第2話 死にたがりの青年
トタン屋根の粗末な建物が立ち並ぶ裏路地に、まじない屋と呼ばれる店はあった。
店内は雑多なものに囲まれており、西欧から印度、清、どこの国か不明なものまで、壺やら杯、絵、分厚い本、装飾品などが陳列されていた。いや、陳列なんて上品すぎる。積み重ねて適当に置いてあるという表現が正しいだろう。
雑貨に囲まれた店の中央には、朱色の卓と椅子が四脚置かれている。そこに座って、紀生は謎の青年を問い詰めていた。
「それで、どうしてあんなところで倒れていたんだ?」
あのまま放置したら再び死体に間違えられて回収されそうだったので、紀生は半ば引きずるように彼を師匠のところへ連行してきた。
死体を探していたとはいえ、生きている人を殺したいわけではないからだ。
師匠はこの『まじない屋』という、いかにも怪しげな店をやっているのだが、意外と生活に困らない程度には儲かっているらしい。
「んー、生きるのが面倒くさくなって、このまま凍死しないかなと思って寝てた」
青年は髪が鳥の巣のようになっており、長さもあるため顔も良く見えない。着ている野良着も破れているし、股引も血泥だらけだ。すさんだ生活をしていたのがうかがえる。
「寝てた? 倒れていたんじゃなくてか」
「そう」
呆れた奴だ。生きたくとも生きられない人がごろごろいるというのに。
紀生はこれ見よがしにため息をついてやった。
すると、器の彼は拗ねたように口をとがらせ、だらりと卓に上半身を投げ出した。ふにゃふにゃした奴だなと思ったが、ふと体調があまり良くないのかもしれないと思い至る。
「お茶飲むか? あれだけ冷えてたんだ、暖めた方がいい」
紀生はストーブの上の薬缶から急須に湯を注ぐ。緑茶と違い、烏龍茶は何回でも飲めるのがいいところだ。最初は独特の風味があって苦手だったが、慣れてしまえば気にならない。
「あんた、変な人だね」
「僕が連れてきたんだ、お茶くらい出すのは当たり前だろ」
湯飲みを用意しながら肩をすくめた。
変な人と言われるのは構わないが、お茶を出そうとして言われるのは解せない。
「そうじゃなくて。あんたさ、俺が死んでると思って喜んでただろ。しかも今、俺は生きるのが面倒になった凍死志願者だって言った」
「聞いたな」
「なら、なんで生き延びさせようとするの? 冷たい水ならまだしも、温かいお茶なんて出す必要ないと思うけど」
彼の言い分に、紀生の目がカッと見開く。
「気付かなかった…………、言われてみればその通りだ」
「やっぱり変な人だ。しゃべりかたも変だし。見た目と口調が合ってない」
「え? そ、そうか?」
そっちこそ気の抜けたような、柔い話し方をしているではないかと言い返しそうになるが、それどころではない。まさか女だと見抜かれたのだろうか。
彼の前髪の間から見える眠たそうな目が、圧を感じるくらい真っ直ぐに紀生を捉えている。じわりと脂汗がにじみ出た。どうにか言いつくろわねばと、必死で考えるが、焦る余り何も浮かばない。
彼は紀生を見つめるのに飽きたのか、ふっと視線を卓に移した。
「……服装とかは庶民なのに、口調はなんか庶民ぽくない」
そちらの違和感だったかと、紀生は違う意味で驚く。
紀生の父は横浜で貿易会社を営んでいる、いわゆる豪商と呼ばれる富裕層だ。つまり、紀生はお金持ちのお嬢さまである。
だけれど、紀生は少しでも自由に活動できるように、街に出るときは出自を隠している。男装している理由も、性別を変えることで身元を特定されないようにという配慮だ。
くわえて女よりも安全になるし、一人歩きしていても不審がられないだろうという理由もある。
そのため話し方も「私」とは言わずに「僕」を使うようにしているし、なるべく少年らしいしゃべり方をしようと気を付けていたというのに。思わぬ方向からほころびが露呈してしまった。
「その……僕はとても遠いところから横浜にやってきたから、そこの訛りが抜けていないんだ……と思う」
苦しい。我ながら苦しすぎる言い訳だと思うが、もう訛りで突き通すしかない。
ちなみに紀生は生まれも育ちも横浜だ。
