第3話 王女セレナ ~その視線の先に~
いざ宮中に乗り込んでみれば、予想通り、始まった舞踏会は名ばかりのそれ。楽曲こそ数人の楽士が奏でる異国情緒とでも呼ぶべき雅なものが流れてはいた。
「誰も踊る様子はありませんね、ご主人様」
クレアの言う通り。人数は十分に揃っているにもかかわらず、貴族たちはただ演舞場を遠巻きにするだけ。肝心の王弟を探させてみると、鷹狩に出て不在というあまりに不自然な答え。しかし先日の一件で十分俺の態度は伝わっただろう。遠慮する必要はない。
誰もが見放した舞踏会に、王都に入った際に遠目に見た少女と同じ、長い銀髪の持ち主を見つけた。
「あちらはセレナ王女。フロリア王国の……、第一王位継承者でいらっしゃいます」
クレアが俺の視線の先に気づく。いささか幼い、無力な少女。しかし、こんな状況でも強い意志を持った瞳が俺の心を捉える。置かれた境遇に満足せず、抗い、乗り越える強さを、俺はそこに見出した。
(これは本物だ。過去に現場を共にしてきたどの女優とも瞳の奥、意志の力が違う。彼女が踊れば流れが変わるかもしれない)
魔法石が嵌め込まれたシャンデリアの淡い光が照らす無人の演舞場。俺はそこをゆっくりと横切っていく。無人の舞踏場へ誘い出せれば、王女は一躍この場の主役になる。
俺はそのまま王女の前に進み出て、深く一礼。演奏がピタリと止まった。異様な静寂に包まれる中、俺は王女を見据えてこう切り出した。
「ブラックランド公ウィリアムと申します。どうか一曲、ぜひ私の手を取って頂きたいのですが」
突然の誘いに戸惑う表情を浮かべる王女に、俺はすっと腕を差し出す。ダンスのステップはしっかり沁み込んでいる。いまこそ、その成果を発揮すべき時だ。そしてこの瞬間、貴族たちの唖然とした顔が軒並み俺を向いているのを感じていた。
熱気のない冷めた静寂の奥で、貴族たちの抑えた囁き声が始まり、中には俺を指さす者さえ出る始末だった。あからさまな敵意の視線が混じっているのは、王弟に近い貴族のそれだろう。
「……誰も私のことなど、……気にもしないのに……」
王女は呟き逡巡する。突然のことに、心なしか緊張で強張っているようにも見えた。ずっと一人だった舞踏会の場で、ただ一人俺だけが進み出た。その事実をまったく信じられないとでもいった顔をして俺を見つめている。
(ここで断られたら、次の機会は格段に難しくなる。どうか手を取ってくれ……)
なおも怪訝な表情を残しつつ、王女はついに意を決して小さく首を縦に振り、やがて俺の手を取った。一段高い玉座のある場所から演舞場の中央へ降りる。王女の指が俺のそれに絡む。
「本当に私と、ここで踊るのですね?」
この期に及んでもなお不意の誘いに疑念を抱いているらしい王女。俺は力強く、そして静かに頷いた。
(舞台に上がってしまえば、この場の主役は王女自身だ)
シャンデリアの魔法石が発するクリーム色の光の中、俺と王女は踊り始める。その様子に、慌てて演奏が再開された。まさか踊り出す者がいるとは思っていなかったのだろうが、踊りが始まってしまえば彼らも何もしないわけにもいかないのだろう。
「もっとこちらへ。真ん中で踊れば、シャンデリアの光がもっとも美しく殿下を照らし出しますから」
王女は最初こそおそるおそる俺に合わせていたが、すぐに自身のすべきことを理解したらしい。いまこの場で必要なのは、舞踏会に相応しい踊りを見せること。王女の動きはリズムに乗り、腕で、足で、全身でそれに合わせていく。
舞踏会で踊り始めた者が現れたことで、多くの貴族は口元を押さえて黙り込み、何人かは足早にその場を去っていった。その顔ぶれを目で追うクレアの姿が見える。
そんなことなど気にしないとでも言うように、王女のドレスの裾は華麗に舞い、円を描きながら演舞場を彩っていく。その顔に幾ばくかの笑顔すら浮かび始めた頃合いを見て、俺は王女の耳元でこう切り出した。
「王女殿下。この国の未来を……、自身の未来を、その手に掴みませんか?」
