1:主様ってなんですか?

 部屋の窓は眠る前に閉めたはずですが、生ぬるい夜風が肌を撫でています。


「んっ……」


 不快感に身動ぎをした私は眠い目を擦り、ぐらりと傾いだ体を片足の踏み込みで持ち直します。

 ベッドに横たわっていたはずなのに、何だか妙に不安定です。

 薄目をぼんやり開いてみると、直立した私の足が見えました。


「えっ、……道路?」


 不思議な状況に、脳が急速に覚醒します。


 私が立っているのは、夜の街のど真ん中。

 パジャマ姿で、裸足のままアスファルトを踏んでます。

 足の裏がじゃりじゃりする……。


「夢遊病……的なやつ……?」


 混乱した頭で事態を把握しようと試みます。辺りを窺うと、体感的には深夜のはずですが、その割に人気が多いような。


 誰もかれも、みんな裸足に部屋着です。

 何かがおかしいのではないでしょうか。


「むぅ、とりあえず帰りましょう」


 こういう時はもう一度眠るのが一番――そう気持ちを切り替えると同時、涼やかな鈴の音が〈りん〉と、背後から鳴りました。

 号令に従うかのように、私の脚が一歩前進します。


「あ、えっ?」


 戸惑う私をよそに、鈴の音が規則正しいリズムで繰り返されます。

 一歩一歩。りんりんと、私の脚は家から遠ざかろうとするのです。


「あばばばば……か、帰ります、帰らせて!」


 誰だか知りませんが鈴の音で操るのは止めて欲しい。

 私は上体を捻り、背後の気配へ懇願しました。

 ですが、後方に広がる光景を見て言葉を失います。絶句です。


 背後に立っていたのは頭巾で顔を隠したあまが二人。鈴の音は握られた錫杖しゃくじょうから鳴っていました。

 尼の後ろに牛鬼が並び、その後ろに妖怪の列が続いています。


 ――なにこれ、なにこれぇ!?


 二列に並ぶ化け物の行進。これはきっと百鬼夜行です。

 引きつった笑みを貼りつけたまま、ただ前を向きます。


 りん。と、一歩前進。

 りん。と、さらに前進。


「あ、あばば……あばばばば」


 このままじゃ帰れそうにありません。

 どこに向かっているんでしょう?

 なんで私が先頭なんです? 百鬼夜行を率いてるみたいで、悪目立ちしてませんかね?


「た、たひゅけ……誰か助けてぇ」私は泣きべそをかきながら助けを求めました。「たっけてぇ……けーさつ、警察呼んでぇ」


 泣きながら歩かされる私に向かって、突然空から声が届きます。


「今助けるよ! 主様!」

「ひっ」


 不気味な夜に突き抜ける、溌剌とした声。

 返答が来るとは思ってなかったので驚きました。

 流れ星のように、少女が上空から舞い降りて来ました。


「魑魅魍魎の百鬼夜行――やっと見つけたよ主様」

「あるじさま?」


 その人は、少し不思議な女の子でした。


 見覚えのない他校の女子制服に紺色のカーディガンを重ね着して、手には鞘に収めた刀を握っています。

 ただでさえ今夜は私の理解を超えているのに、余計に訳のわからない人が現れました。


 耳に掛かるくらいに切り揃えられた銀色の髪。

 整った顔立ちと凛々しい視線。

 固く結んだ唇は薄く小さく、とてもがいい。


「もう少しの辛抱だぞ主様よ」

「主ってナニ?!」

「なにもヘチマも、主は主だろ」

「人違いでは……」

「いや、私が主様だと確信している。安心しな」


 聞いても無駄ですね。

 意味がわかりません。


「話は後だ。悪いけど主様、口を閉じなきゃ舌噛むぜ」


 ――!


