35 宙に浮かぶ夢

 ベルバンに戻れば、数多くの人々が俺たちを暖かく迎えてくれた。

 ナターシャさんも常人離れした根性をお持ちなもので、俺たちが壊れかけの船でことごとくノビている間に、彼女は町長代理の悪事のすべてを、ベルバンのラジオ局に伝え終えていた。

 いつも上空に佇んでいたはずの屋敷船が忽然と姿を消してしまったベルバンは物悲しくも思えたけれど、その下を行きかう人々は特段変わりなく、いつも通りの生活を送っているらしい。

 そんな中で、ラジオ局と連携し、町長代理の悪事を暴いた大陸新聞社によれば。


【夕方お嬢様ラジオのナターシャさん、現ラジオ局長と連携し、悪徳町長代理を成敗!】


 とのことだ。その後もナターシャさんは多忙の処理に追われていたせいか、一部では彼女の局長就任に合わせて、フリエンデさんが次の町長になるんじゃないかなんて噂も囁かれていたらしいが、これだけはフリエンデさん本人が明確に否定した。


「私は権力を手中に収めるより、傍から見ている方が好みでね」


 なんて冗談めかして言っていたけれど、彼が心に秘める想いはきっと、底なしに熱いものだったのだろうと、今ならわかる。おそらく彼もしばらくは、局長の座を譲らないだろう。

 そんなこんなで慌ただしい数日間を過ごした俺たちは……結果としてまだ、ベルバンに居た。


「まあなんだかんだ、こっちの方でゆっくりするのも悪くはないね」

「リオル兄さんは、ベルバンに来たことはあるんだっけ?」

「もちろん。でも確か、イルは初めてだったんじゃないかな?」


 例の一件から、数日が経った午後の昼下がり、とあるカフェのテラスのテーブル席で。紅茶にたっぷりのミルクを加えつつ向かい合うリオル兄さん。彼と雑談を交わしつつ、俺はとある光景を眺めていた。


「いい? リズムに合わせてステップを踏むときは、タイミングだけじゃなくって、身体のバランスも意識する必要があるのよ」

「なるほど……! や……でも、ちょっとまだよくわかんないかも……」


 俺たちの視線の先に居るのはイルと……すっかりおしゃれな衣装も着こなすようになった、我らが翼の歌姫だ。彼女らは、日の当たるオープンテラスの先に、控えめに用意された舞台の中心で公開レッスンを試みているらしい。


「まあ、テリアさんたちのことはいいとして……いや、別に今すぐに答えてくれなくなくたっていいんだけど」


 そうやってやけに改まって前置きしつつ、真っ白な紅茶をグイっと飲み干したリオル兄さんが、俺の目をまっすぐに覗き込んで来て、言った。


「君はこれからどうするか、決めたのかい?」


 随分と直球な質問。彼の目は真っ直ぐに俺を貫いて、正直に答えて欲しいと言っている。もちろん、答えを誤魔化す必要なんてない。俺のこの決心が、今更ぶれることなんてない。


「ねぇジオットー! ちょっと来て!」


 でもそんなタイミングで後ろから、テリアに声をかけられてしまった。べつにハナから答えを誤魔化すつもりはなかったけれど、リオル兄さんはニコリと笑いつつ、その目で「行って来い」と言ってくれていた。だったら今は、彼の配慮に甘えるべきだろう。


「もしかしたら私、こういうの苦手かもしれなくて……代わりに教えてあげてくれない?」

「えー! 私、お姉ちゃんがいい!」

「……らしいけど?」

「でも、あなただって前に比べれば、随分踊れるようになったでしょ?」


 実のところ、テリアの言う通りだった。あれから数日間の間に、死ぬ気でレッスンを重ねたおかげか、俺もなんとか人並みには踊れるようになっていた。


「本番前のリハーサルだと思って、身体を慣らしておいてもいいんじゃない?」


 それもこれも、今日の催しに向けた下準備だと思えば、納得できる。


「だったら今からあんまり無理して、ライブに遅れたりしないようにね」

          ◆     ◆     ◆

 俺たちとは別の予定があると言って分かれたイルとリオル兄さんは、ちゃっかり舞台のセットアップに関する仕事を手に入れていたらしい。カフェで分かれたはずなのに、皆々が準備に入った天幕張りの中に彼らの姿を見つけたときは思わず笑ってしまったが、それはそれ。


「今日まで多忙な日々でしたでしょうに、こうして再び向かい合えたこと、嬉しく思いますわ」


 俺とテリアも準備に入るため、このライブの企画者である人物と、向かい合っていた。


「それを言うならそっちこそでしょうに」

「本当にお疲れ様です、ナターシャさん!」


 満面の笑みを浮かべつつ、元気よく挨拶を交わすテリアを見ていると、こちらまで笑顔になってしまうが、一応ここは真面目な打ち合わせの場だ。ライブのプログラムは事前に共有されているとはいえ、万が一の手違いが無いように、慎重にやっていかなければならない。


