第11話 魔法書の展望

 突然の魔物の襲来から、今日で一週間が過ぎた。初日はピアンテの家に泊めてもらい、明るくなってから帰る予定だったが、幸か不幸か、思ったよりピアンテの両親に気に入られてしまい、そう簡単には帰れなくなってしまった。


 まあ、半分は私が残りたかっただけなのだが。居心地が良かった。ピアンテの母は私が一人で魔法書店をやっているという話をしたら何か勘違いしたようで、いろいろと世話を焼いてくれるようになった。ピアンテの父は料理上手で、保存食ばかり食べていた私にとって、久々のごちそうとなった。


 昼間は魔法書店に戻り、夜はピアンテの家に泊まる、という生活がしばらく続き、一週間となったわけだ。が、当然ただ居心地が良かったから街にいただけではない。


 一つは、王都に出した手紙の返事を待っていた。ルミエール名義で出した手紙である。オスクリタはどう考えても高位の魔物、あんな物がイゾラほどの辺境の地に現れてはたまったものではない。あげく王立図書館に預けていたはずの、私のインデックスが盗まれているのだから、人ごとでもない。


 以前から交友関係があり、話の通じる大魔道士を一人知っているので、諸々の疑問を手紙に書いて送りつけていた。


 返答は簡潔で、趣旨は王都に来いという指令。あまり手紙に書けるほど簡単な話でもなければ、軽い話でもないということだ。しかし、今の私はルーチェのため、指令への返答はいったん保留。


 もう一つは単純に、魔物がまた現れることを心配したからだ。


 あのオスクリタとかいうやつは明らかに暗闇特化、夜に現れる魔物だし、ベントウルフが現れるとすれば、また夜にやってくるに違いない。しばらくの間は私が魔物への対処ができるよう、日が落ちる前には戦闘用の魔法書とともに街に戻ってきていたのだ。結果としては一週間、一度も姿を現さなかったが。


 ついでに、ピアンテに魔法の知識を教えていた。まずは魔法書と魔導書の違いから、そもそも魔力とはなんぞやという解説まで。そしてその過程で──イゾラで魔法書店をやる上での、致命的な欠陥に気づいた。


 魔法書と魔導書の違いは、魔力の有無。ではそもそも魔力とはなんなのか。数あるゲーム、数あるファンター系の物語で登場するワードだが、この世界における魔力は、体内に宿すエネルギーとしての解釈である。


 簡単に言えば、RPGのMP、つまりはマジックポイントだ。魔法を使えば魔力を消費し、時間経過や睡眠などの休息行動によって魔力を回復する。魔力回復用のアイテムや、めっちゃ日光を浴びるなど、例外的に魔力を回復する方法もあるが、根本的には同じである。詠唱や特定の動きに合わせて体内の魔力を消費し、未知なる魔法を引き起こす。


 つまり、どれだけ魔力回復のアイテムを用意しようと、結局は体内の魔力を使って魔法を発動するので、使用者がどれだけ魔力を蓄えられる体質で、どれだけ上手くコントロールできる体質なのかによって、魔法の質が異なっていく。


 この点、魔力コントロールのサポートを行うのが魔導書の役割。電化製品にたとえるなら回路の部分。だが、こちらも根本的には体内の魔力を使うので、結局魔法は使用者の体質に依存する。


 では、魔法書はどうだろうか? これはバッテリーつきの回路となる。何も無しでの魔法発動を走ることに、魔導書での魔法発動を自転車を漕ぐことにたとえるなら、魔法書は電動キックボードである。少したとえ話のスケールが地味だが、本当にこの解釈が一番わかりやすいのだ。使う人間はスイッチを押すだけでいい。


 原動力たる魔力は、すでに魔法書に込められている。動力となる電気はすでに充電されているので、あとは充電が切れるまで、説明書の通りに、アクセルを踏むなりレバーを引くなり詠唱を唱えるなり、正しく交通ルールを守って運転すればいいだけ。


