2:この世にはびこる『ケモノ』たち

「鎧瀬さぁん、朝ごはーん」

「んぁい」


 台所に呼びかけると間の抜けた返事が返ってきます。

 鎧瀬さんはすっかり居候生活が馴染んでいますね。


 さて食卓にはスクランブルエッグにウィンナーとトースト。完璧な朝ごはんです。


「鐙瀬さぁん! 起きて下さぁい!」


 私もなんだか主人らしくなってきた気がします。

 この場合主従関係はペットと飼い主になりますけどね!



「主様、マヨ取って」

「はいどうぞ」

「あり」


 ――ん? この朝食にマヨの出番なんてあったっけ?

 疑問に思い、見つめた視線の先、鎧瀬さんはスクランブルエッグにたっぷりマヨネーズをかけ始めました。


「なんてことを……!」

「どしたん?」


 とぼけた態度で鎧瀬さんは私を見つめています。


「スクランブルエッグにはケチャップでしょう!? 百歩譲って塩胡椒ですよ!」

「なんだぁ主様よ、私の飯にケチつける気か?」

「それは作った人の台詞です! 卵に卵かけて食べるなんてどうかしてます!」

「焼きそばパン。ラーメンに餃子。チャーハンに半ライス……な?」

「なにが『な?』ですか。邪道ですよ!」

「これが美味しいんだ! ケチつけるなんてグルメハラスメントだぞ」


 鎧瀬さんは見せつけるようにマヨ塗れのスクランブルエッグをがつがつ平らげ、ウィンナーをトーストに挟んで自室へ逃げていきました。


「ごっそさん!」


 なんなんですかあの人。

 ペットどころかヒモじゃないですか。とんでもない居候です。

 ちょっと顔がいいからって私にお世話させて、そもそも『主様』としか呼んでくれないし、私の名前知らないんじゃないですかね?


