第2話 決戦前の休息

 夕陽が傾く頃、作戦会議はようやく終わった。

 ローレンスの腐敗を暴き、カーガプルトンの動向を推測し、演説の文面を詰める──。気がつけば、窓の外はすっかり橙から群青に染まっていた。


「今日は、ここまでにしましょう」


 アダムスの声に、誰もがほっと息を吐いた。

 肩を回した拍子に、関節がぱき、と鳴る。戦よりも、机仕事の方が堪えるとはな。


 会議のあとは、自然と酒場で食事を取ることになった。

 フルトとリリアーナは、トットたち子ども相手に夢中だった。

 はたから見れば、若い夫婦が育児に奮闘しているようにも見える。


 どう見ても両想いなのに、あいつらはいつまで経っても進展しない。


「ねぇ、フィンジャック」


 イザベルが肘で俺の脇腹をつつく。


「あのふたり、そろそろ押してあげたら?」


「押すって?」


「多分、あのふたりに媚薬を渡してもなぁなぁになって伸展しないでしょ」


「俺もそんな気がしてきた」


「でしょ?」


 チキンスープを飲み終えた俺とイザベルは、軽くため息をつく。


「しょーがない、荒技使うか」


「……いやな予感しかしないわね」


「ま、見てのお楽しみさ」


 一時間後。フルトの部屋にて、俺はふたりに媚薬を渡す前の注意書きを読み上げていた。

 だが、フルトとリリアーナはどこかソワソワして耳に入ってねぇ様子だ。


 そんなふたりの様子に、イザベルはヤキモキしていた。


 ま、俺はリリアーナにずっとを持たれるのは癪に障るんでね。


「てなわけで、ふたりとも覚悟はできてるか?」


「えっとぉ。私は良いけど、フルトに迷惑かからないかな?」


「いや、俺は……その」


 あぁ、そこでもじもじしてるの見てるの呆れたわ。


「使わなきゃ、俺の疑惑の検証ができねぇだろ」


 俺は小瓶を軽く放り投げた。

 パリン、と乾いた音。瓶が空中で弧を描き、リリアーナの足元に落ちて割れた。


 前の事故で嗅いだ事のある刺激臭が、ふわりと広がる。

 リリアーナの頬が一瞬で真っ赤に染まった。


「フィンジャック! あんた、何してくれてんのよ!」


「愛の特効薬、ってやつだよ!」


 慌てて口を覆うフルトの横を、俺はイザベルの手を掴んで逃げた。


 背後でリリアーナの怒鳴り声が響く。


「覚えてなさいよ、フィンジャックーーー!!」


「おふたりとも、末永くお幸せに!」


 ──久々に、心から笑った気がした。


 扉を閉めてイザベルの部屋に入ると、彼女は俺の肩を軽く叩いた。


「まったく。あんなイタズラして……子どもじゃないんだから」


 イザベルが呆れ顔で言う。

 けれど彼女の声には、怒りよりも安堵の響きがあった。


「悪かったよ。あの空気、重すぎてさ。笑っとかないと、潰れそうだったんだ」


「……そうね。ずっと戦争と建国後の話ばかりじゃ、誰だって息が詰まるわ」


 彼女は俺の隣に腰を下ろし、しばらく無言で夜空を見ていた。

 星が、まるで遠い戦場の灯火みたいに瞬いている。


「ねぇ、フィンジャック」


 静かな声だった。


「……私ね、前に女の子に押し倒されそうになったことがあるの」


 思わず言葉を失う。

 イザベルは自嘲気味に笑って続けた。


「何度もおんなじ目に遭って怖かったの。いつか、殺されるんじゃないかって」


「イザベル」


「なのに……あなたといると、怖いって感じない。何故か、想像しちゃう時もある。それっておかしいでしょ」


 彼女は指先で、自分の膝を撫でる。

 その仕草が、震えて見えた。


「支配されたいわけじゃない。誰かに見てほしいの。ちゃんと……私を」

「見てるさ」

 思わず口をついた言葉に、イザベルは小さく息を呑んだ。


「事故で媚薬を吸い込んだ後の朝、正直気持ち悪かったの。でもね、少し嬉しいって思ったの。誰かに必要とされるのは」


 俺は何も言えなかった。

 彼女の横顔は、戦よりもずっと儚かった。


「六歳の頃から十歳まで、両親にずっと妹か弟が欲しいって誕生日にねだってた。今思えば、両親は悩んでいたんだなって」


 ランプの炎が揺れ、俺達の影が寄り添う。

 指先が、ほんの少し触れた。

 それだけで、胸の奥が痛いほどに熱くなった。


