第1部:交流 / 第33話:じじいはすっこんでろ
星辰会議は、退屈の極みであった。
どこまでも続く白亜の空間に、神官の抑揚のない声だけが響き渡る。
「――以上が、第七セクターにおける星辰エネルギーの定点観測報告です。すべて正常値の範囲内かと」
ソファに座す主神たちは、その報告をただ無言で聞いている。周囲を取り囲む無数の神官や尖兵たちも、微動だにしない。何万年も繰り返されてきた、ただの恒例行事。それが、この星の管理者たる神々の会議の正体だった。
マチルダは、とっくの昔に飽きていた。テーブルに置かれた神代の果物に手を伸ばすふりをして、下に隠したチャチャのぷっくりした頬袋を、指でぷにぷにとつつく。
「キュ?」
くすぐったそうに身をよじるチャチャの反応に、マチルダがくすりと笑みをこぼした。
「マチルダ」
オルドレイクの静かな声が飛ぶ。マチルダは聞こえないふりをして、ぷいとそっぽを向いた。
神々にとって、地上の営みは些細な事象でしかない。人間たちが国を作り、争い、幾万の命が消えようとも、それは大樹から一枚の葉が落ちるのと同じ。魂は巡り、星は回り続ける。永遠を生きる彼らと、刹那を生きる人間とでは、命という言葉の尺度そのものが、あまりにも異なっていた。
やがて、議題がマチルダが管理する地帯――エアデールやグリムロック周辺の宙域に移った。代わり映えのない報告に、マチルダは「つまらん。早う帰って『おかし』が食べたいのう…」と小声で呟く。
その直後、神官が特記事項として付け加えた。
「――アンデッドの大量発生が観測されました」
その言葉に、それまで微動だにしなかった神々が、ほんの少しだけ興味を示した。
「ほう、珍しいな」「これほどの規模は、ここ数千年なかったはずだが」
オルドレイクが神官に詳しい状況を尋ねさせると、神官は「現在、アンデッドの大群がエアデール王国へ向かっている模様です」と報告した。
その言葉を聞いた瞬間、マチルダの瞳から、退屈の色が完全に消え失せた。
マチルダが、無言で立ち上がり議場を去ろうとする。
「待て、マチルダ!どこへ行く!」
オルドレイクが制止するが、マチルダは舌打ちし、「知ったことか。用事を思い出しただけじゃ」としらを切った。
オルドレイクは何かを察し、声を強める。「まさか…人間への過度な介入は禁じられておるぞ!」
「介入する気などない。ただワシのテリトリーで骸骨どもが暴れておるのが気に食わんだけじゃ」
その言葉に、神々の間にどよめきが走った。秩序を司るセレフィナが、冷徹に諭す。
「マチルダ、待ちなさい。アンデッドの発生が自然の摂理ならば、それもまた運命。星の循環に手を加えてはなりません」
その言葉を受け、セレフィナは運命を司るアストラーデに「星の動きを示しなさい」と促す。アストラーデが静かに頷くと、議場の中央に星空が映し出された。それは、この星のマナがここ数百年で最も弱まり、負のマナが強まる周期にあることを示していた。
商業と契約を司り、常に物事の損得を計算する神、メルクリウスが頷いた。「なるほど、これでは大量発生も自然の摂理か」と納得し、神々の間でも「介入すべきではない」という空気が確定する。
その空気に、マチルダは、はっと不敵に笑った。
「ふん…もっともらしいことを言う。お主たちにとって、地上の100年など瞬き一つ。そこでどれほどの命が生まれ、恋をし、死んでいこうと、それはただの『循環』という言葉に置き換えられる数字に過ぎぬ。違うか?」
その言葉に、オルドレイクは娘ライオラの面影を重ね、声を荒げる。
「マチルダ!人間に深入りすることは決して許さぬ!」
その声は、怒りよりも、悲痛な叫びに近かった。
神々が「どういうことだ?」とざわつき、マチルダを怪訝そうな目で見る。
ついに堪忍袋の緒が切れたマチルダが叫んだ。
「じじいはすっこんでろ!」
その言葉に、オルドレイクが呆然と「じ…じじい…?」と呟く。
次の瞬間、マチルダは叫んだ。「乗れ!」
アーサーは即座に彼女の肩に飛び乗り、チャチャは必死にしがみつく。マチルダは神々すら目で追えないほどの超スピードで、天の門へと一直線に飛んでいった。
議場は騒然となった。「待て!」「どこへ行く気だ!」
「戻れ、マチルダ!」
オルドレイクの叫びも、もう届かない。
その様子を見ていたボルガンが、腹を抱えて豪快に笑った。
「はっはっは!元気があってよろしいわい!」
「笑い事ではない!」
オルドレイクが怒鳴り返すが、やがて力なく呟いた。
「…まったく、どうしてこう聞き分けがないのだ。マチルダよ…。…いったい誰に似たのだ…」
その言葉に、セレフィナやアストラーデたち主神が、ジト目でオルドレイクを見る。
オルドレイクは、誰にも聞こえない声で、天を仰いだ。
「ライオラよ…なぜじゃ。なぜ、わしをこうも責め立てる。…わしが間違っていたと、そう言うのか…」
彼の苦悩に満ちた呟きが、静寂を取り戻した白亜の空間に、虚しく溶けていった。
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