 言葉にすると簡単だが、誕生当初は明らかに革新的な技術だった。なにせ、体に縛られていたはずの魔力を、体外に切り離すことができるようになったのだから。いや、それ自体はできないわけではなかった。自らの体の一部である血を使って紙に魔法陣を書く、という方法で。


 当初、魔法書が誕生して間もない頃にとられていた方法がこれだった。が、当然のようにこれらは大量生産に向かない。多くの人のために出血しながら魔法書を書いていては、間違いなく著者が死ぬ。我々の顔はあんパンではないのだ。配れるものはそう多くない。


 そこで、ルミエール──かつての私が行ったのが、異なるシステムによる魔法書の開発だ。インデックスの開発の際して生まれたものであり、未だに魔法書の根幹をなす技術となっている。


 ところで、魔力を回復する例外的な方法の一つに、魔法石がある。これは天然の石に魔力が宿ったものであり、絶対に日本にはない特別なもの。ダンジョン奥深くなど、一部の場所に生まれる特別なもの……だと思っていたのだが、思っていたよりも異世界の技術が進歩していたようで、人工でもある程度作れるようになっていた。さながら人工ダイヤモンドである。


 人は魔法石から魔力を吸い取ることで、回復を行えるが……さて、この魔法石に、直接魔法陣を書き込んだら、どうなるだろうか、というより、どうなっただろうか。


 答えは、魔法石から魔法が飛んでいった!


 初めの頃はただの覚え書きのメモを石に書き込んでいただけだったのだが、変に魔法石が砕け散り、魔法の発動という、まさかの発見を目にすることとなった。魔法石による魔法の発動が可能と知って以降、喜んで実験を繰り返したが、すぐに問題に行き着いた。


 シンプルに、魔法石が小さいのである。魔法石は中に込められた魔力量にかかわらず、たいていサイズは同じで、小さい。手で握れるくらいの小石に大量の情報を書き込むことはできない。どこかの異世界には異常に器用で加工に長けた人間もいるのかもしれないが、私には無理だった。


 代わりに、当時魔法学校の教科書を作っていた友人と雑談していた際、ストーンペーパーという発想に行き着いた。紙の繊維に砕いた魔法石を引っかけて、魔法石を含んだ紙を作る。結果として、これが上手くいき、幅広い一ページに魔法陣と詠唱がかけるようになり、これを束ねて、ついでに取説と著者の情報などなどをくっつけて、量産可能な魔法書が誕生した。


 私があまり胸を張って自慢しないのは、ほとんど友人の、彼の功績だと思っているからだ。私はあれこれとケチをつけただけで、たいしたことはしていない。むしろ、名を残したのが私であることに文句を言いたいくらいだ。彼が目立ちたがり屋ではないから、代わりに目立つ役目を引き受けたが、結果として彼に押しつけるべきだった。面倒ごとを招くし。


 実はこれが、魔法書のレベル分けの由来にもなっているのだ。魔法石で分別するのは、そもそも魔法書事態が魔法石でできているから。紙に埋め込まれた魔法石の魔力量が、イコール魔法書の魔力量になるから。


 つまり、魔法書とは魔導書+魔法石の産物なのである。


 以上をピアンテに説明したところ『???』という素晴らしいリアクションをいただけたが、まあこんな歴史を聞いたところで、ほとんどの人はそうだろう。魔法学校でもそんなものだった。


 が、これは重要な話なのだ。なぜなら──実は、以上の知識がないと、魔法書を読んでも中身が理解できないということに気づいてしまったからだ。詠唱を唱えるだけ、魔法陣をなぞるだけ、と説明してしまったので、そんなの理解できなくとも関係ないと思うはずだ。


 実際、理解できなくとも良いと、私が思っていたのだが……ピアンテに魔法書を渡して、試しに使ってもらおうとしたときに、判明した。


 魔法書の説明が、理解できないのである。それは識字率とか、字が汚いとか、そういう問題ではない。魔法を知らない人間には、三節詠唱がどういうもので、魔法陣の第二円から第四円の刻印を順番になぞるなど、説明が専門的すぎてアウトなのだ。


