第1部:交流 / 第18話:裏切りの刃
数年前のティル・ナ・ローグ王城。騎士団長として白銀の鎧を纏ったレオニスは、ギザリオン公国への輸送隊長という大任を前に、最終確認を行っていた。それは、両国の友好の証として、代々エアデール王国騎士団長が担う名誉ある役目だった。
見送りに来た、まだ見習い騎士の弟アーサーが、兄の雄姿に目を輝かせている。
「兄上!気をつけて!」
「アーサー、俺が留守の間、無茶はするなよ。お前はまだ見習いなんだからな」
「分かってるって!心配しすぎだよ、兄上は」
悪戯っぽく笑う最愛の弟の頭をくしゃりと撫で、レオニスは旅立った。その光景を、少し離れた場所から騎士マイロ・セドリックが、人の良い笑顔を浮かべて見送っていた。
レオニスが旅立った数日後。グリーンウィロウ近辺の森の奥深く。
マイロは、奴隷商のリーダー、ジャスカー・フェイガンと密会していた。
「おい、ジャスカー。話がある。最近のリスクを考えれば、今の分け前は少なすぎる。倍にしろ」
マイロが高飛車な態度で要求すると、ジャスカーは金貨の袋を弄びながら、下品な笑みを浮かべた。
「へっへっへ、旦那。そりゃ分かってやすよ。旦那のおかげで、俺らの商売は安泰ってもんでさぁ。感謝してやすって。…だがよぉ、旦那。あんまり欲を出すと、その綺麗な鎧が汚れちまうかもしれやせんぜ? 俺らみてぇな汚ねぇ連中と旦那が繋がってるなんてことが、あの『騎士道の象徴』様のお耳に入ったら…どうなるかねぇ?」
その、完全に見下しきった言葉と、下卑た笑いにマイロの笑顔が消え、その瞳に冷たい怒りの光が宿った。(…クソ…!調子に乗りやがって…!)
翌日、アーサーは町で子供をさらう奴隷商の噂を耳にした。兄の言葉が頭をよぎる。しかし、彼の強い正義感は、目の前の悪事を見過ごすことができなかった。彼は、信頼する同僚と、先輩であるマイロに声をかけ、少人数の討伐隊を結成した。
「それは許せないな!僕も行こう、アーサー君!」
マイロは、正義感あふれる先輩騎士の顔で、討伐隊に加わった。一行が目指すのは、グリーンウィロウからさらに奥深く、人々がめったに足を踏み入れないヴェルディア大森林の一角だった。
奴隷商のアジトに突入すると、アーサーは、見習いとは思えぬ圧倒的な剣技で、見張りたちを次々と打ち破っていく。
戦いの混乱の中、マイロはリーダーであるジャスカーを追い詰めた。「助けてくれ旦那!話が違う!」と命乞いするジャスカーに対し、マイロは冷たく言い放つ。
「奴隷商人ごときが、俺を見くびってんじゃねぇ!」
グサリ、とマイロの剣がジャスカーの胸を貫いた。マイロは、その返り血を浴びながら、楽しそうに笑う。その姿を見て、ジャスカーは最期に呟いた。
「この…!悪魔め…!」
マイロは平然とアーサーたちの元へ戻ると、「リーダーは俺が仕留めた!これで子供たちは安全だ!」と笑顔で報告した。アーサーは「さすがです、マイロ先輩!」と、彼の功績を素直に称えた。
全ての奴隷商を倒し子供たちを救出した後、アーサーは騎士としての使命を果たせたことに、喜びで胸をいっぱいにして叫んだ。
「やった…!これなら兄上だってきっと認めてくれるはず!もう見習い騎士なんて言わせないぞ!」
マイロは他の隊員に子供たちを町へ送るよう指示した後、そんな無邪気なアーサーに声をかけた。「アーサー君、念のため森の奥に残党がいないか確認しに行こう。二人で手分けした方が早い」
アーサーは「はい!」と元気よく頷き、信頼する先輩の後をついて、森の奥へと入っていった。
静かな木漏れ日が差す広場。アーサーが、心を許した先輩に背を向けた、その瞬間だった。
ザシュッ、という生々しい音と共に、マイロの剣が、アーサーの背中を深々と貫いた。
「…な…ぜ…マイロ…せんぱ…」
崩れ落ちるアーサーを見下ろし、マイロは初めて本性を現した。その顔は、積年の嫉妬と憎悪で、醜く歪んでいた。
「クソが!かっこつけやがって!お前さえいなければ、俺が…!才能があるやつはいいよなぁ!俺がいくらがんばったってお前らみたいにはいかねーんだ!むかつくんだよ、ずっと!!」
マイロは、ありとあらゆる暴言を吐きながら、何度も、何度も、動かなくなったアーサーに凶刃をふるった。
やがて満足したマイロがその場を去った後、アーサーは薄れゆく意識の中、森の暗闇を見つめていた。
身体中の熱が、急速に失われていく。痛みはもう感じない。ただ、冷たい。木々のざわめきが遠のいていき、見える景色も、白く、白く霞んでいく。ああ、これが死か。最期に思い浮かぶのは、やはり兄の、あの優しい笑顔だった。
霞む視界の、その向こう。彼が最後に見たのは、この世のものとは思えないほど美しい少女が、森の木々の間から、静かに自分を見下ろす姿だった。
「…なんじゃ、人間か」
朦朧とするアーサーは、その神々しい姿を、天使だと信じて疑わなかった。
「…やっぱり…天使は、思った通り…美人、なんだな…」
少女――マチルダは、その言葉の意味が分からず、ただ不思議そうに首を傾げた。しかし、目の前で消えようとしている、あまりにも真っ直ぐな魂の光を、なぜか放ってはおけなかった。
「死ぬのか」
「…うん…」
「生きたいのか?」
「…うん」
「ならばワシの家来になるか?」
「…うん」
「死ねなくなるぞ」
「君の…ナイトに、なれるなら……本望さ…」
アーサーは少しだけ微笑むと、その言葉を最後に事切れた。
マチルダは、その亡骸を見下ろし、静かに、しかし力強く告げた。
「契約成立じゃ」
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