 彼女の纏う気配が鋭くなりました。

 こういう空気の変化って本当に感じ取れるものなんですね。


 鍔を挟んで左手に鞘、右手に柄を握り、こちらを睨む視線がぞっとするほど冷たいものに変わります。

 助けに来てくれたということは、後ろの妖怪達を斬ってくれるんでしょうけど……その、大丈夫ですかね。

 一番前に私がいるんですけど、一緒に斬られたりとか……?


 半信半疑。というか疑心暗鬼です。

 今すぐでも逃げ出したいのですが、鈴に操られているので脚が動けません。


「いざ――鎧瀬抜刀型八段アブセバットウガタハチダン岩戸千曳イワトチビキ〉」

「ぎゃあ!」


 眩しいです。あまりの衝撃に立っていられません。

 雷のような一閃が駆け抜け、遅れて稲光が轟きます。

 すわ斬られたかと思いましたが、私は無事みたいです。


 残光が消え、少しずつ視界が明瞭になると、私は恐る恐る振り返りました。

 列をなしていた化け物の行列は……すっぱりと一定の高さにいます。


 尼の二人は首を落とされていていましたが出血はありません。作り物のように中身が空っぽです。

 手に持っている錫杖が〈じゃらり〉と音を立てて滑り落ち、私は脚の自由を取り戻しました。

 後ろの牛鬼は鼻先から上を失い、呆けたように下顎を晒しています。だるま落としのように巨体が崩れました。


 ずらりと並んだ妖怪達の首と胴が泣き別れです。

 歩みを止めた百鬼夜行は、きらきらと霧散していきます。


「なに、これ?」

「『浮遊バクテリア』さ」


 いつの間にか隣に立っていた彼女が答えてくれました。


「ふゆーばくてりあ?」


 より詳しい説明を期待して言葉を反芻しましたが、彼女は何も言ってはくれません。

 舞雪みたいで綺麗……ですが、口に出したら不謹慎な気がしたので黙っておきます。

 文字通り一刀両断してみせた彼女の方が、妖怪よりよっぽど只者じゃなさそうです。


「でも、格好いい……」


 見惚れているうちに私は気が遠くなってきました。

 色々なことが起きたのですから、気絶したとしても仕方ないですね。



 〈大気中の極微細ヨクトコンピュータが暴走――〉

 〈世界で同時多発的に集団幻覚が発生――〉

 〈国内も交通機関は全て麻痺しており――〉


 病室のモニターはどれも同じ話題ばかり扱っています。

 あまりにも同じ映像ばかり見せられるので、故障してるのかと思ったほどです。

 変化があるのはニュースキャスターの顔と声、右上に表示されるテロップだけですね。


 そこにはこう書かれています――『世界同時多発集団幻覚E.V.E.N.T.』。

 あの一夜から始まった一連の騒動は、幻覚による災害なのだそうです。


 私はベッドに身を休めながら、モニターから流れる音声をぼんやりと聞き流します。


 幻覚が原因で正気を失う人の姿や、ホログラム広告が化け物へと変わる突拍子のない映像が、視聴者提供によってモニターに流れています。

 私が遭遇した百鬼夜行も『イベント《E.V.E.N.T.》』の一つなのでしょう。


 ――なんだか大変なことが起きてたんだなぁ。


 イマイチ実感がありません。

 なんたって気絶してから目覚めるまでの期間は延べ三ヶ月。幻覚災害の真っ只中で、私はずっと眠っていたのだそうです。

 精密検査を受け、晴れて退院です。


 病院を出て街を歩くと、幻覚災害の痕跡をいたるところで垣間見ることができました。

 二階に車両が突っ込んでいる住宅。半壊になったコンビニエンスストア。バリケードの設置されている団地。混乱により未だ手付かずとなった街の傷跡……。

 何より、ホログラム広告が全て撤去されていました。これはあれですね。自粛ってやつです。


「……あ、あの方は……」


 ふと、見覚えのある後ろ姿を見つけました。

 銀髪で紺色のカーディガンです。間違えようがないですね。


「あのぅ」


