第3話:失踪調査官・神谷

地上への連絡は、十五分おきに入れるよう指示されていた。

だが、最初の十五分を過ぎても、通信機は沈黙を守った。


俺の名は神谷。

失踪案件を専門に扱う調査官だ。


今回の対象は――《REFLECTOR》と呼ばれる地下研究施設。

一週間前、この場所から一人の研究員が消息を絶った。


名は、ミカ。


事務的な報告書には「勤務中の行方不明」とだけ記されていた。

転落事故でもなく、逃亡の痕跡もなし。


施設の監視網には“何も映っていない”という。

――“何も映っていない”のに、消えた。


そういう類の報告は、経験上ろくな結末を迎えない。


俺は識別カードを掲げ、封鎖ゲートを通過した。

白い光が視界を満たし、無音の世界に変わる。


空気が違う。

密度がある。


肺に入るのに、呼吸した気がしない。

“無菌”という言葉が脳裏に浮かんだ。


廊下の奥に、ひとりの男が立っていた。

白衣、痩せた頬。

その目だけが妙に濡れている。


「高槻主任だな。」


「あなたが調査官の……神谷さん、でしたか。」


声に温度がない。

機械の音声を少しだけ人間に近づけたような抑揚。


「研究員のミカ・ナカハラが行方不明だ。最後の映像を見せてほしい。」


「映像……ですか。」


主任はわずかに首を傾げ、廊下の先を指した。


「彼女は、観察の中にいます。」


「……は?」


「こちらへ。」


エレベーターが開く。

金属の箱が、地下へ沈んでいく。


数値が下がるたび、胸の奥がわずかに軋んだ。

この感覚、前にも――


いや、気のせいだ。

気圧が変わっただけ。


監視室に入った瞬間、

白い光が肌を刺した。


壁一面のモニター。

その中央に、停止したままの映像。


水槽。

ガラスの中に、ひとりの女性が座っている。


「――ミカ?」


声が漏れた。

主任は何も言わず、モニターを見つめている。


「これはいつの記録だ。」


「七十二時間前です。」


「生体反応は?」


「……ありません。」


「死んでいるのか?」


「観察中です。」


その答えに、背筋が粟立った。


「“観察中”って、どういう意味だ。」


「観察とは、生と死の間にある状態を記録する行為です。彼女は今も、“記録されている”。」


主任の瞳孔は、わずかに開いていた。

まるで俺の反応を観察しているかのように。


「久保を呼んでくれ。」


「彼は……もう、話せません。」


「亡くなったのか?」


「“観察”されています。」


会話にならない。

俺は主任を押しのけ、別室へ向かった。


旧棟の端に、簡易隔離室があった。

扉を開けると、ひとりの男が座っていた。


灰色の髪、やつれた顔。


「久保だな。」


返事はない。

目だけがこちらを見ている。


「ミカ・ナカハラの件を聞きたい。」


沈黙。

代わりに、男の口がゆっくりと動いた。


「――長く見るな。」


その声で、喉の奥が凍りついた。


「何を言った?」


久保は、まっすぐ俺を見た。

瞳孔が、わずかに震えている。


「……見た瞬間、もう“見られてる”。あいつが消えた理由も、それだけだ。」


「“あいつ”? ミカか?」


頷き。

それきり、口を閉ざした。


それ以上、言葉は出てこなかった。

彼の耳元から、ノイズのような音が漏れていた。


ザー……00:00:12……ザー……


録音装置が誤作動しているのかと思った。

だが、周囲には機械などない。


音は、空気の中から聞こえていた。


監視室へ戻り、モニターの電源を入れる。

映像記録フォルダを開くと、ひとつだけ赤いアイコンが点滅している。


「LOG#07_Observer_KAMIYA」


……俺の名前?


ファイルを開いた。


再生された映像には、監視室に立つ男の背中が映っていた。


黒いスーツ。

俺だ。


数秒後、その男がゆっくりと振り向く。

モニター越しの視線が、俺に突き刺さる。


顔が完全に見えた。

同じ顔。

俺自身。


映像の俺が、口を開く。


――「お前は、もう観察されている。」


心臓が鳴った。

後ろを振り返る。


誰もいない。

それでも、背中に確かに“視線”があった。


モニターを切ろうと手を伸ばした瞬間、

画面の中の俺が先に動いた。


その指がガラスを叩く。


トン。


音が現実に響いた。


床に落ちたペンが転がる。

拾い上げようとして、手が止まった。


ペンの胴に、黒いインクで何かが書かれていた。


「記録済」


胸の奥が熱くなる。

何かを叫ぼうとしたが、声が出ない。


視界の端で、壁の端末が光った。


――<Log: Reflector-04 / Status: ONLINE>


コード“04”。

……第4の記録。


俺の調査番号だ。


モニターの俺が微笑んだ。

ゆっくりと、唇が動く。


――「観察は、まだ終わらない。」



その後の記憶はない。

報告書には、俺の署名が残っていた。

記入日付は――調査前日。


筆跡は確かに、俺のものだった。

書類の余白に、走り書きがあった。


<Note: “見たものは、必ず見られる。”>


手帳を閉じたとき、井から一滴の水が落ちた。

――ぴちゃん。


音の方向に顔を上げると、そこには鏡のように光るモニターがあった。


俺の顔が映っている。

だが、モニターの“俺”は、少し遅れて笑った。

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