第14話 怨霊
「な、何が起こったんですか⁉」
あまりにも一瞬のことで、目で追いきれなかった祈は愛紀の異変に困惑の声をあげた。
「天野さんの血液を媒介にして一体化しやがった」
「えっと……つまり、とり憑かれたってこと……?」
「ああ。その認識で合ってる」
幸人は手を伸ばして、白衣のポケットに入れていた数珠を取り出した。よく見る略式数珠ではなく、百八の珠で出来た本式数珠である。中指をかけて手を合わせ、数珠の音を鳴らした。そして先程より大きめの円の紋様を形成した。
これで愛紀ごと怨霊を檻に閉じ込めたことになる。愛紀は術に動きを封じられまいと四肢を振りかざし、ひどくもがいた。
「ほんの少しの時間でいいから動きを止められたら、一瞬で成仏させてやれるのに」
「このままでは難しいんですか?」
「例えるなら暴れる患者さんに、採血や点滴をするようなもんだな。出来なくはないけど、天野さんの体や魂を傷付ける可能性が高くなる。基本的に人に攻撃性のある術を向けてはいけないんだ」
幸人としてはわかりやすく例えたつもりのようだが、静止している人でも出来ない時は出来ないものだから祈にはいまいちピンとこなかった。
「いつもどうしているんですか?」
「大体は持久戦に持ち込んでいる。暴れている怨霊が弱るまで待つんだよ。俺、絶対勝つから」
「でも、綾視さん……お化けや怪異が怖いって……」
祈は気付いていた。幸人の体が震えているのだ。必死で抑えて、それでも現れてしまう、身体の芯から来る震えであった。
「怖いぞ。いつも脈や血圧がめっちゃ上がってるの感じるし、強いのが来ると体は震えるし、たまに吐きそうになることもある。でも……」
幸人はぐっと顔を引き締める。
「それで助けられる人がいるなら耐えるし、誰かが傍にいたらもっと強く耐えられる。だから俺は粘るんだ」
祈は愛紀を見つめる。幸人も、術にもがく愛紀もとても苦しそうだ。
彼女の腕と服は滴った血液で汚れている。点滴を抜いた部位からの出血は数分もすれば止まるだろう。だが、彼女の慟哭が祈の胸を鋭く刺す。
「私に出来ることがもっとあれば……」
緊急の事態は苦手だ。周囲が忙しないのに、何をすればいいのか、どう動けばいいのかわからない。焦りだけが募り、鼓動が早くなる。
そんな中、精神科出身の祈が出来たことといえば──。
祈は覚悟を決めて、処置室に常備していた手袋をはめた。注射やケアの時に感染予防のために身を守る手袋だ。
「綾視さん、今からあの怨霊の傍に行かせて下さい。声かけをさせて下さい」
思いがけない一言に、幸人は戸惑う。
「やめておいた方がいい。絶対に話は入らないし、下手したら怪我をするぞ。……ってか、怖くねえの?」
「ちょっと怖いけど、天野さんが死んじゃう方がよっぽど怖いですから」
幸人は少し考える。
「……実は地下に、身体拘束する道具があるんだ。ここでは使ったことはないけど、もしも何かあったらそれで……」
それは万が一、想定外のことが起こった時の、陰陽師としての用意だ。
もちろん幸人の精神科医師なので、正式に病院の精神科に勤めていた時は指定医としてその権限もあっただろう。
ただし、身体拘束は人権の観点からも、使用については慎重に行わなければならない。
「わかりました。念のため、それも準備します。でも、その前に出来ることはやらせて下さい」
身体拘束はその人を縛るものではなく、助けるものだ。そう理解している祈は頷く。
そして大急ぎで地下室で見たあの拘束道具を持って来て、部屋の隅に置いた。
「じゃあ、行って来ます」
「気を付けてくれ」
祈は愛紀のもとに走り寄ると、紋様の中に飛び込んだ。次の瞬間、彼女の手が祈に首に伸びる。
その腕を抑え込もうとしたが、予想外に力が強い。怨霊に乗っ取られているからだろうか。
愛紀が腕を捻ったことで逆に抑え込まれて、祈は床に体を打ち付けた。
「片葉!」
幸人は数瞬躊躇う。そして次の瞬間、術を解除して走り寄ると、愛紀の腕を掴み、祈から引き離した。
「大丈夫か、無茶するな!」
「私は大丈夫です!」
祈は素早く体勢を立て直すと、愛紀を見据える。さすがに幸人の方が力は強いらしいが、それでも渾身の力で振りほどこうともがいている。
「怨霊さん、よく聞きなさい! 本当のあなたたちは誰かを引きずり込んだりしないはず。今はあの世に行って休んでいい。だから落ち着いて!」
祈の突然の声掛けに、幸人は戸惑う。
「あの……怨霊は多分自分のことを怨霊さんって思ってないと思うぞ」
だが、祈は諦めずに近付いた。
「そして天野さん! あなたはここに座っていて。今までしんどかった分、もうしんどい思いはしなくていいから」
愛紀の爪が祈の腕を引っかく。ちりっとした痛みが走り、皮膚に赤い筋が残る。
祈は唇をぐっと噛む。
「大丈夫だから! ね、あなたが辛かった分、私達は寄り添うから信じて!」
ふと、その強張っていた手が一瞬だけ緩んだのを祈は感じた。
「絶対あなたを助けるから!」
その隙に祈は天野の両腕を包み込むように握った。
「だから私達を信じて、ここで休んで!」
愛紀の足が動いて祈は一瞬構えたが、その瞬間小さな紋様が彼女の両足の動きを抑えた。
見ると、幸人が片手で彼女の上半身を抑えながら、もう片方の手で印を組んでいた。
「なるほど、全体じゃなくて紋を二つ出せば四肢の動きを抑えるという方法がとれるのか」
幸人は愛紀の背に手を当てると、怨霊の気配を探る。
「かけまくも、その身魂守りたまえ」
そして格子を作るように両の指を重ねると、鋭く叫んだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
最後の言葉を言い終えると同時に、空気に衝撃が走った。周囲の桜の枝葉が音を立てて揺れ、怨霊は叫び声をあげる間もなく霧散した。桜紋が消滅して、がくりと力の抜けた愛紀を幸人が受け止めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます