生きている死体と、呆然とたたずむ紀生だけだ。


 今そこに、紀一郎がいたのに。どうして、という気持ちがふつふつとわき上がる。器の青年は気だるげに紀生を見上げていた。暢気なその表情も腹立たしく思えて、感情のままに口を開いてしまう。


「どうして死んでないんだ!」


 違う、こんなことを言ったらいけない。こんなのただの八つ当たりだ。


 だが器の青年は怒るでもなく、不思議そうに首を傾げた。


「ええと、ごめん?」


 紀生の的外れな文句に、青年は言い返すどころか謝ってきた。そのことに、紀生の勢いも削がれてしまう。


 これが、彼との奇妙な出会いだった。




***

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