「ところで、これは確認なのですが」


 そう言って彼女が取り出したのは、俺たちにも事前に共有されているライブの台本だ。プログラムとはまた別の、間に挟まるトークの内容なんかも記されているものである。


「最後の曲に入る前の口上は、本当に即興で大丈夫なのですか?」


 彼女の言う通り、ライブを締めくくる大トリの曲の直前、前振りに使うトークの部分は、本来彼女らが用意してくれたものから、わざわざ差し替えられている。


「これは、俺とテリアで話し合って決めたことなんですが」


 そうやって前置きしつつ俺たちは順番に、事の経緯について話していくことになる。


「ナターシャさんのおかげで、私たちは今回の事件について、多分この上なく詳しく知ることができました。それで……二人で話し合って決めたんですけど、やっぱりあの屋敷船の一件について、全く触れないっていうのは違うのかなと」

「だから俺たちは、ライブの盛り上がり方を見て……言い換えるなら隙を見て、例の件について真剣に話さないといけないと、そう思って……こういう選択をしたんです」


 それはほとんど、このライブの場を借りて、俺たちのわがままを通させてくれと言っているのと同じだったが……実際のところそれで、間違っているわけでもない。


「だから……お願いします! わざわざ私たちのために、せっかく用意してもらったライブだけど……もしかしたら台無しにしちゃうかもしれないけど……!」

「最初で一番大事だからこそ俺たち、絶対に悔いは残したくないんです!」


 打ち合わせ用の椅子から、地面に付くほどに頭を下げて、ナターシャさんに懇願する。俺とテリアのわがままが、それで許してもらえるとは思わないけれど。それでも聞いておかなくちゃ、これから絶対に後悔してしまうはずだから……俺たちはただ、彼女の返答を待つ。


「フッ……あはっ……あはははっ!」


 そしたらナターシャさんは突然何か、心底愉快そうに笑い出してしまった。


「な、ナターシャさん?」

「すいません……場違いだとはわかっているのですけど……息ぴったり……あははははっ!」


 彼女は口元を手で覆おうとしても失敗して。耐え切れなくなったみたいに目を細めながら、その目に浮かんだ涙をぬぐっている。


「ああ……本当ならそんなこと、私たちの方からお願いしなきゃいけなかったんですのよ? せっかくの公開リハーサルを事件の解決に利用して、その上でファーストライブまで、この町のことのために使わせるだなんて……!」


 彼女がそうやって笑いつつ、心の内を明かす間、俺たちはただただあっけに取られてしまっていたが、その笑い声が天幕中に響くにつれ、人々の視線が集まってきた。


「ハッハッハッ、随分と楽しそうに話しているじゃないか」


 その中にはこちらに歩み寄り、愉快そうに笑みを浮かべる、フリエンデさんも含まれている。


「ごめんなさい、お父様。でもわたくしやっぱり可笑しくて……あはは」

「いいんだよナターシャ。話は聞かせてもらっていたからね……君の気持ちは、分かっている」


 フリエンデさんの言い回しが妙に引っかかって、彼が背を撫でるナターシャさんの様子に注目してみたら、あることに気が付いた。

 思えば今の彼女はずっと……何か耐え切れないといった様子で頬を濡らして、顔を赤くしながら泣き笑いを続けていた。


「ごめんなさい。ごめんなさいわたし……あはは……あははっ、おかしくって……」


 彼女は……ナターシャさんは。

 笑い始めてからずっと、絶え間なく涙を流していた。


「えっと……な、ナターシャさん、俺は」

「ジオットくん」


 言葉を途中で遮られて、そのままフリエンデさんの顔をみたら、彼はどこか遠くを見るように目を細めながら……真っ直ぐに俺を見据えていた。


「今日ばっかりは、気付かなかったなんて言わないでくれよ」


 ……言う通り、本当は気付いていた。屋敷船から逃げた船の操縦室で、突き放すような言葉遣いをした意味について、ずっと考え続けていた。いくら仕事人気質とはいえ、この数日間身を粉にして、事件の終息に動こうとしてくれていた理由にも……気づけていたはずだった。


「ナターシャさん」

「……はい」

「知っての通り俺は……俺たちは、このライブが終わり次第、ベルバンを発ちます」


 それは何のことはない、関係者のうち全員に共有していた前提事項。それを改めて発する意味に、彼女はきっと気付いてくれているはずだけど。だからと言って、回りくどい言い方をするなんて……俺にはやっぱりできそうにないから。


