第1部:交流 / 第19話:蒼き彷徨い人

 自由交易都市ヴェスペリアへと続く、寂れた街道筋。夜の闇の中、焚き火の炎だけが、フードを目深に被った一人の男の顔をぼんやりと照らしていた。その顔は長旅でやつれ、無精髭に覆われ、かつての王子様のような面影はない。男――レオニス・グレイ=クラウスは、静かに揺らめく炎を見つめていた。

 彼は懐から、古びた小さなペンダントを取り出す。弟アーサーの、たった一つの形見。それを強く握りしめると、今でも胸が張り裂けそうになる。失われた光、守れなかった約束。彼の旅は、終わりなき悔恨そのものだった。

 レオニスが王都に帰還した時、彼を待っていたのは、弟に関する絶望的な報せだった。公式な報告は、裏切り者マイロの偽りの証言によって歪められていた。「アーサーは見習いながらも、奴隷商から子供たちを救うため英雄的に戦った後、敵の残党を追って森の奥へと姿を消した」と。

 王国は何度も捜索隊を出したが、彼の遺体はおろか、何の痕跡も見つけることはできなかった。やがてアーサーは、「行方不明のまま、殉職した英雄」として扱われるようになった。誰もが、森のどこかで力尽きたのだろうと噂した。十中八九、死んだものと思われていた。

 しかし、レオニスだけはそれを認めることができなかった。弟の強さを、誰よりも知っていたからだ。守れなかった後悔と、自分がついていればという自責の念。その全てを、弟を探し出すという、ただ一つの目的へと変えて、彼は地位も、名誉も、愛する人さえも振り切り、誰にも何も告げずに国から姿を消した。アーサーを探すための、終わりのない放浪の旅に出るために。

 焚き火の火を消し、レオニスは近くの町にある酒場へと入った。情報を集めるため、そして何より、一人では耐えきれない夜をやり過ごすためだった。エールを頼み、席に着くと、彼はいつものように、旅人たちが交わす他愛もない噂話に、ただ黙って耳を傾けていた。どんな些細な情報でも、弟に繋がるかもしれないからだ。

「聞いたか?エアデールのグリーンウィロウとかいう町で、暗殺者騒ぎがあったらしい」

 ありふれた物騒な話。レオニスは気にも留めなかった。

「なんでも、紫がかった黒髪の少年剣士が、化け物みたいに強かったとか…」

 その言葉に、レオニスの身体が凍りついた。

 グラスを持つ手が、カタカタと震える。

「紫がかった、黒髪…」

 その特徴――紫がかった黒髪、そして噂される剣技の片鱗。それは、亡くなったはずの最愛の弟、アーサーの姿そのものだった。

 彼は、震える手で胸元のペンダントを強く握りしめる。

 ありえない。分かっている。ただの偶然だ。似た特徴を持つ少年が、いただけのことだろう。

 だが、それは、何年も彼を苛んできた暗闇の中に差し込んだ、あまりにもか細い、しかし確かな希望の光だった。

 レオニスはテーブルにコインを数枚置くと、静かに立ち上がった。彼の瞳には、もう今までの虚無の色はなかった。そこには、一つの目的だけを見据える、かつての「騎士道の象徴」の輝きが戻っていた。

 彼は馬を、エアデール王国、グリーンウィロウの方角へと向ける。

 失われた光を取り戻すための、新たな旅が、今、始まった。

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