「へぇ……、偉そうな訛りだね。でも訛りなら直すのも難しいよね。変なこといってごめん」
「い、いや、謝らなくてもいい」
紀生は両手を左右に振りながら、気にするなと仕草でも全力で伝える。
とりあえず、訛りで突き通せた。言ってみるもんだなと安堵の気持ちでいっぱいだ。
「あんたってさぁ、ちょっと抜けてるよね」
卓の上に伸びたまま紀生を見上げてくる彼が、何故かため息交じりで悪口を言ってきた。
「急になんだ。凍死の邪魔をした文句か」
喧嘩なら買うぞと拳を上げる。
「そうじゃないけど、それもある。だいたい、俺の死亡判定が雑すぎる」
「な、何を言う! 僕はちゃんと確認した。呼吸は感じられなかったし、体も冷え切っていたし、脈もとれなかった。あれで生きてるあんたのほうがおかしい」
「だから、その確認が甘いんだって。寒さでかじかんだ手で、微かな呼吸がわかると思う? 体温だって、外に露出している肌を触っただけなら冷たいに決まってる。極めつけに首筋で脈を測ったときに触れた指が震えてた。あんな震えていて脈が分かるわけないでしょ。あー面倒くさい。なんで俺がこんなこと教えてあげなくちゃいけないんだろ」
面倒くさいと言う割には、ぐさぐさと刺さることばかり言ってくるではないか。というか、まさか、自分の確認の仕方がここまで意味をなしていなかったことに衝撃を隠せない。
「それより、ここどこ?」
彼は卓に延びていた上半身を起こすと、紀生の入れたお茶をすすった。
あれだけ言ったくせに飲むのかと、思わず言いかけた。だが、あまりむきになって騒ぐのも子どもっぽいと思い直し、不服を飲み込んで質問の答えだけ口にした。
「まじない屋だ。僕はここで助手をしている」
「助手ねぇ。もっとまともなところで働けば良いのに」
確かに胡散臭い店だが、こやつは物言いが真っ直ぐすぎやしないだろうか。話し方はふにゃふにゃしているくせに。
「おいおい、酷い言いようじゃあないか」
店の奥から背の高い女性が、苦笑いを浮かべて出てきた。
着物とパオが混じったような独特の服を着こなし、涼やかな顔立ちの上に丸い小さな眼鏡を掛けている。この人物こそが紀生の師匠だ。
呪術の知識は豊富で、生まれは清だと言っていたが日本語も達者である。養父に連れられて、物心つく前に日本に渡ってきたと聞いた。
「師匠、おはようございます。あの、急に変な奴を連れてきて申し訳ありません。その、なんといいますか、実は……間違えて反魂香を焚いてしまいまして。死んでいると思ってたら生きていたんです。それで紀一郎の姿はそのまま消えてしまったんですが、今、いったいどういう状況になってしまったのでしょう。紀一郎の魂が現世で迷子になっているとか、もしや消滅してしまっていたら――――」
紀生は立ち上がり挨拶の礼をすると同時に、縋り付くように師匠に説明を浴びせた。
「まあ落ち着け、紀生。一つずつ確認だ。そこの男が死んでいると思って、反魂香を焚いたのか?」
師匠に頭をぽんぽんと優しく叩かれ、気がはやっていたことに気付いた。
「はい。これ以上ない変死体だと思って、役人に見つかる前に反魂の秘術を行わなければと焦ってしまいました」
反魂の秘術が失敗するのには二段階ある。
まずは反魂香を焚いても目的の魂を呼び出せずに、無関係の悪霊を呼び出してしまう場合だ。
これは反魂香の出来によって左右されるが、これは師匠に錬成してもらったので失敗の心配はしていなかった。師匠は霊力の高い凄腕の道士だからだ。現に、紀一郎の魂は呼び出せたので師匠の反魂香は成功していた。
「確かにもしそいつが死んでたら最適な器になっただろうねぇ。性別、年齢、おまけに呪いの気配もあるから気が急くのも当然か」
反魂の秘術が失敗する二段階目は、呼び出した魂が器に馴染むかどうかだ。
もちろん、第一段階で悪霊を呼び出していたら、悪霊が器を得ることになるので、暴れる化け物の誕生となってしまうが。
そうではなく、きちんと目的とする魂を呼び出せたとしても、器との相性が良くないと自我を失った化け物になってしまう。師匠曰く、魂とはもろいものだから、合わない場所に入れられたら耐えられなくて壊れてしまうのだとか。
