均衡機関バッグラドグラ ~記憶を奪われた悪魔の少年~

みずしろ

第一章セイ・カボルト

第1話 炎の記憶、塗り替えられた名前


 俺は、炎で満たされた地獄のような教室を見渡す。

 焼けた机と椅子。

 割れた窓ガラス。


 あッ。俺が、やったんだ。


 やってしまった。

 ずっと恐れていた事が起きてしまった。

 全身の血液が熱を運び脳すら蝕んでいく。

 体は燃えておらず、服だけが焦げ臭い煙を纏っていた。

 朝のチャイムが、焼けた机の下でまだ鳴っている。

 さっきまで俺はクリスマスのプレゼントで悩んでいたのに、なんなんだこの現実は。


 お願い、助けて……誰か記憶を消してよ。


 願いは煙に溶けていく。


 炎が、突風に煽られ空気が変わる。

 光が、願いを叶えるように放たれた。


 ぼんやりと霞む視界の奥。

 燃え上がる教室の奥で、白い光が形を成していく。


 《白い扉》だ。


 汚れも穢れもない、純潔の白。

 《白い扉》は『ここが逃げ道だ』と告げるかのように、圧倒的な存在感でそこに居た。

 すがるように手を伸ばす。


 この地獄から助けてくれるなら、なんだっていい。


 感情に呼応するように。

 《白い扉》が突然開く。草の香りと潮風、眩い光、そして。


「やっと見つけた!」


 場違いな明るい声が、燃える教室で響き渡る。

 声の主を見上げると、逞しい腕に体を包まれる。

 小さな体は扉の向こうへ引きずり込まれ、視界が反転。

 残されたのは、黒い煙と空気を走る緑だけ。

 ここで、意識が飛んだ。




▼▼▼




「瀬戸内秀斗(せとうちしゅうと)だね!」


 知らない誰かが俺の名前を呼ぶ。

 ぎゅうと抱き締められると、朧気だった意識が戻っていく。

 なんで抱き締められた? お前は一体誰だ?


 “尻尾が”天を向き、“鱗”が逆立つ。


 思いっきり突き飛ばした。


「やめろ離せ! 触るな……! 来ないで!」


 声が裏返って息が苦しい。

 体が全てを拒絶して、心臓がうるさかった。


「もう全部、どうだっていいんだから」


 しゃがんで腕で頭を覆った。

 吐き出しそうなほど息が苦しくて、息が漏れないように喉奥を締める。頭をグシャグシャに乱してもなにも変わらないのに、爪で皮膚を引っ掻いていた。

 足音が近づく。

 草花を柔らかく踏み込む足音。

 そよぐ冬風に、柔らかな声が乗った。


「記憶を消してほしい?」


 ハッと見上げる。

 かわいらしい童顔の、赤い目を見た。

 赤い目はまるで血のようなのに、春の暖かさを放っている。

 そうだ、俺はそれを望んだ。


「それとも」

「消して……お願い……」


 しゃがむ“彼女に”すがり付き、袴の袖で顔を隠した。


「このままじゃ、でもだめで、おれ、今すぐ、飛び降りたい」


 言葉にすれば意味不明な意思。

 自分ですら何を言っているかわからないのに、その人は頷く。


「改めて、俺はサラ。記憶を消すことはできるけど、同時に名前も変えなくちゃいけない」


 サラの手が背中を撫でる。

 その手は大きくて、暖かかった。


「魂をいじっても罪悪感は消えない。それでもいい?」


 何度も何度も頷く。

 はやくして。ねぇ、お願いだから。


 これが合図だった。


 サラの手から青い光が波紋のように広がる。

 まるで海の中のような光が、炎の揺らめきと共に放たれた。

 直後。

 記憶にガラスのような亀裂が入る。

 胸の奥で、焼き印のような熱が走った。


「やめ」


 世界から音が消えた。

 抗おうとした。

 けれど、神経にノイズが走ったように体が動かない。

 視界は青い光一色に包まれた。


「今から新たな名を授ける──《セイ・カボルト》」

「ちがう!」


 やめて怖い。俺が生きていていいわけがないのに、どうして記憶を消してって望んだ?

 頭の中で崩れていく記憶に叫んで抗う。

 なのにぽろぽろと記憶が溢れ落ちて。

 拾う前に消えていく。


 ───俺の、名前は。


 遅かった。


「……セイ・カボルトだ、いいんだ」


 頭の中が静かになった。

 緑で満たされた記憶は、“赤い記憶”へ音もなく塗り潰されていく。


 燃える教室は『燃えた木の光』へ。

 焦げた合成繊維の匂いは『木の焦げ臭いにおい』へ。

 そして『今日はとても晴れた心地よい冬の日だった』と。


 胸の奥で激しい熱がすっと消え去る。

 逆立っていた尻尾の鱗も落ち着いて、たらりと垂れていた。


「急にどうしたの?」

「俺は友達を……あれ? 今何を言おうとしたんだっけ俺」


 首をかしげた。

 サラは俺を下ろしながら、優しく問いかけた。


「“セイ”ちゃん、さっき何があったか思い出せる?」


 その声に導かれるように思い出す。


「学校の裏山、燃やしちゃった……」


 手のひらを見た。この煤は誤って木に触れてしまって、雷に撃たれたように燃えてしまった証。

 ──そうなのか?

