エチュード・アクトレス

@ruka-yoiyami

プロローグ:鏡の中の空白

その日、私は「死体」を演じていた。


彼女の演技は完璧だった。路地裏の冷たいコンクリートに横たわり、血溜まりの中に瞳を虚ろに開けている。その瞳には、恐怖も、絶望も、後悔も、そして生への未練も、何一つ映っていなかった。


通りがかった警察官たちは、顔色一つ変えずに彼女を取り囲み、形式的な記録を始めた。救急隊員が近づき、その細い手首に触れる。 「ダメだ。心停止。死後硬直も始まっている」


私がエキストラとして参加している自主制作映画の撮影だった。監督は満足そうに「カット!」を叫び、助監督が慌てて毛布を持って駆け寄ってきた。


「夜凪さん、お疲れ様です。凄かった。本当に息をしてないみたいで……」 助監督は興奮している。夜凪はゆっくりと体を起こし、周囲の喧騒と興奮を、まるで対岸の出来事のように眺めた。彼女の顔には、死の冷たさも、演技後の熱狂も残っていなかった。


「お疲れ様です」 私は定型句を口にした。その声は平坦で、まるでテープから再生されたかのように感情を欠いているように感じた。


私は知っている。演技とは、誰か別の人間になることだ。誰か別の人間になって、その人の感情を、その人の人生の終わりを、借りてくることだ。 そして、その役を脱ぎ捨てた瞬間、夜凪景という「器」の中には、また元の「空白」だけが戻ってくる。


(私には、私自身を演じるための、感情がない)


心臓は動いている。しかし、その内側には、幼い頃に壊してしまった、感情という名の部品が欠けている。 夜凪景にとって、演技は自己表現ではない。それは、一時的な「生存」だった。


私は、次の役という名の、次の「一時的な生命」を求め、立ち上がった。

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