第6話

 柔らかい光に朝露が煌めいている。

 クロネコは目を開き、広場の古びたベンチの下から這い出した。日に日に暖かくなる風が体を撫でて通った。昨日より色づいた桜の蕾が、少しずつ開き始めていた。

 クロネコはゆっくりと体を伸ばし、街を歩き始める。

 時を知らせる鐘の音や、馬車の行く音。まっすぐに伸びた大通り。日なたに息づく小さな花。白い石造りの教会を過ぎて。曲がった路地裏。光が遮られたそこは、まだひんやりとした空気を留めていた。

 耳慣れない音が届いた。石の壁に何かが当たる、軽い音。

 クロネコの視線の先にいたのは、ブランシュだった。

 結い上げもせずに背中に流した長い髪が、あちこち乱れている。彼女は両手で握った箒を振り回し、何かを追いかけていた。日の当たらない路地にいたのはカラスの群れで、ギャアギャアと煩く鳴きながらブランシュの周りを飛び交っていた。

 ブランシュの白いエプロンには、点々と赤い染みが付いていた。

『ブランシュ』

 クロネコの呼び声は猫の鳴き声に変わって、辺りに響いた。

 ブランシュがカラスを追う手を止めて、振り返る。ひどく疲れて、どこか不安そうで、苛立った様子の目がクロネコを捉えた。

「あんた、昨日の?」

 冷たい声が、クロネコの耳に届いた時だった。

 怒った様子のカラスが一羽、ブランシュに襲いかかった。ブランシュが短く叫び、白い頬にひっかき傷が浮き出た。彼女は箒を滅茶苦茶に振り回し、羽を打たれたカラスは耳障りな声を上げて舞い上がり、教会の屋根の上へ逃れた。

 路地に残されたのはクロネコと不機嫌そうに口元を結んだブランシュと、辺り一面に舞い落ちた黒い羽根。

 ブランシュはおもむろに屈み込んで、足元に落ちた羽根を一枚一枚拾い上げていく。細かい傷だらけの手が微かに震えていた。浅い息遣いが聞こえる。

 彼女は辺りに散らばったカラスの羽根を全て集めると、立ち上がってクロネコを見た。

「ねぇ。あんたは早く、街から出て行ったほうがいいわ」

 あまりにも絶望的で、苦しげで、叶わない願い事を懸命に祈るような、そんな響きの声がクロネコに届く。

 言葉の意味を伝えることもなく、ブランシュは静かに路地裏を後にした。

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