第10話 ハナダという痕跡

午後6時


僕は服を着替え、そして供え物の食べ物を拝借して家を出た。そのころにはもう陽も落ち始めて、街灯のない田舎のあぜ道は陰に包まれつつあった。

僕は行く当てもなかったので、家族の墓を見に行こうと考えた。何か手がかりがあるとも思えなかったが、何となく僕は僕について知る必要があると感じた。


寺までは電車で2駅移動する必要がある。いつもは車での移動だったが、今は移動手段は電車かバスか、徒歩になる。目的の駅で降りると15分ほど歩いて、寺の入口に立った。

お経なんかで成仏させられたらどうしよう……なんて少し不安になりながら墓の立ち並ぶ一角、カワゾエ家の墓の前に立った。


しおれた花と短くなった蝋燭、くすんだ墓石は時間の経過を僕に知らせるには十分な光景だった。そして墓石の横には、僕の名前が彫られている。

ああ、間違いなく僕はすでに墓に入っている。そしてこれが死後一日で起きることではないのは、明白なことだった。


僕はこの事実をうまく受け入れられずにため息をついた。

さて、これからどうしようか?そういえば、死んでからずっとため息をついている気がする。


視界の端で何かが動いている。それは、墓地に隣接した畑の先で僕に手を振っていた。蔦を伸ばした小玉スイカの中に一人の男性がこちらに向かって手を振っている。


「おーい!カワゾエくん!」


いったい誰だろうか、僕にはとんと見当が付かない。


彼は息を切らしながら近づいてきた。遠目で見るよりも小柄な男性だった。


「いやいや、今年も来たんだね。去年は様子がおかしかったから心配したんだ」

「去年?やっぱり僕は死んでから数年たつのか……」

「何?どうしたんだ?」

「いや、僕は昨日死んだはずなんです。だけど、カレンダーもお墓もどうにも一日では済まないような時間の進み方をしていて」

「なんだそれ」

「それがさっぱりで……それで、あなたは?」

「あなた!あなたって、そりゃないよ……まあ、覚えてないようじゃ仕方ないね。ハナダだよ。ヨウジロウだ」

「ハナダさん……だめだ、全く思い出せません」


ハナダさんはほんの少しだけ寂しそうな顔をしたが、肩をすくめて「仕方ない」と呟いた。


「これまでの僕の様子はどうでしたか?何か手掛かりが欲しくて」

「手掛かりってもな……君がここに初めて来たのは、2年前。どうにも家には帰れない、ってぼやいてたな。それから、去年もここにきて、墓をボーっと眺めていたよ」

「そうですか」

「それから、まあ、月並みと言えば月並みなんだけど『もう一度やりなおせたらな』って話をしたよ。二人で、そこに座ってね」


ハナダさんはそういって寺の縁側を指さした。


「今日はもう遅いから、墓地を出た方がいいよ。リーパーが出るからね」

「ここにも出るんですか、東京でも会いましたよ」

「大抵、どの墓地にも一人はでるよ。俗世では足りなかったんだろうね」

「足りなかった?」

「あれ?知らないのか?いや、覚えていないんだったね。リーパーは、大抵が人殺しだよ。恐ろしい」

「人殺し」

「ここに来るのも、僕が子供のころに新聞に載ってたよ。確か政治運動でなんとかって」


話していると、砂利のはじける音が聞こえた。


ハナダさんは身体をかがめると「噂をすれば、だな」と言ってゆっくりと畑の方に歩き始めた。


そして僕らは、畑を抜けて小川の近くに座り込んだ。


「リーパーは大抵、墓地からは出ない。どういうわけだか、何かルールがあるのか。まあ、とにかくここは安心していい」とハナダさんは言った。


「それで、僕の様子ですが」

「ああ、去年のカワゾエくんは、そうだね。何か思いつめたような感じで。の話をしていたよ」

?僕が死因を特定したってことですか」

「うん、そうみたいだね。それから、すごく悲しそうな顔をしてた」


そうか、僕はすでに目覚めているはずなんだな……


「それから?僕はどうしたんですか?」

「うん、それからはさっき言ったように『もう一度やりなおす』って話をして、海に向かって歩いて行ったよ」

「海?」

「うん。そこの海岸線さ」


そう言うとハナダさんは、小川の先を指さした。


それから「行ってみるといいよ。夏だし、多分、それなりに集まってるんじゃないかな。ほら、みんな肝試しとか好きだから」と言って笑った。


僕はハナダさんと別れて、小川に沿って歩き始めた。そのころにはもう辺りは真っ暗になっていて、あぜ道を歩くのには心細かった。

すると、徐々に街灯が増えていき大きな道に出た。開けた道の反対側には、砂浜と海が広がっていた。

ハナダさんの言う通り、浜辺には十数人ほどのがたむろしており、それが死んでいるのかどうかの見分けは遠目にはつかなかった。


浜辺に続く階段を降りていくと一人の男性が僕に気付き、駆け寄ってきた。


「おお、うまくいったか?」と彼は僕に話しかけた。

僕が「ごめんなさい、覚えていなくて」というと、彼は嬉しそうに「そうか!よかったな」と言った。


一体、どういうことだろうか?


「すみません、状況が分からなくて」

「ああ、そうだよな。覚えてないんじゃ仕方ない。お前はができるんだ。まあ、その様子だと記憶を失うだけでうまくコントロールできてないみたいだけどな」


やりなおし?いったいどういうことだろう?


「左手、出してみろよ」

僕は彼の言うとおりに左手を出した。

彼は、水の中から貝殻を取り出すと服で拭きとり「ほら」と僕の手のひらに載せた。

それから「右手で包んで、ゆっくり手首を回すんだ。こうやって」と僕の左手首をねじった。


すると手の中が濡れていくのを感じた。

そして手のひらを開くと、そこには水にぬれた貝殻が載っていた。


彼は貝殻を手のひらから拾い上げると「もっと回せば、生き返るところまで行くかも、ってお前は言ってたよ」と言って海に投げた。


「それで、まあ、生き返るまではいかなかったんだろうな。記憶が消えてるんじゃ分からないわな」と笑った。


僕は自分の手のひらで起きたことが全く理解できずに、目を丸くしていた。


彼はそれに気付いたのか「信じらんないよな。俺は、死んでから4年も経つのにまだなーんにも目覚めてなくてさ。お前のそれ、すげー!って、みんなで驚いたよ」と言った。


「僕は、いつからこれができるようになった、とか言ってましたか?」

「さあ、どうだろう……去年のことだからあまり覚えてはいないけど、たしか恋人のことでなんとか言ってたような気はする」

「カズヤ?」

「いいや、名前までは分からないよ」


彼は頭を掻いて苦笑いした。


「まあ、とにかくお前が無事で安心したよ。じゃあ、楽しんでな」


そういって彼は僕の肩を叩くと友人たちの元に走っていった。

こうして僕は、期せずして自身のを知ったのだった。

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