第5話:観察者

――観察とは、定義することだ。

私は何度もそう書いてきた。


しかし今になって思う。

定義とは、命名という名の支配だ。


私の名は高槻。

この施設REFLECTORの主任を務めている。


すでにここに何人が“消えた”のか、正確な数は記録にない。

だが、私は彼らを殺してはいない。


私はただ、“見ていただけ”だ。


「主任、質問をしてもいいですか。」


助手の声は、乾いた空気の中に落ちた。

彼は私の言葉を記録する係だ。


正確には――“観察する係”だ。


「どうぞ。」


「観察とは、何を指すんでしょう。」


「簡単に言えば、関係の生成だ。」


私は椅子を回転させ、モニター群の光を背に受けた。

壁一面のスクリーンが青く脈打つ。


まるで巨大な心臓のように。


「観察者と被観察者。その二つの間に視線が生じた瞬間、関係が生まれる。そして関係とは、形を与える力だ。」


「……形?」


「たとえば、水を入れたガラスを想像しなさい。何も見なければ、それはただの水。しかし“見る”ことで、輪郭ができる。名前が与えられる。――つまり、存在になる。」


助手は小さく頷いた。

だがその顔には、理解よりも恐怖の影が浮かんでいた。


「では、主任。」


「なんだ。」


「もし“見る”ことが存在を生むなら、誰が主任を見ているんですか。」


その問いに、私は笑った。


「それを確かめるために、我々は装置を作ったのだ。」



スクリーン中央、No.07の映像が浮かぶ。

水の中の影。


被験体ユウは、目を閉じて静止している。


私は操作卓に触れた。

画面が切り替わり、神谷の記録映像が再生される。


――「お前は、もう観察されている。」


映像の神谷がそう言い、笑った。

助手が息を呑む。


「これは……。」


「一日前の記録だ。」


「でも、音声データのタイムコードが――」


「未来を指している。」


私は静かに言った。


「観察対象が時間を“超えた”場合、映像は観察者の視覚より先に生成される。いわば――予知だ。」


「そんな……。」


助手が一歩下がる。

私はモニターの光の中で笑った。


「不思議か?観察とは、常に先に知る行為だ。私たちは見る前に、何を見たいかを決めている。それが“干渉”の本質だ。」


そのとき、画面の中のユウが顔を上げた。

ゆっくりと、こちらを向く。


瞳が、まっすぐに私を射抜く。


「主任……被験体が――」


「見ている。」


私は呟いた。


「彼が、観察を返してきた。」


画面にノイズが走る。


ザー……ザー……


数字が乱れ、00:00:12が何度も繰り返される。


「主任! 信号が反転しています!」


「反転?」


私は身を乗り出した。


数式が逆流するように、記録ログが巻き戻っていく。

映像の神谷が立ち上がり、私の方を指さした。


――「次は、お前だ。」


「主任!」


助手の叫び。

モニターの光が一瞬、真っ白に弾けた。


再点灯したとき、画面には私の顔が映っていた。

無表情で、瞬きをしていない。


「録画してるのか?」


助手が震える声で問う。


「違う。これは――観察だ。」


私は立ち上がり、画面に近づく。

映る“私”が、同じ動作を繰り返す。


だが、一秒遅れて。


「……まただ。」


私は指を伸ばした。

ガラスの表面が冷たい。


触れた瞬間、指先から音がした。


トン。


同時に、モニターの内側からトンと返る。


助手が後ずさる。


「主任、やめてください!」


「見なければ、わからんだろう。」


私の声が二重に響いた。

現実と、モニターの中で。


映像の“私”が、先に口を開いた。


――「記録は残酷だ。」


そして、遅れて私が呟く。


「……なぜなら、終わらないからだ。」


音が重なり、空間がひび割れたように歪む。

ログ画面が自動的に立ち上がる。


<Log: REF-05 / Observer: T.TAKATSUKI>

<Status: ONLINE>

<Timecode: 00:00:12>


そして、もう一行が追加された。


<Observer: [NULL]>


私は息を呑む。

“観察者”欄に、名前が消えた。


消えた瞬間、視界の端に誰かの影が動いた。

助手ではない。


モニターの中から、誰かが覗いている。


影は、形を持たない。

ただの黒い空洞。


「見ている……のか。」


声が震えた。


その影が、ゆっくりと唇を開いた。

――音は出ない。

だが、意味が伝わった。


「あなたも、観察対象です」


その瞬間、画面が暗転した。

室内の光がすべて落ちる。


非常灯の赤が、静かに点いた。

私は闇の中で呟いた。


「なるほど……これが、“対称性”か。」


誰かが、私の言葉を繰り返した。


――「対称性、か。」


声は、鏡の奥から聞こえた。



再びモニターが点灯したとき、画面には助手の姿が映っていた。

彼は操作卓の前で立ち尽くしている。


私の姿はない。


その下に、新しいログが浮かぶ。


<Log: REF-06 / Observer: A.Assistant>

<Subject: T.TAKATSUKI>


記録の中で、観察者と被観察者が入れ替わっていた。


助手の視線がモニター越しに、まっすぐこちらを向く。

そして、微かに笑った。

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