「俺はテリアのことが好きです。あなたの気持ちには、答えられません」


 俺は、自分の気持ちを率直に伝えた。


「ああ……」


 直後に、ナターシャさんは耐え切れなくなったように泣き崩れてしまった。泣き笑いは嗚咽に代わってしまって、周囲からは様々な感情を載せた視線が注がれる。


「……ジオットくん!」

「……はい!」

「本当なら私は、娘のために怒ったり、ふざけるなと言って見せたりするべきなのだろうけど」


 そうやってフリエンデさんは俺の肩に手を置いて、そのまま力強く掴むようにして、言った。


「よくぞ言ってくれた! 私は……私は君の親代わりとして、君の選択を誇りに思う!!」


 力強く震える、腹の底から捻りだしたような、感謝の言葉。そのまま力強く抱きしめられて、彼の想いが胸に伝わる。伝わってしまう。


「ジオットさま……わたしも……! わたくしからも……ありがとう……っ!」


 それでもフリエンデさんの肩越しに、淡くにじんだ視界の先に見た、ナターシャさんの姿は。


「おかげでやっと……! わたしの初恋を! 終わらせることができました……っ!」


 そうやってひどく嬉しそうに、輝くような涙を流していた。

          ◆     ◆     ◆

 本番まであと数分。真っ黒い船に白文字で、「ベルバンラジオ局」の文字。直上に停泊するラジオ局の船を見上げつつ、白を基調としたフリル付きのドレスに着替えたテリアと向かい合う。


「……どうかした?」


 無遠慮に彼女の姿を見ていたら、妙に思われてしまったらしい。一瞬、誤魔化してしまおうかとも思ったが、この大舞台を前に隠し事をするのも、何だか少し気持ち悪いから。


「すごく似合ってる」

「……ありがと。でも、それを言うならそっちこそよ?」


 素直に自分の気持ちを伝えたら、予想外のカウンターを食らって思わず顔を逸らす。そのまま手で表情を隠しつつ「ありがとう」とだけ伝えたら、テリアは笑い始めてしまった。


「心の底からそう思ってるわ。だからあんまり、恥ずかしがらないで聞いてね」


 そんな風に前置きしつつ、彼女は俺に背を向けて距離を取り、ひらりと振り向いて、言った。


「今からあなたと一緒に踊れること、すっごく楽しみに思ってるよ。

 ――私の王子様!!」


 ……そのセリフを、恥ずかしがらずに聞くのは無理だと思うが。実際のところ俺の役回りは、そのような形にはなってしまっていた。真っ白い生地に金の装飾をあしらい、随分とスタイルよく見える貴族服となれば、俺だってその着用者に関わらず、王子様みたいだと思うだろう。

 前の衣装をリオル兄さんの家に置いて行ってしまったせいで、男性用でサイズの合う衣装が、こんなものしかなかったのだ。


「よくそんなこと……面と向かって言えるな」

「んー? あなただってさっき、私の前で恥ずかしいこと言ったでしょ?」

「っ……それにしたって……酷くないか」

「まー別にいいじゃない! だってすっごく似合ってるもの!」


 おまけのようなもう一撃。そういう問題ではないのだけど、もうこれ以上嘆き続けたところで、更なる追撃を受けるだけだと思う。だから俺はその場に膝を折り、なるべくテリアの顔を直視しないようにした……そんなところで。


「さて、そろそろよ。あなたの方の準備は万端?」


 テリアの声に力強く頷きつつ、俺たちはそれぞれの持ち場に戻っていく。俺とテリアはステージの直前へ進み、空から声がかかるのを待つ……その間に。


「テリア。俺はお前の選択を……心の底から、誇らしく思うよ」


 そんな一言かけて見せたら、テリアは顔を綻ばせて、満面の笑みを見せてくれた。


『レディース・アンド・ジェントルマン! そして東の果てにいらっしゃる全ての方々! わたくしはナターシャ・フリエンデ! このライブの司会を務めさせて頂きますわーっ!』


 上空に佇む黒い船から、そんな前口上が聞こえたら、出番は目前だ。


『本日はお集まりいただき誠にありがとうございます……なんて、冗長な挨拶を述べてもまあ、悪くはないかもしれませんが、これだけの人々を待たせてしまっているわけですから、ここはもう出し惜しみせず、本日の主役にご登壇いただきましょうじゃありませんか!』


 ベテランラジオパーソナリティらしい軽快な語り口に出番を知らされたテリアは、その背の翼を大きく広げる。バサリと音を響かせて、その白い羽根が宙を舞う。その背を追いかける。

 宙に浮かぶ夢の先へ、駆けていく。


『それでは皆さま万雷の拍手でお出迎えください!』


 はち切れんばかりの歓声と拍手にこの空間が満たされたら――

 俺たちの出番だ。

          ◆     ◆     ◆

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