 ――なんだかむかむかしてきました。乗り込みます。


「話はまだ終わってませんよ!」

「もがっ!?」


 部屋に乗り込むと、貧乏ホットドックを咥えた鎧瀬さんがベッドで目を丸くしてます。


「またごろごろしてたんですね!? 私は封月茉莉ふうづきまつり! 封月茉莉です!!」

「怒りながら名乗り出した!? どうした主様!?」

「あなたが名前を聞いてくれないからです! 封月ですよ。封月茉莉。暖かい声援を!」

「わかった、わかったから!」


 もうこれまでの私ではありません。

 いくらビジュが良いからといって鎧瀬さんに流されませんよ。



「蒸し返すようですが、主様と呼ぶ理由がわかりません。確か前に『お姫様』とも言ってましたよね? 諸々教えてください」

「そりゃあれだよ。百鬼夜行を召喚してただろ? この前のデイダラボッチもそうだ」

「召喚? あれは勝手に……」

「制御できてるかどうかは関係なく、封月様は異能を備えているんだ」

「異能……?」

「特異体質ってやつだよ。幻想と現実を繋ぐ『門』。穢物ケモノにも、私にも重要なものだ」

「むむむ……」


 わかるようでわかりません。


「幻覚災害のとき、妖怪達に祀り上げられていたのを覚えているか? 異能を持つ主様は、言わば〈穢物の姫〉なのさ」

「もののけ姫?」

「ケモノの姫だ。……さてはジブリ好きだな?」


 穢物とはその名の通り穢れた存在で、本来なら現世ではなく常世にいるべきものとのこと。鎧瀬さんはそれを祓うお役目なのだそうです。


「わかりやすく魔法少女で例えると、穢物がキュゥべえで、私がまどかって感じ」

「かなり特定の作品で例えましたね」

「あ、まどかはあんまり変身しないから〈ほむらちゃん〉のほうがいいか。んで、私に守られる立場の主様が、まどかちゃん。

 私と穢物は敵対関係で、『門』を巡って争ってるわけ」

「おぉ……」


 だいぶわかってきました。

 つまり穢物はこの世へ出るための門を求めていて、それが私であると。鐙瀬さんは穢物から私を護ってくれているようです。


「偶然巻き込まれただけだと思っていましたが、私中心にバトってたんですね」

「おうよ」

「では、鎧瀬さんは何者なんですか?」

「〈鎧瀬家〉は、古来より魔物を祓う職能に就いてる。歴史の暗部で主君に仕えた時代もあるんだぞ」

「カッコいいです!」


 ――なんだかわくわくしてきました。

 この時代に私のことを仕えるべき主君として護ってくれているなんて。

 自己肯定感上がりますね。


「でも堅苦しいですし、私のことは主様なんて呼ばなくていいですよ。対等にいきましょう」

「それもそうだね。これからはどんなときもを守るよ」

「アンタって……」


 都落ち甚だしいです。

 ともあれ。


「……なんだか寒気がしてきました。風邪ひいたかもです」

「あんたは赤くなったり青くなったり忙しいな」

「あんたじゃないです! 封月茉莉です! うわっ……」

「おっと、立ち眩みか?」


 抱き止められました。

 だらしなくても顔だけは整っててズルいです。

 ヒモ女にときめく自分が悔しい……。


「封月は朝から働き過ぎだよ」

「でも、家事が……」

「無理はしないほうがいい。体力を消耗してるはずだ」

「むー」


 鐙瀬さんが家事を手伝ってくれたらもっと楽なのですがね。と、言外に含んだ目で鎧瀬さんを見つめます。


「わーかったよ。私が働きゃいいんだろ?」

「できるんです?」

「バカにして。見とけよこの野郎」


 期せずして主人と使用人の関係が実現しました。

 果たして鐙瀬さんの家事能力は如何に。


 ――ちなみに私の体調はしっかり悪化していました。ガチ看病を希望します。



「しゃあっ! 私のフルコースを喰らえよ封月!」

「えっ、はい」

「先ずはデザートから」

「おかしいなぁ」


 鐙瀬さんは鍋を抱えて部屋に入ってきました。歩くたびにジャポジャポ言ってます。

 初手デザートなのもおかしいですが、大量の液体というのも謎です。フルコース序盤でお腹破裂しますよ?