少しでも魂と器の適合率を上げるため、師匠は過去の文献や同業者からの情報を集めて仮説を立てた。
魂と器は近い状態がいい。つまり同性で、なるべく同じ年頃だと合いやすいと結論づけたのだ。
紀一郎は男で生きていれば十七歳、彼も若そうで師匠の示す条件に当てはまる。
本当は他人の体など使わず、紀生の体を器にすればいいと最初は思っていたのだ。だが、女の体では失敗して化け物になると聞かされては、諦めざるを得なかった。
紀一郎を化け物にするわけにはいかないから。女として生まれてしまったことを、こんなにも不甲斐なく思ったことはなかった。
師匠は何か考え込むような表情をしていた。やはり問題があるのだろうか。冷や汗が紀生の背中をつたっていく。
「師匠? まさか紀一郎が消滅したわけではないですよね」
「それはない。いくら魂がもろいとはいえ、呼び出しただけで壊れるほどじゃないさ」
「なら、どうしてそんな難しい顔をしているのですか」
「それなんだけどねぇ」
師匠はそう言ったきり、また考え込んでしまう。
じわじわと真綿で首を絞められるような時間だ。
駄目なら駄目とさっさととどめを刺して欲しい。でも、本当に駄目だったら絶望だ。反魂の秘術が紀生にとって最後の希望だったから。
「ねぇ、おかわり」
くいっと袖を引っ張られた。彼が卓上の湯飲みをこちらにずずっと押し出してくる。
「なっ、あんた図々しくないか。今は真剣な話をしてるんだ。しかも、さっき僕がお茶を勧めたら揚げ足とってきたくせに」
話を中断されたいらだちで、先ほど飲み込んだ文句も出てしまった。
「だって、話しが長いから。それで、俺は死んだらいいの?」
「ちょっと待て。仕方ない、お茶入れてやるから飲んで黙ってろ」
師匠の難しい顔が気になるのだ。彼をさっさと黙らせて話の続きを聞きたかった。それなのに、彼の口は再び開く。
「ありがと。ついでに腹も減ってるんだけど」
「お前! お前って言っちゃった。いや、そうじゃなくて」
「ほらぁ、拾ってきたんだから責任とってよ」
「捨て犬みたいなこと言うな」
「捨て犬みたいなもんでしょ。ほら、お腹空いたワン」
紀生よりもよほど大きな図体をしていて、何が「ワン」だ。腹立たしいにもほどがある。
「ぐっ……」
苛々が最高潮に達し、わなわなと手が震えてくる。何なんだ、こいつは。
生きるのが面倒とか無気力なことを言っておきながら、食べものを要求してくるとは意味が分からない。
「あと話がまだ続くなら、銭湯行ってきてもいい? 体がべたべたして気持ち悪いんだよね。あ、俺無一文だった。貸してほし……いや返すあてがないからちょうだい」
「お前な、またお前って言っちゃった。呼び名がないと不便だな。名前は? ついでに歳も教えろ」
「俺は朔(さく)、二十歳だよ。あんたは、そこの師匠さんて人が紀生って呼んでたね」
ちらりと師匠の方を見た。
見られた師匠は口が滑っていたことを自覚したのか、手で口を覆っている。まぁ紀生とて、名を呼ばれていたことに気が付いていなかったのだから、師匠を責めるのも気が引けるが。
紀生は金持ちの娘だと知られると誘拐などの危険が増すため、師匠以外には名前をつげていないのだ。まわりの人からはまじない屋の坊主とか助手って呼ばれているし、どうしても名乗る必要があれば「太郎」と偽名を答えている。
「まぁ仕方ないか。僕は紀生だ。とりあえずお茶は入れてやるし、師匠の非常食でも食べてろ」
そう言って、しまい込んであった干し芋を探し出して朔に渡した。師匠が何故場所を知っているんだと目を丸くしているが、店の掃除を一手に引き受けているのは紀生だ。これくらい把握済みである。
「ありがとね」
朔は礼を言うと、さっそくはぐはぐと干し芋をかみ始めた。この干し芋はかなりかみ応えがあるから、しばらくは静かになるだろう。
「それで師匠、話の続きなんですが」
師匠に顔を向けると、声を押さえて肩を振るわせていた。
もしや……笑ってる?
何かおかしいことでもあっただろうか。
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