をとめの姿 しばしとどめむ
天つ風 雲の通ひ路 吹ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
舞台が終わって、衣服を着替えて日常に戻る時、思うはその句。
この時ばかりは句を詠った僧正遍昭の心情が理解できる。
梓朝の姿を、声を、もっと聴いて姿を確かめたい。
僧正遍昭が「天に帰る通路を閉じてほしい」と願ったように、他人任せなハプニングで出来る限り一緒に居られるのならば、それはきっと天へと上る程の事の筈。
電車が止まるだとか、雨が降るだとか、そういう普遍的で...私が、何も悪くないものがいい。
梓朝と私を、あと少しだけ同じ場所に引き留めてくれるのなら。
舞台における"私たち"は死んでも、現実にいる私という存在が彼女と居れるなら。
それはきっと、自身でもわからない「私」という人間の、最高の喜びのはず。
「帳」
私と梓朝しかいない、ただの楽屋。私が上着を着ていると、不意に後ろから声をかけられる。
「どうしたの?」
そういって、私は振り返る。
梓朝はさっきまで居た鏡台から離れ、黒色の上着に身を包みながらこちらを見ていた。
舞台の熱が残痕のように感じる頬に、引き込まれるような綺麗な瞳。
まるで、天女のような。
本来、私には届かないような。
「なんだかぼーっとしてるね」
「...ぇ?」
私はそんなあっけらかんとした声を思わず出してしまう。
梓朝は、そんな姿が面白かったのか少し微笑んだ。
「舞台終わってからずっと。今日は疲れたの?」
声は、次第に心配そうなものへと変化していった。
私を撫でるように、労うように優しいもの。
「...あぁ、疲れっちゃ疲れたけど」
"じゃあなに?"と訊かれたら、私は答えれる自信がない。
無意識的な疲れ、不安、そういったものが私を押しつぶそうとしている。
今日も舞台は終わった。
けれどそれは、同時にその物語に存在した"私"というキャラクターは霞が如く消えた、ということ。
あんなハッピーエンドを迎えた、知らないどこかの私。
羨ましいと思うし、物語に存在してていいなとおもう。それが私という人間であっても、物語上に居るだけに過ぎない。
まるで、レールが元から敷かれているように、全てが順調、それか幸せなハッピーエンドに終着する。
それが妬ましくて、羨ましくて、嫉妬して、私もそうたりたいなって。
物語の私は、自然と望む前から全てが敷かれてて、苦難があってもきっとどうにかなってる。
それは、きっと私と梓朝から見れば何よりも夢見るもの。
"あの人"がいない限り、私達は変われない。
現実は冷たくて、障壁があってもストーリーが助けてくれない。ぶつかり続けて、自分で突破しないといけない。
存在しないストーリーは、まるで私たちを勝手に幸せへ運んだりをしようとしてくれない。
現実は苦難であり、最大の敵だ。
物語の"私"という存在は、きっとわかっていない。
羨ましくて、許されざるもの。
けれど
「全然、大丈夫だよ」
結局のところ、自分に嘘をついて、全員に嘘をついて、どこかの私を妬むことしかできなかった。
私という人間が、誰かがわかるが分からない。
誰かが夢見た私と、物語の一種の"私"、現実の私。
それら全て、他人事じゃない"私"という存在のパーツのように感じれる。
正解は自分にはなくて、きっと全員死んでいない。
梓朝だけが正解で、私の意味。
「...帰ろっか」
梓朝は少し黙り込んだあと、そういってこちらに腕を差し出した。
あまりにも優しくて、あまりにも追いつけない。
嗚呼
天つ風よ、今こそ吹いてくれ。
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