第8話:軍師、予約殺到で大混乱

「スピリチュアル・ハート」が、渋谷で最も予約の取れない店になってから、二週間が経った。

新規の予約問い合わせは、もはやサクラ店長一人では捌ききれず、ミキさんとケンジさんまで動員して、ようやく対応している有様だ。


「人気が出るのは結構なことじゃが、ちと、戦線が拡大しすぎではないか……?」

僕は、鳴り止まない電話の音に眉をひそめた。


その時、予約していた最初の相談者が、店のドアを開けた。由香里と名乗る、三十代前半の女性。

僕は、彼女が席に着き、当たり障りのない世間話を始める、その数分の間に、敵陣の配置を、完全に把握していた。

外された形跡のある、結婚指輪。

見栄を張るための、使い古されたブランドバッグ。

過去の記憶を辿る、左上への視線の動き。


「……それで、夫との関係が、最近、少し、うまくいっていなくて……」

彼女が、用意してきたであろう「表向きの悩み」を語り終えた、その瞬間。

僕は、単刀直入に、本陣へと切り込んだ。


「――茶番は、そこまでじゃ」

「……え?」

「汝の悩みは、夫ではない。職場の、年下の男であろうが」


由香里の顔から、穏やかな笑みが、すっと消えた。代わりに浮かんだのは、冷たい、警戒の色だった。

「……何を、おっしゃっているのか、分かりません」

「ほう。ならば問おう。汝のその、いつもより若々しい服装は、誰のためじゃ? その、つい最近変えた、可愛らしいスマホケースは、誰の気を引くためのものじゃ? 少なくとも、家庭内別居状態の夫のためでないことだけは、確かじゃな」


僕の、畳み掛けるような指摘に、彼女の顔が、怒りで微かに歪む。

「……あなたに、何が分かるんですか! 私が、毎日、どれだけ……!」

「分かるぞ」

僕は、彼女の反論を、静かに遮った。

「夫に女として見られず、家政婦のように扱われる日々。その虚しさを、年下の男の、些細な優しさが埋めてくれた。……違うか?」


由香里は、言葉を失った。怒りの仮面が剥がれ落ち、その下から、傷ついた、迷子の子供のような素顔が、現れた。

堰を切ったように、彼女の目から涙が溢れ出す。

「……夫とは、もう……。そんな時に、彼が……いつも、私のことを見てくれて……。でも、私は……結婚してるから……」


僕は、タロットの「恋人たち」のカードを、彼女の前に置いた。

「その男、汝に本気じゃぞ。だがな、由香里殿。汝は、本気か?」

「え……?」

「夫との関係を清算する覚悟もないまま、その男の優しさに逃げ込もうとしておる。それは、愛ではない。ただの、甘えじゃ。そんな覚悟なき進軍は、必ずや、三方すべてを傷つける、最悪の敗北を招こうぞ」


僕の厳しい言葉に、由香里は、ただ、嗚咽を漏らすことしかできなかった。

軍師とは、時に、兵士に、死地に赴く覚悟を問う、非情な役目なのだ。


僕が、熱を込めて語り、身振りで天命を示さんと、扇子を振り上げた、その瞬間。


バキッ!


「もうっ! だから扇子は封印しなさいって言ってるでしょ! 先月買い替えたばっかりの三万円のコーヒーメーカーが!」

サクラの悲鳴が、店内に響き渡った。どうやら僕は、またしても、何かを破壊してしまったらしい。




次に現れたのは、健太と名乗る、優柔不断そうな顔をした青年だった。

彼の、無意識に結婚指輪の跡をなぞる仕草と、強迫観念のようにスマホを確認する動きから、僕は、彼が二人の女性の間で揺れ動いていることを、一瞬で見抜いた。


「……同僚は、すごく良い子なんです。でも、僕の心は、ずっと、学生時代の友人の彼女の方にあって……。でも、今さら、同僚を傷つけるなんて……」

彼が、言い訳がましい言葉を並べ終えるのを待って、僕は、冷ややかに言い放った。


「――愚か者めが」

「……え?」

「汝が今していることこそが、その同僚とやらを、最も残酷な形で、傷つけ続けておるのだぞ。ありもしない希望という毒を、毎日少しずつ与え、彼女の貴重な時間を、弄んでいるのと同じことじゃ」


僕の言葉に、健太の顔が、怒りで赤くなった。

「……言い方が、ひどいじゃないですか! 僕は、真剣に悩んで……!」

「悩んでおると? 笑止千万! 汝の心など、とうに決まっておるわ!」

僕は、彼の胸ポケットから、スマホを、半ばひったくるように抜き取った。


「な、何を……!」

「見よ! この、スマホケースに挟まれた二枚の写真! 会社の飲み会と、学生時代の思い出! 汝が無意識に、日に何百回と、指でなぞっておるのは、どちらか!?」


健太は、自分のスマホの、指紋で薄汚れた、学生時代の写真を見て、はっと息をのんだ。


「……心は、決まっておる。だが、汝は、悪者になるのが怖いだけじゃ。同僚を振るという、その一瞬の痛みから、逃げているだけじゃ。それは、優しさなどではない。ただの、卑劣な『臆病』じゃ!」


僕の、容赦ない言葉の刃が、健太の心の鎧を、切り裂いていく。

彼は、もはや、怒る気力も失ったように、がっくりと、項垂れた。


「……どう、したら……」

「為すべきことは一つ。まずは、同僚殿に、敗軍の将として、誠心誠意、頭を下げよ。『君の優しさに甘え、曖昧な態度で傷つけ続けた。本当に、すまなかった』と。そして、その後に、学生時代の友人に、全軍全霊で、城を攻め落とせ。それが、汝が、臆病者から、一人の『男』になるための、唯一の道じゃ」


健太は、しばらく、黙り込んでいた。

やがて、顔を上げた彼の瞳には、もう、迷いの色はなかった。

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