「これを見ろ!」

「……水?」


 鍋の中身は透明な液体です。怖いくらい無臭でした。


「まぁ飲んでみてよ。はいストロー」

「ん、甘。……あっまぁ」

「封月茉莉、復活っ!」

「ふざけないでくださいよ! なんですこれ? 砂糖水?」

「そう」

「そうじゃないが」


 家の砂糖使い切ったとしか思えません。後で凍らせて保存します。


「私本当に体調悪いんで、冗談には付き合ってられませんからね」

「おぉ、わかってるって。次作ってくる」


 鐙瀬さんは鍋を抱えて台所へ戻っていきました。

 部屋を出る際に「これも本気だったんだが」と呟いていたのが聞こえて、甘いのは私の覚悟だったと後悔します。


 次の料理を運んできたのは二時間後のことです。このペースでフルコースは日を跨ぎますね。


「お待たせ」

「本当に待ちました。飽きたのかと」

「そこまで人でなしじゃない! 全力で調理したら時間かかっちゃっただけ」

「健気なこと言わないで……」


 不器用な優しさが心に染みます。


「ってことで、はい」


 皿に乗せられているのはおそらく卵料理です。が、焦げが目立って褒められた見た目ではありません。

 でもいいんです。私のことを思って鐙瀬さんが頑張ってくれた。出来ないなりに丹精込めた一皿です。食べます。


「へへへっ、美味……苦いや」

「ご、こめんな。やっぱりコンビニ行ってくる」

「ううん。優しさが美味しいよ。これは炒飯かな?」

「卵粥、だよ」


 焦げの苦味とざらざらした食感はキャラメルでしょうか? 噛み砕くとお米がネバネバします。

 鐙瀬さんの手料理を胃が受け付けません。口に運ぶ行為を本能が拒否しています。私の命が輝いてる……。


「不思議だね。食べる。食べさせて」

「お、おう」


 腕が痙攣している私を前に、鐙瀬さんは真面目に看病をしてくれます。

 卵粥をスプーンでパキパキと砕いて一匙掬うと、手皿を添えて私の口へ運びます。

 憂いを帯びた鐙瀬さんの表情……ビジュ、ビジュが良い。美女は全てを解決します。


「はい、あーん」

「あぁ〜、おぇぇ」

「うわ、無理するな」

「無理してません……あーん。あーんちてぇ」

「何と戦ってるんだ」


 背中を摩られながら、美女から食べさせてもらえるなんて。

 胃を騙せれば完璧なのに。ままなりません。


 ――食べたい。食べられない。う、うぅ……。


「ちょっ、封月!? 門が開いてる!」

「あーんして。あばば。あーん。あば、ばばば」

「壊れちゃった!?」


 戸惑う鐙瀬さんの背後に人影が見えます。

 誰だろう……美女の気配がします。


〈まぁ、愛しい主様。こないにやつれて〉


 ――今、『主様』って言いました?

 問いかけようとしたものの、私はもう声を出す元気もありません。

 体が芯から熱っぽくて、耳が詰まっている感じがします。


〈熱もある〉


 額に添えた掌がひんやりして気持ちがいいです。


〈ちょい待っときぃな〉

「あっ、おい! どこに――」

「あぶせさぁん」


 私は追いかけようとした鐙瀬さんの腕を掴みます。祓ってほしくない。なんだか悪い人じゃない気がするんです。


「よく見えませんでしたが、どんな方でした……?」

「封月が召喚したのは〈玉藻之前タマモノマエ〉だ」


 玉藻之前。平安末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物。妖狐の化身です。

 その容姿は美女とされ、一説にはとんでもない世話焼きとされています(諸説あり)。


「手を離せ。早く祓わないと」

「……せん」

「え?」

「祓わせません……この命に変えても……!」



 玉藻之前の名前は『たまき』というのだそうです。

 彼女曰く、〈お粥は消化に悪いから、病人に無理矢理食べさせる必要はない〉のだそうです。氷水と塩少々で薄めた砂糖水を持ってきて、残りは冷凍庫に入れてくれました。的確です。おかげですっかり良くなりました。


 次の日。


〈主様〜? 鐙瀬さぁん? 朝御飯の用意ができたでー〉


 台所から呼びかける声がして、私は「んぁい」と間の抜けた返事をします。

 食卓には環さんお手製のお味噌汁と炊きたてのご飯。おかずには沢庵と焼き鮭。御機嫌な朝食が並んでいます。


「マヨ取って」

〈はぁいどうぞ〉

「あり」

「ちょっと鐙瀬さん」

「どしたん?」

「ここにマヨの出番は無いですよ!」

「なんだぁ主様よ、私の飯にケチつける気か?」

「それは作った人の台詞ですってば! 環さんからも言ってやってください!」

〈うーん……うちは美味しゅう食べてくれはるなら気にせーへんよぉ〉


 母。

 懐の深さよ。


「っでもでも、この人はスクランブルエッグにもマヨネーズかけるんですよ! 卵料理に卵の調味料、わかりますか? 卵×卵なんです!」

〈んー、……そやけど主様。お豆腐に醤油かけるやろ?〉

「――っ!?」


 お豆腐に、醤油……?

 なにもおかしくない。

 論破された!?


〈うちはねぇ、食べ物に堅苦しい礼儀作法は必要あらへん思うねん。美味しゅう食べる。残さず頂く。大事なのって、食卓を囲む時間や思うねん〉

「は、はわわ……」


 そうか。私はだらしない鐙瀬さんに目くじらを立てて、視野が狭くなっていたんですね。反省です。


 環さん。貴女は私の母になってくれるかもしれない女性です。

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