第2話:進化論
「アダムとイブ」の次に私が槍玉にあげたいのは、チャールズ・ダーウィンの「進化論」である。神をも恐れぬ冒涜のオンパレードである。起源の次には、その
ダーウィンが残した名言「生き残る種とは、最も強いものでも最も賢いものでもなく、最も変化に適応したものだ」というものは、私も全くそのとおりだと思う。環境もしかり、社会もしかり、全く恐ろしいほどに千変万化をする。暑かったと思ったら、氷河期のような時期もあったり、全体主義体制だった世の中がガラリと民主国家になったり、およそ、「想定の範囲外」の変化をしばしば見せる。髪型一つだってそうだ。「士分」の資格を持つもののみが結えた「
ダーウィンが『種の起源』で唱えた「進化論」とは、究極どういうことであったのか?今一度おさらいしておこう。ダーウィンが唱えたのは、全ての生物種が共通の祖先から長い時間を経て、「自然選択」を通して進化しているというものである。自然選択は「自然淘汰」とも呼ばれ、<突然変異>によって生まれた個体が、たまたま環境に適応したため生き残り、進化が起こるという考えである。ダーウィンの進化論に特徴的なのが、この<突然変異>という考え方である。よく挙げられるのが首の長いキリンの例であるが、フランスのジャン・バティスト・ラマルクが提唱した進化論では「用不用説」が根幹を成しており、よく使う器官は発達し、使わない器官は衰えるというもの。この論に従うと、キリンの首が長いのは、環境に適応するために首を長く変えていったためとなり、つまり、高所の葉を食べるために首を伸ばして届かせようと努めたことで、首が長く発達したという理論となる。一方、ダーウィンの提唱した論では、たまたま首の長いキリンの個体群が生まれ、より高所の葉を食べられるために生存競争で有利になり、首の長いキリンが生き残って増えたということになる。
また、もうひとつの大きな主張が『種の起源』と言っているように、ダーウィンはホモ・サピエンスはアフリカを起源とし、その後、世界中に伝播していったとするアフリカ単一起源説である。
私が牙を剥きたいのは、この突然変異説とホモ・サピエンスのアフリカ単一起源説である。ちなみに、遺伝子研究の裏付けもあり、アフリカ単一起源説は、現在の生物界で多くの科学者が一致して支持しているそうだ。
しかし、である。現在の日本社会を脅かすクマ出没に思いを巡らしてほしい。北海道にいるクマはヒグマである、本州にいるクマはツキノワグマであり、九州にはクマは生息していない。
たかが日本でさえ、このようなクマの分布だ。クマはあの関門海峡を渡れなかったのである。一方、ホモ・サピエンスは、アフリカから、はるか日本やアメリカ、シベリアに渡ったというのか?プレートテクトニクス理論から、アフリカと南アメリカ大陸がかつては地続きだったというのは是としよう。オーストラリアはどうだ?アフリカからシベリアまで、たとえ何世代にわたってとはいえ、移動できたのか?
また、クマが北極海に至って、突然変異で白い毛の個体が生まれ、その方が被視認性が低くなり、狩りをしやすくなり優勢個体となった、というのは頷ける。ただ、人類がアフリカ単一起源だというにしては、あまりに人種で特徴が違いすぎないだろうか?たとえば、黒人の鼻とポリネシア民族の鼻、白人の鼻はあまりに特徴が違いすぎるように思う。混血でなく、いきなり、ポリネシア民族の鼻が白人の鼻のように<突然変異>したのを、誰か、一度でいいから見たことがあるものはいるのだろうか?筆者は寡聞にして知らない。現代においては、フランスなどで何世代にも亘って暮らしている黒人などもいる。混血せずに、フランスの気候に合わせて、目が青くなったり、肌が白くなった<突然変異>した者を誰か目にしたことはあるだろうか?
また、単細胞生物から魚類、爬虫類が鳥類になり、哺乳類になり、哺乳類のなかのサルが人間になったという進化プロセスについても、どうも解せない。かつて鳥だったペンギンが今のような生態になったとか、ダチョウが飛ばなくなったとか、クジラはかつては陸で生活していたが、巨体すぎるがゆえに海で生活するようになった、というのは、私はどちらかと言えば、ラマルクの「用不用説」のほうを支持したくなってしまうのである。誰か、ある一匹のサルが人間になった<突然変異>を見た者はいるだろうか?
アダムとイヴではないけれど、人間、元を辿れば一つのカップルに辿り着くという説は、アフリカ単一起源説に近いように思われる。が、果たして本当にそうなのだろうか?
私の主張(ほぼ勘であるが)は違う。ある程度、同時多発的に各所でワニや鳥、各哺乳類、そして、人間が生誕したのではないだろうか?また、そうでないと初期段階での近親相姦ループ問題が生じてしまう。つまり、宇宙がビッグバンで生まれたように、地球で起きた生命の大爆発であるカンブリア信奉派なのである。
卵を産む鳥類や爬虫類から、<突然変異>で哺乳類が果たして本当に生まれるだろうか?その生命体は、すでに、卵でなく、卵巣と子宮を持ち胎盤を通じてある程度まで成長させるという機構をわずか1世代の間に<突然変異>を遂げてなければならない。しかも、オスとメス同時にである。恐竜というあれだけ体躯の違う生物が一つの単細胞から発展していったとは考えづらい。
突然変異はある。だからこそ、品種改良というものがある。だが、白人が赤道直下の国に移住して、何世代も暮らしていると本当に肌は黒くなり、鼻は扁平になるのだろうか?アフリカ単一起源説とは、逆のことを言っている。我々が知っている中で、チンパンジーが人間に、単細胞生物が爬虫類に、種や属を超えて「進化」を遂げたのを目撃されたことがあるだろうか?百聞は一見に如かず、であるが、一見なき百聞になってはいないだろうか?
疑問を感じてこのエッセイを書いていて、私がとんでもない間違いをしていたら恥ずかしいなと思い、少し調べてみたら、やっぱり世界には私と同じ矛盾点を「進化論」に対して突き上げている人がいたので、少し紹介しておこう。以下の矛盾点があるのではないか?ということである。
1.
カンブリア爆発(カンブリア紀(5億4200万年前から4億8800万年前)に、生物の種類が1万種から30万種へ突然増加している現象)を説明できない。
2.
突然変異という遺伝子の「コピー・ミス」によって親と違った子供が誕生することになっているが、コピー・ミスを繰り返した結果、優れたものに進化しているのはおかしい。
3.
不利な形質も残っており、必ずしも生存に有利な形質が選択されているばかりではない。
4.
魚と両生類、爬虫類と鳥類あるいは哺乳類などの古い種と新しい種とを結ぶ中間段階の化石は実は見つかっていない。
5.
「生きた化石」と呼ばれるシーラカンスやカブトエビをはじめ、何億年以上もの間ほとんど進化していない生物がいるのはおかしい。
6.
「突然変異」がなぜ起こるのか謎であり、突然の偶然の産物以上の説明がない。
仕事中のコピー・ミスからエポックメーキングな成功が生まれているのなら、私も、とっくに社長になっていることだろう(笑)。
今、我思う。我が心臓は意識することなく拍動を続け、脳内には電流が流れ、私の指を動かし小説を生み出している。この人体の仕組みこそ、神のなせる技であると思うし、地球という星を考えたときも、それこそ、鶏と卵ではないが、最初の人類が、“叡知”のない中で成し遂げた「
しかし、サイエンス発展の全ての出発点は、「神をも疑う」ということなのではないだろうか。
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