狂気の特異点
虚数遺伝子
ブラックホールの中にいる少女
世界は光と闇。
近未来の都市は輝かしく眩しい。けど、輝きはいつだって誰かの不幸で成り立つものだ。
少年の、目の前にいるこの少女のように。
どうして少女を助けようとしたのか、少年は何度も心で自分に問いかける。腰が抜けて血の溜まりにべちゃりと座り込んで、ビームソードの刃先を輝かせる少女を見上げる。
彼女とは同級生だ。彼女とはクラスが違うし自由選択科目も当たったことがない。ただ大手の技術開発会社のお嬢様であることと、端正な顔立ちで高嶺の花と、よく噂を聞く程度だった。顔を合わせることすらなかった。
はずなのに。
どうして彼の前にいて、彼を遊びに誘った二人の先輩を一瞬で殺したのか。後ろに二体の、数分前まで人間だった躯が首を失った状態で倒れ、水溜まりはそれらが流した血だ。
ビームを出したままの槍を握って彼に歩み寄る少女。彼女は整った顔に付けた返り血に無頓着で、腰を屈めて槍を握っていない手でそっと少年の顔に触れた。
「シオン君。こんなに震えてて、かわいそうに。わたしが来たから、もう大丈夫だよ」
「き、君は……いったい、何をしたんだ……」
「何をって……、シオン君を探しに来たんだよ? せっかく、開発室にこんなたくさん便利なものがあるから、シオン君のために使ったの」
少女は笑顔でポケットからチョコボールのような機械を出して、シオンに見せる。その機械は記憶した人物を自動的に追尾する。戦争であれば役に立つが、輝かしい近未来の世界ではプライバシー侵害とされて、開発はされたものの販売は断念された、都市伝説の品だ。
「僕をストーキングしてたのか?」
「うんっ。だって、シオン君は優しいから。何かのトラブルに巻き込まれたらどうしようと思ってた。で、正解だった。シオン君にちょっかいを出した二人を始末。これで大丈夫だよ。ふふふ」
少女の名はネネ。可愛らしい名前とは裏腹に、狂気の持ち主だなんて、シオンは知る由もなかった。
「顔が冷たいね。こんなに怖がってたなんて……」と彼女は艶やかに笑うと、彼の冷たい唇に口付けする。
どうしてこうなったのか、彼はもう一度自分に問うた。
シオンは人当たりがよくて、‶お人よしのわんこ〟とクラスメイト達に親しまれているが、人との付き合いに疲れた時はよく一人で屋上へ行った。
二人の出会いはそこだった。
乱暴に開かれたドアに、シオンはびっくりして目を向けた。すると、いつも話題の中心にいる少女が、ふらつきながら現れた。
身体が先に動いた彼は倒れそうになる彼女を受け止めた。彼女がベンチで横になるのを手伝うと、そっと離れようとしたが、裾を掴まれた。
「待って! もう少し……ここにいて」
彼女のそばに座り直す。思えばこれも癖だったかもしれない。弱まっている少女を一人にできない‶お人好しモード〟発動。
一人で寂しいからか、彼女は話をかけてくる。
ネネは実家の跡継ぎで厳しい教育を強いられて、誰の前でもいい子でいるように振る舞っていた。そのせいで心身ともに疲弊した。
周りに合わせなければならないと、シオンは彼女に共感してしまった。
「僕で良ければ、いつでも話す相手になるよ」
「ふふ、ありがとう。シオン君」
「え?」
いつ名前を教えたのかと思った瞬間、彼女は彼に近付いて唇を重ねてきた。女の子のいい匂いと柔らかい感触に、気持ちが軽くなって、疑問も吹き飛ばされそうになった。
鉄臭い味が無情に口から流れ込んでくる今と、全く違う感覚であった。
「……っ、やめてよ!」
その味に吐き気を促され、彼女を突き飛ばした。すぐに我に返って、おそるおそる少女を見る。
「……ふふ。シオン君もこんな顔をするのね。でももう私を拒絶できない。何故なら、シオン君にもたくさんの血がついてるから」
「僕じゃ……僕じゃない!」
「うん、シオン君じゃない。わたしが殺したから。でも今のままじゃバレるよ」
「お前がやったって……言ってやる!」
あらあら、とネネは彼女を威嚇する子猫のような彼を、槍の持ってない腕で抱き締める。
「いいの。でもシオン君は、わたしのそばにいる方がいいよ、ね? 絶対に、誰にも、傷つかせないから……。ふふっ。シオン君をすぐ見つけられるから、安心して?」
「安心なんて……できるもんか!」
彼女を押しのけて立ち上がると、眩暈でふらついて、ぐにょっと死体を踏んでしまう。うわって情けない声を上げて、息を荒げた。
「大丈夫だよ、シオン君。バレないから」と彼女は槍を振りかざすと、槍の両端はぶんと音を立てて、ビームソードを出す。
「さっきから大丈夫大丈夫って、人を殺してるんだぞ、お前は!」
「ん? シオン君のために殺してるんだよ? こうして、ビームで焼けば証拠も残らない」
「なんで殺してんだよお前は……!」
死体を処理し始めるネネは手を止めて彼を見る。質問に少し不思議そうに首を傾げる。
「シオン君が好きだから」
「なんで僕なんかが好きなんだよ。意味がわからないよ!」
「僕‶なんか〟じゃない。わたしの話し相手になってくれたこと、わたしを一人にしなかったこと。噂通りの人だった。自分を押し殺してるところが、わたしに似ている」
甘い告白の言葉は、死の狭間にあまりにも相応しくない。シオンは未曾有の嫌悪感が湧き上がる。
「誰が……お前みたいな殺人鬼と……! ふざけるな! もう二度と、僕に関わるなッ」
「……うん、わかった」
言い放つとすぐさまに殺されないかと、逃げる準備をしたシオンだが、逆に落ち込んだ彼女に拍子抜けした。
「ごめんね。シオン君にもう近付かない。でも、一つだけいい?」
「……なに」
「まもらせて」
視線が合ってしまった。見つめてくるネネという少女の瞳はまるで、少年を吸い込もうとするブラックホールのようだ。
狂気の特異点 虚数遺伝子 @huuhubuki
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