 違和感に言葉が止まった。

 頭の中で記憶がせめぎ合う。なのに、違和感はすぐに消え去っていく。


「そうだよ、俺が燃やしちゃった」


 自分の言葉に頷いた。


「必死に逃げたけど、火が強すぎてかこまれて……そしたら、お前の《白い扉》が、あって」


 そうじゃんお前じゃん、俺がこんなところにいるのは。

 サラをギッと睨み付ける。


「そしてお前に誘拐されたんだ」

「そうだね。“人間の世界でたった一人の悪魔”が共に生きるなんて、危険だからね」


 悪魔って、今さりげなく言われた?

 立ち上がり己の角に触れる。

 五歳の時生えた角と尻尾。

 父さんと母さんは「セイはセイだから」っていつも笑ってくれて。

 あれ? そういえばどうして俺の名前は日本人離れ──。

 目を塞ぐように、記憶を塞がれた。


「“電気の力”は我慢すればするほど、突然爆発しちゃうよね」

「なんで知ってるんだ、まさかずっと見てた?」

「うん、とても綺麗な稲妻だったよ」


 びり。

 視界に小さな光が走る。

 離れようとしたのに、サラの手が腕を掴んできた。

 離せと言いたかったのに声が出ない。

 離したかったのに、俺の力でもサラには勝てない。

 フッと、胸の内側が冷えていく。まるで水を注がれ鎮火するように、熱と光が消え去った。


「ッ、今」

「俺が止めた」


 このヒトいったい何者なんだ。


「俺となら、その力を制御できる訓練ができる」


 サラの目が、真っ直ぐ向いた。


「セイ・カボルト、どうか俺と居てほしい」


 一歩、足を下げ警戒を示す。

 改めてサラを見る。

 赤と紺の袴、黒髪のポニーテール。

 かわいらしい童顔に、女性にしては筋肉質で大きな体。

 そして、血のような赤い目。


「全力で守り抜くよ。君に嫌われることばかりしたけれどね」


 重たい声とはあまりに離れた、優しい顔だった。

 一瞬、口を閉ざす。

 目が揺らぐ。心も揺れる。


「帰りたい……」


 サラは静かな声で言った。


「帰っても、君の力はそのうち被害者がでる」


 手のひらを見た。

 煤だらけの手。

 わかってる、俺ですら“俺”から逃げている。


「うるさい、わかってる」


 アンタは信じられないけど、俺の力を簡単に止めてくれた。

 だったらさ。


「サラ」


 サラは嬉しそうな笑顔を見せていた。

 多分、俺がはじめて名前を呼んだからだろう。


「アンタなら、本当に制御できるのこれ」

「もちろん! やってみせたでしょう?」


 サラに腕を掴まれた感覚を思い返す。

 鎮まっていく心地よさ、熱い体内を冷やす水のようなあの感覚。

 本音を言うなら、アレぐらい制御できるようになりたい。


「この力、どれぐらいで制御できる?」

「うーん、一週間は欲しいね」


 帰って、布団に潜って、寝て、全部夢でした、で終わりたい。けれどあの熱は本物だ。

 ズボンを固く握る。

 今は我慢しろ俺、誰も傷つけないために。


「サラ、取引だ」


 覚悟しろ、俺。


「一週間、俺に教えろ。お前を信用できないって判断したら、すぐに家に帰らせろ。じゃなかったら、俺の父さん、警察を呼ぶ!」


 これは俺の最強の盾だ。

 父さんの威を借る小僧にはなりたくなかったけど、実際効果はありまくる。

 サラは呑気に頷いてくれた。


「もちろん! 一週間後、その時になったら、“名前を戻すかどうか”も決めてよ」

「嫌だけど。うん、わかった」


 残念だ。クリスマスまでに帰りたいけど、家を燃やすよりいいか。

 手を差し出された。

 大きな手だ。下手したら、そこらの男性よりも大きい。


「じゃあ、約束の挨拶をしよう」



 この人は強引だ。

 わけもわからずこんなところに連れてきて一緒にいろ、なんて。

 でも、なんだかとても嬉しく思ってしまった。

 サラの赤い目を見上げる。

 その奥にあるのは、やはり春のような優しさだった。

 だが、サラの手をぱしんと弾く。


「一週間だけだからな、誘拐犯」




次回11月2日21時33分投稿

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