32 モーニング・コール

「目を覚ませ。頼む。起きてくれ。頼む」


 彼女の意識を取り戻すために、全てを試した。


「テリア、テリア! テリアテリア起きろ!!」


 叫び、嘆き、ただひたすらに名前を呼んだ。

 大きな翼のある彼女と違って、俺の身体は空気の抵抗も少なくて。

 身体だけなら、すぐに追いつくことだってできた。


「テリア! 死ぬな! もう少しなんだ! もう少しで俺たちは!」


 その彼女の身体を強く抱きしめ、激しくゆすって声を掛けた。


「テリア……お願いだから……」


 それでも空気の流れに比べれば、俺の動きだってきっと全部が無意味で。凍えるような暴風を受けて、そのうち声も上げられなくなっていく。視界の端が黒ずんで、みるみるうちに狭まっていく。末端の感覚が死に始めたところで、テリアの翼がさなぎみたいに閉じてくる。

 純白の羽毛に包まれて、ほんの少しだけ暖かさを覚えた。


「ああ、やめろ、やめろ、やめてくれ」


 彼女は意識を失ってさえ、俺のことを守ろうとしてくれているのだと思うと。何も返せずに落ちていく、俺自身が情けなくてしょうがなかった。


「違う。違う。俺は、俺はただ、本当にお前に」


 思わずこぼれた涙の粒が、そのそばから凍り付いていくにつれ。今更になって滲み出た後悔が、俺の頭を埋め尽くしていく。もしも俺があの街明かりの中で。ミュージシャンの元へ向かう彼女を引き留めていなければ。テリアは俺とは遠く離れた場所で。元気に歌姫をやれていたんじゃないのか。もしも俺があの酒場の端っこで。拗ねたりせず彼女を連れ出していれば。テリアが翼の歌姫になる前に。大陸へ連れ出してしまえたんじゃないのか。


「心の底から救われたんだ。嘘じゃないんだ。ただそれだけで……」


 あるいは俺がもっと早くから。ナターシャさんたちと関わっていれば。彼女とフリエンデさんの無茶な試みに。テリアを巻き込まずに済んだんじゃないのか。あるいは俺がもっと早くから。自分の気持ちを伝えていれば。さっきの天窓の先にいた屋敷船にだって。いち早く気付けたはずじゃないのか。

 

「頼む。テリア、死なないでくれ。それだけでいい」


 そうだ、例えば俺が少しでも。彼女に何か返して見せられていれば。

 あるいは半端に干渉せず。彼女を自由にしてあげられていたら。

 こんな風に、俺とテリアが一緒に。


「ああ……あああ……ああ、くそっ!!」


 奈落の底へ落ちることも、無かった。

 俺に道連れにされることも、無かった。

 自由に世界を見て回りたかった彼女が、

 死ぬことも、なかった。


「そうじゃないんだ……違う、俺はそんなつもりじゃ」


 そうか……もしそうだとするならば。

 俺の選択が、今からテリアを殺すのか?


「全部俺が、間違えたから」


 俺の醜い感情が、巡り巡って、テリアを殺すのか。


「ああ……くそっ。くそっ、くそっ……くそう、違うんだ……!」


 あの日、あの航路上で君と出会えて良かった。

 トビウオの大群が連れて来てくれて良かった。

 自慢げにクモマグロを取ってきた君。

 遠方に佇む街を見てはしゃいでいた君。

 なんてことない解説を聞いて待ちきれないといった表情をした君が、

 どうしようもなく輝いて見えた。


「本当は……!」


 本当は、最初からわかってた。

 島についてからは君のことしか考えてなかった。

 歓声の響くライブ中でも俺は、君のことしか見ちゃいなかった。

 君の声、君の舞、君のステップ、君の歌。

 君の言葉、動き、表情、振る舞い。君の色。

 全部全部頭の中に焼き付けたくて仕方なかった。


「本当に、俺は……!」


 思考で、言葉で、行動で、目線で。

 気づかれないように、気付かないようにしてたけど。

 虚勢で塗り固めようとしてたけど。

 本当は……


「俺は……貰ってばっかりで……!!」


 自分勝手に、身勝手に、期待して。

 期待して、期待して、期待して。

 そのすべてに、君は答えてくれたのに。

 それなのに……!! 


「それなのに、貰ったものも、何も返せないなんて……!!」


 ……そうだ。そうだった。


「そんなのはいやだ……」


 たくさんの気持ち、たくさんの光景。失ったと決め込んで、見ないふりをしていた夢。それでも、俺が貰ったものは、それで全部じゃない。

 探せ。大切にすると約束したはずだ。いつ、どこで、なにをしていようと身に着けていると。何があっても絶対にその日のことは忘れないと。


 あの夕焼け空の花畑で、誓った……!


「だから――!!」


 胸元に手を入れて取り出した、

 羽根飾りを掲げた右手が、ふわりと持ち上がったのが分かった。

 それは、墜落のスピードに比べれば酷くちっぽけで。

 所詮数枚の羽根が頼りなく生んだ浮力に過ぎなくて。

 羽根飾りを握る右腕や、テリアを支える左手に負担をかけるくらいに力強くはなかったけれど……それでも確かに浮いていた。


「テリア」


 抱きしめたテリアの身体が風を受けて、次第に横並びになっていく。

 風の抵抗を目一杯受ける、水平向きになっていく。

 腰に回した左手を彼女の右手に。

 首飾りを握った右手を左手に組んで。

 風を受けて渇いた自分の目を開く。


「できたら、起きてる時に言いたかったけど」


 ぼやけた視界に、彼女を捉える。

 俺たちの身体は今、ワタリドリの羽根に浮力を与えられている。

 俺とテリアで二人分。

 首飾りに付いた数枚の羽根で、風を受けながらも落ちている。

 風を受けて、組んだ手の先に首飾りだけが浮いている。


「お前と毎日一緒に居れて、信じられないくらい楽しかったよ」


 俺は右手の首飾りの先を持ち、グルグルと巻きつけながら言う。彼女のワンピースの袖にからめるように、しっかりとほどけないよう祈りながら結んだ。


「本当は最初っから好きだったけど……関わって大好きになったんだ」


 彼女の手首に結び終えたら、準備は終わりだ。


「君を愛してる――。ばいばい」


 祈り終えたら、手を離した。

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