一瞬王女の動きが止まり、鼓動の高鳴りが俺にも響いてくる。しかし俺は強引に楽曲に合わせるようにその体を誘う。動きを止めれば舞台が止まる。
俺と王女は付いては離れ、離れては付いて、曲のフィナーレとともに演舞場の真ん中でピタリと止まった。踊りの勢いが乗った長い銀髪が、ふわりと俺の腕にかかった。そこには、初めてのダンスの誘いに喜ぶ年頃の少女がいた。一瞬俯き、再び顔を上げて俺を見て囁く。
「そのお話……後日改めて、伺いましょう……、ブラックランド公」
王女の鼓動は、打つ速度を速めていた。ダンスが終わっても、しばらく絡めた手を離そうとしない。賞賛からも称揚からも見放された者が、ようやく見出した可能性。
「ええ、ぜひともお話しさせて頂く機会を賜れれば、身に余る光栄に存じます」
彼女は上気した顔で俺を見つめていた。ちらりとクレアに目をやると、見守るように小さな笑みで俺たちを見つめていた。安堵と寂寞の入り混じった笑みで。
「誰も私を見ない。それが当たり前だとずっと思っていました……、でも……今日は違いました。だから私も……、変わりたい、変えていきたい……」
王女の声は途切れつつも、俺の手を取ったことに対する自分なりの答えを見つけたようだった。その瞳は、なすすべなく立ち尽くしているだけのそれではなく、確かな一歩を踏み出したように見えた。それは開くことのない物語の表紙がめくられた瞬間にも近い。
今日はここまでだ。この場でできることは、もう十分やった。
「そろそろ戻りませんと……、ほら、貴族たちの目が釘付けですよ、王女殿下」
惜しむようにゆっくりと絡めた指を離し、王女はようやく、何度か俺を振り返りつつも、元居た場所へと戻っていった。
「……王女殿下、とても嬉しそうに踊っていましたね。ご主人様」
クレアが俺を見る。その表情は、感情を読み解くのが難しい笑みだった。彼女が一瞬だけ王女に視線を向け、次いで俺の手をじっと見つめる。王女の手の温もりだけが、確かな現実として俺の手に残っていた。
◇◆◇
宮中舞踏会から数日。一通の勅許状が俺のもとに届いた。内容は、王女の私的顧問として七日の内二日、王城に登城することを許すというものだった。
「最低限の手続きは、まだ生きているんだな」
俺は蜜蝋で封をされた巻物状の手紙を一読して呟く。
「まだ、国として死んだわけではありませんからね」
執事兼メイドのクレアはおどけて見せる。
「いずれにしろ、俺はこれで堂々と王女に会いにいけるわけだ」
心の内で一息吐く。王家の遠縁とはいえ、政治の実権からは遠ざけられている、有力とは言い難い立場。このブラックランド公爵家は、名前の仰々しさとは裏腹に吹けば飛ぶような、そう、王女並みに力のない家。大義名分は重要だ。
「ご主人様。それは素晴らしいことですね! きっと、王女殿下に気に入られたのでしょう。舞踏会では、それはもう名残り惜しそうにしていましたし……」
彼女は何か言い出しづらい言葉でもあるかのように言葉を濁す。
「……王女殿下も、ようやく理解者を……、いえ、これは出過ぎた事でした」
クレアは軽く目を反らす。
「そうだな。もう王女殿下は一人ではない。それを伝えに行こう」
俺は頷くと、さっそく登城の準備を始める。違和感の正体は追って探るとしよう。いまはささいなことに気を取られている場合ではないのだから。王女を窮地から救い出す。そのための筋書きを、俺は必死に考えていた。まず最初の舞台を創り上げる。それだけだ。
――次幕、初演。
王女セレナは小さな舞台で成功を掴む。
―――――――――――
【ウィリアムの幕間メモ】
セレナ王女。いまはまだ未熟だが、観客とともに成長していくことだろう。
彼女のために、どうか声援(=応援コメント)を届けて欲しい。
観客席にいる限り、君はそれを見届けることができる。
毎夜20:05、舞台の幕が上がる。
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