 初学者にも分かりやすく書けばいいだけ、という指摘はごもっともなのだが、問題は、ここまでつらつらと語ってきたことにある。そもそも根底の技術は魔導書であり、魔力コントロールが可能な人間、つまりは道具に頼らずとも魔法が使える人間のために書かれているのだ。


 市場に魔法書を売る著者も、魔法書を売ろうとした私も、同様に失念していた。みな周りに魔法が使える人がほとんどなコミュニティにいたために。


 もはやどの魔法書が初心者向きかという問題ではない。魔法書自体が初心者に向いていないのだ。ある意味、下手に自動化されていない魔導書の方が、パソコンより紙に書く方がやりやすいみたいに、扱いやすいまであるのかもしれない。


 何十年も後になれば、魔法を全く知らない人からでも始められる魔法書が誕生しているかも知れないが……果たして、普及への取り組みがどれだけ熱心に行われるかは疑問だ。貴族は魔法は上位の人間にしか扱えないものだと勝手に誇っているから魔法の普及には消極的だし、そうじゃない私など、一般人も魔法が使えたらいいねの勢力は、そんな貴族たちに努力と才能で割って入れる能力の持ち主で、ほとんどが感覚派かつ魔法の適正あり、素人への説明能力はぶっちゃけない。


 同じ話にばかりになってすまないが、これは大事なことなのだ。魔力無しでも扱えるほど、画期的な魔法書が誕生しているにもかかわらず、未だ魔法は一部の貴族やその周辺に位置する人々にしか普及しないということになる。魔物の脅威が、近くにあったとしても。一般人にとってはなんかよく分からないが、才能のある人たちにはできること、くらいの認識でしかない。


 魔法書が誕生した後も、魔法を学ぶには王都周辺の魔法学校に通う必要があり、魔法書読むだけでも魔法が使えるというのに、独学で魔法を使おうとする人は少なかった。これは努力する人の問題ではなく、単純に分からないのだと理解した。かつての世界でも、専門書が一般的に売っているからと言って、誰もが数学者になれる訳ではなく、なろうと思わないことと同じだ。


 ピアンテ、両親、その他イゾラの街の人々と話しみたが、おおむね同様で、結局は魔法書を売ること以前に、魔法の普及、要は知識の民主化が必要なのだ。彼らも魔法を扱えたらいいねとは思っている。が、中身が理解できないのでそれ以上先には進まない。


 もし仮に、オスクリタのような危険な魔物が頻発し、イゾラを含む通常は魔物の現れなかった地域に魔物が現れるようになれば──そういう地域の人たちはたいがい魔法にも疎く、身を守る術は最低限、武器を振り回す程度で、生存できる可能性は低い。


 私も魔法書は誰もが使えると理想を描いていたが、改めて魔法を全く知らない人と話すうちに、それは夢物語だと実感した。せっかくの異世界だと言うのに、気づけばなんともリアリスティックな結論に達してしまった。


 私が魔法書店としてやっていく上で必要なのは、魔法書を売ることそのものではなく、魔法書がどれだけ手軽なものであり、どれだけ有用なものなのかを伝えることなのだ。


 それを伝えるために適した媒体は──当然本だ。だが、私が普通に魔法について書いた本を出したのでは、対して意味がない。それは専門書と大して変わりないからだ。もっと大衆化された、いい意味でも悪い意味でも分かりやすく親しみやすいものでなければ。


 単純に魔法が好きだから多くの人に扱えるものとなって欲しいのもあるし、なによりイゾラを含め、なんの力のない人でも、魔物に襲われたときに防衛できる手段を普及させられるというのなら、私としては嬉しい限りだ。なんだかんだこの異世界に来て長く、愛着があるからな。できればみんな平和に長生きして欲しい。


 スローライフをするつもりだったのに、妙にやる気を出してしまったが……まあ、悪くはないだろう。どうせ二度目、いや三度目の人生だ、好き勝手やろう。TSしたくらいだし、もう何が起ころうと何でもいいだろ。


 目標は、魔法の普及。手段は、魔法書店の経営。結果として得るものは、安定したスローライフ生活。ということにしよう。


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