「……怖いのは、私のドロドロした中身を見てくれない事かな」


 イザベルの囁きは、夜の風に溶けて消えた。


 俺は何も言わず、その手を握った。

 ただそれだけで、十分だった。


 五日後の戦いに向けて、俺は彼女と生きる覚悟を決めた。


 もう、彼女を置いてはいけない。


 翌朝、いつの間にかイザベルのベッドの上で手を繋いで寝ていたようだ。



 よっぽど疲れてたんだ、俺たち。スースーと寝息を立てるイザベルの頭を撫でる。


「んー、おはよう」


 撫でた途端、イザベルが目を開けた。泣き顔も悪くないが──寝起きの顔は反則じゃねぇか。


「さ、さっさと着替えてフルト達の様子を見に行こうぜ」


「うん。動揺したふたりがどうなってるのか気になる」


 イザベルがイタズラっぽく笑うと、俺もつられた。


「おーい、入るぞ……おぉ」


 ふたりの部屋に入ると、ふたりともテーブルに突っ伏していた。

 フルトは目の下にクマをつくり、リリアーナはやけに上機嫌。


「寝不足?」


「うん、まぁ」


 言葉を濁すふたりに、俺とイザベルは顔を見合わせて吹き出した。


「フィンジャック」


「なんだよ、リリアーナ嬢」


「貴方の事を疑ったり失礼な事を言ってごめんなさい」


「まぁ、誤解が解けて良かったよ」


「そ、そうですか」


 気のせいか、リリアーナの表現が大人っぽい気がする。唇が艶っぽくなっていて目も落ち着いている。


 イザベルも俺と同じ事を思ったみたいで、俺の隣で彼女に意味深な笑みを浮かべる。


「なんか、雰囲気変わったな」


「そうね。良かったわね、リリアーナさん」


「もう、ふたりともからかうのやめてよ。私達はいつも通り、よ。さ、みんなで行きましょう」


 要塞の食堂は、焼きパンの香りと金属の擦れる音で満ちていた。

湯気の向こうで、誰かが鍋を叩きながら笑っている。


「みんな、おはよう。どうした? リリアーナさんとフルトは何かあったのか?」


 タングがふたりに質問したら、曖昧な返事をした。が、ふたりの返事にタングは察したみたいだ。


「まぁ深い事は聞かないでおくとして、フィンジャックとイザベルは大人しくしてたよな?」


「あぁ、このふたりと違って大人しくしてたぜ」


「お、おい! フィンジャック」


「フルト、何も恥ずかしがる事はないぜ。俺たちなんか、冤罪で“パンツの中まで”疑われたんだぞ。人の信用って案外脆いよな」


「わ、悪かったよ」


 俺がフルトをからかうと、頬を赤らめる。


「お前たち。食事中にしていい話題じゃないだろ、さっさと朝飯を食え」


「そうですよ。まぁ、下手するとになりかねないので大目にみましょうか」


「アダムス、縁起でもないことは言うな。……特に黒魔術関連に詳しいエルフとドワーフの血を引くお前は特に」


 タングとアダムスの不穏な発言に、俺たちは身構えた。


「えぇ、昔ちょっと厄介な仕事をしてましてね。エルフの国でもドワーフの村でも顔が利くんです。……まぁ、“利きすぎて”嫌われましたが」


 アダムスはミルクティーを啜りながらとんでもない事を言った。俺達は冷や汗を流しながら朝食のパンをかじって彼の話を聞く。


「古代魔術に関する書物や魔法は禁じられてて詳細は分かりませんが」


 彼は前置きしてから、呼吸を整える。


「敵を洗脳して国を傾けた囚人もいれば、殺した相手の死体を使役する囚人もいました。そんな危険な魔術師を“戦力”として抱える国を、西側諸国がのです。何か裏があるでしょう」


「それは、お前たちもそうだろ? 古代遺物の発掘も本来は禁止だけど、とかじゃないか?」


「フィンジャックさん、鋭い指摘ですね。つまり、私達は死ぬかもしれないので後悔しないように思い出作りを楽しみましょうか」


 彼のにこやかなブラックジョークに、俺達は苦笑いするしかなかった。


 やるべきことは全部やる。イザベルと、この国を守るために。

 ローレンスを潰して、ようやく──“俺たち”の明日に進める気がした。


 俺たちの“決戦の準備”は、戦術よりも、覚悟を整えることだった。

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