 我が声ながら消え入りそうな、聞こえたかどうか不安でしたが彼女は振り返ってくれました。


「おお、いつぞやの主様」

「お久しぶりです、主です。先日は助けてくれてありがとうございました」

「はっはっは。元気そうでなにより」


 微笑む彼女はやっぱり綺麗です。眼福です。


「えへへ……あ、聞きそびれていたんですけど、お名前を聞いても?」

「あぁ、私は――」


 名乗ろうとした声が途切れて、彼女の顔が険しくなりました。


「――穢物ケモノが来た。済まないがまた後で!」

「えっ、あの……!」


 彼女はそのまま駆け出していきます。

 気になることだらけですから、せめて名前は知りたいです。

 少し迷いましたが、私は病み上がりの身体で追いかけることにしました。


「はぁ、ひぃ、……ここは、さっきの団地?」

「ふぅ、付いてきたのか? 私ん家だ」

「へぇ……」

「ほぉ」


 バリケードの張られた集合住宅は景色がざらついて見えました。


「浮遊バクテリアが滞留してるせいで住めなくなってるんだ。……いい加減降りてこい!」


 後半の言葉は私に向けたものではありませんでした。

 彼女の視線の先、団地の屋上に大きな角を持つ人面鹿が見下ろしていたことに気付きます。


「シシ神様!? もの○け姫で観たやつです!」

「離れていろ主様。さっさと祓ってやる」

〈ほう、よもや余を祓うと宣うか。よもやよもやだ〉


 人面鹿が喋りました。


「あぁ? よーよーうっせーよ。ラッパーか?」

〈小鳥が囀りよる〉

「小鳥じゃねぇ。私の名は鐙瀬燈あぶせあかりだ。覚えとけ」


 ――はい。覚えときます。


 いつの間にか鎧瀬さんは刀を握り、一触即発の雰囲気です。

 この間合いで戦うとしたら私まで危ないです。


「急いで離れないと……あいたっ!?」


 見えない壁におでこをぶつけました。

 団地に結界が張られていて、出られそうにありません。


「あばば、あばばばは」


〈む、この娘……〉

「……門の異能だ!」


 鐙瀬さんと鹿さんの視線が何故か私に集まってます。


「主様、門を閉じるんだ!」

「モンってなに!?」


 急速に空が翳りました。

 何事かと見上げると、私の頭上に巨大な化け物が!


「で、デイダラボッチだー!!」


 巨大な化け物は拳を振り上げ、人面鹿に叩き込みました。強烈な一撃です。

 鹿さんは容赦なく消し飛びました。

 団地もです。


「私の家がぁぁぁ!」


 鐙瀬さんが取り乱しています。

 人面鹿の退治は出来たものの、被害が悪化してしまいました。

 幸いにもデイダラボッチはすぐに消えてくれましたが、失ったものは大きいです。


「あ、あの……なんかすみません」

「家が……」

「お、お詫びといってはなんですが、家に来ませんか?」


 肩を落としたまま、鎧瀬さんは私に付いてきます。

 無言は気まずいので話しかけます。


「か、刀はどこにしまってるんです?」

「自由に喚びだせるんだよ……」

「なるほど? では、私はなぜ主なんですか?」

「主様は、私にとってのお姫様ってこと」

「えっ、はわわ……」


 顔の良い女の人からそんなことを言われると照れてしまいます。

 共同生活。

 鎧瀬さんと。


 私のことを『お姫様』、『主様』っていうくらいだから、家事とかも完璧に熟せるんだろうなぁ。使用人みたいに私のお世話してくれたりして。



 三日後。


「主様ぁ、今日の晩飯なにー?」

「もう少しでカレーができます」

「やった、辛口でお願いするよ」


 七日後。


「もう鎧瀬さん! 洗濯物は放りっぱなしにしないでって!」

「んー」

「だらだらしないで……服がはだけてますよ」

「いいじゃんか減るもんじゃなし」


 鎧瀬さん……生活力皆無です。


 ――私がお世話するの!? 主様なのに!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る