第1部:交流 / 第14話:筋肉はすべてを解決する

「灰色の背骨山脈(The Grey Spine Mountains)」を越え、エアデール王国の豊かな緑が眼下に広がった時、将軍レオン・ヴァルトは深いため息をついた。故郷グリムロックの厳しくも美しい岩山の風景とは違う、生命力に満ちた穏やかな大地。これを戦火で染めるなど、正気の沙汰ではない。

 馬上で、彼は改めて今回の任務の難しさを噛み締めていた。

(噂の『魔女』が実在するとして、どう接触する? 下手に行動すれば、ザフランの密命を実行する羽目になりかねん…)

 偵察対象は、いたいけな少女たち。力で脅すなど論外だ。

(こういう時、俺にはいつもの手しか……いや、しかし、さすがに子供相手にアレは…)

 レオンはしばらく頭を悩ませたが、結局、妙案は浮かばなかった。

「ええい、考えても仕方がない!ままよ!」

 彼は腹を括ると、噂の震源地であるグリーンウィロウの町へと、馬を進めた。

 その日の昼過ぎ、グリーンウィロウの市場は、かつてない熱気に包まれていた。

 広場の中心に、一人の旅人が腕相撲の台を設置し、挑戦者を募っていたのだ。旅人は、上着を脱ぎ捨ててたくましい上腕二頭筋を惜しげもなく晒しており、その傍らには手製の旗が掲げられている。

『筋肉は全てを解決する! 腕相撲大会、参加者求む!』

 町の力自慢たちが次々と挑戦するが、旅人――レオンは、余裕の笑みで全員を瞬殺していく。その圧倒的な強さと奇妙なパフォーマンスに、市場の客たちはやんややんやの大喝采を送っていた。

「わあ、すごい!あの人、すごく強いね!」

 アンナが目を輝かせると、フィオナも「すごい筋肉…」と顔を赤らめる。

 その中で一人だけ、違うものに興味を惹かれている者がいた。マチルダだ。彼女は、旗に書かれた「筋肉はすべてを解決する」という、あまりにも傲慢で、しかし清々しいほどに馬鹿げた思想に、いたく感心していた。

「ほう、面白いことを言う男じゃ。よし、ワシが相手をしてやろう!」

 マチルダがそう言って人だかりをかき分けていくのを見て、アーサーは翼で顔を覆った。「やれやれ…マチルダ様が、また厄介事に首を突っ込もうとしている…」

 意気揚々と名乗りを上げるマチルダに、レオンは一瞬きょとんとした。

(あれ? うまくいってしまったぞ…?)

 まさか、こんな子供だましの策に、噂の『魔女』本人が食いついてくるとは。レオンは内心の動揺を隠し、目の前の少女を観察した。この少女こそが、今回の任務の対象に違いない。

「はっはっは、お嬢ちゃんが俺と? 怪我するぜ?」

 その言葉に、マチルダの眉がぴくりと動く。「ワシを誰だと思っておる。さあ、はやくせい!」

 こうして、グリムロック連邦最強の将軍と、神の落とし子の、世にも奇妙な腕相撲対決の幕が上がった。市場のボルテージは最高潮に達する!

「レディー、ゴー!」

 勝負開始。レオンは余裕の笑みで、軽く力を込める。しかし――動かない。

 マチルダの小さな腕は、まるで大地に根を張った大樹のように、びくともしなかった。

「なっ…!?」

 レオンは手加減をやめ、本気を出す。血管が腕に浮き上がり、鍛え上げられた筋肉が咆哮を上げる。だが、動かない。目の前の少女は「カッカッカッ!」と楽しそうに笑っているだけだ。

「私の…私の筋肉が、嘘をつくというのか…!?」

 レオンがそう叫んだ瞬間、マチルダが「終わりじゃ」と指先にほんの少しだけ力を込める。轟音と共に、レオンの腕は台に叩きつけられていた。

 完膚なきまでに敗れたレオンは、その場にがくりと膝から崩れ落ちた。

「このレオン、一生の不覚…! もはや生きてはおれぬ! 腹を切り、自害させていただく!」

 彼は本気で、腰の短剣に手をかけた。

 そのあまりのメロドラマっぷりに、マチルダは心底呆れた顔で「いい加減にしろ」と呟くと、レオンの首筋に、トン、と綺麗なチョップを打ち込んだ。

「ぐふっ…」

 レオンは白目を剥き、その場に静かに崩れ落ちた。

 レオンが次に目を覚ますと、そこは見知らぬ酒場の一室のベッドの上だった。

「あ、気がついた!」

 アンナの心配そうな顔が、すぐそばにあった。周りには、腕相撲を見てすっかりレオンのファンになったらしい町の男たちや、グレン、ユーリの姿もある。そしてテーブルの向かいでは、マチルダが楽しそうにお菓子を頬張っていた。

「…何が、あったんだ…?」

 朦朧とする頭で尋ねるレオンに、アンナが笑顔で水を差し出す。

 筋肉ショーは、結果的に町中の人々と打ち解ける最高の結果をもたらした。レオンは、まんざらでもない気持ちで、差し出されたエールを飲み干しながら、この不思議な少女に関する情報収集を開始するのだった。

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