蟲を喰う
彼辞(ひじ)
第1話 ナメクジ
雨の朝だった。
窓の桟にうっすらと苔が生えて、風が吹くたびに黒板が湿ったように光った。
僕の席は、そのいちばん奥。誰の視線も届かない場所だった。
「これ、食べたら許してやる」
篠崎がペットボトルのキャップを机に置いた。
中には小さなナメクジ。
灰色の背がゆっくりと波打っている。
その動きが、まるで息をしているようだった。
笑いが起きた。
僕は笑えなかった。
でも、首だけは縦に動いた。
なぜか、そのほうが楽に呼吸できそうな気がした。
舌に乗せると、ぬるりとした冷たさが走った。
塩の味。
土の匂い。
喉を通る瞬間、体の内側で何かがはじけた。
笑い声が上がり、誰かが机を叩いた。
僕の涙は笑い声に紛れ、誰にも気づかれなかった。
放課後、腹が痛んだ。
洗面所で吐いたものの中に、灰色の筋のようなものがあった。
ほんの少し、動いたように見えた。
保健室の先生は僕の顔を見て言った。
「どうしてそんなことするの? 冗談に決まってるでしょう」
声はやさしかったけれど、目は窓の外を見ていた。
夜、母は電話の向こうの声にうなずきながら、僕を一度も見なかった。
「悪ふざけだって。反省しなさい」
その言葉の途中で、僕は笑った。
笑うと、喉の奥がぬめり、音がした。
まるで中に誰かがいるように。
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