25 鉱山街に潜む影

 もうすっかり夜も更けて、月明かりと建物から漏れ出る光だけが照らす道を走る。彼女の寝泊まりしている酒場はここからそう遠くない。リハーサルのある今日の日だってお客さんは随分残っていたから、きっと彼女はそこにいるはず――そう、思っていたのに。


「戻ってないって……どういうことですか」


 俺の質問に狼狽えるこの酒場の看板娘さんによれば、テリアはリハーサルが終わり次第店に戻ってくると言っていたはずなのに、今この時間になっても姿が見えないのだという。

 まさか、もう既にベルバンへ発ってしまったのだろうか。あるいは今まさに発とうとしている真っ最中で、港で準備でもしているのだろうか。


「フリエンデさんたちの船を見つけないと……」


 夜道を進み続けるにつれ、露骨に独り言が増えていく。


「まだ間に合うはずだ……」


 自分に言い聞かせるような強がりが増えていく。


「まだ……間に合うはずだろ……」


 自分の理想を諦めきれないから、現実を否定するために進み続ける。真っ白な彼女の面影を求めて見回し続ける。藁にも縋るような思いで彼女の名を呟いてみる。


「テリア」


 それでも現実はそう甘くなかった。

 今日のリハーサル会場に、ラジオ局の船はもう無かった。役目を終えた舞台も上空に構える漁船もなく。リハーサル会場にあったはずの全てがまるで最初から存在しなかったかのように消えていた。


「俺は、間に合わなかったのか……?」


 無意識のうちにその場で膝を折る。石畳の上に座り込んだそばから崩れ落ちる。噛み締めるように彼女の名を呟いても。霞み始めた視界の中に真っ白いものを探しても。いくら願っても、彼女の姿は見つかりやしない。


「テリア――」


 彼女の雪のように白い髪も。はつらつで可憐な顔つきも。そこに浮かんでいたはずの、花咲くような笑顔も。このままじゃ、全部が全部、瞼の裏の残像になってしまう。


「そんなのダメだ」


 だから、諦めきれずに走った。人の居るはずない隅の物置や、遠くからじゃよく見えない桟橋の上まで走り込んで、自分の目で確かめに行った。それで、どうにかなるはずがないのに。


「――――――!」


 そのはずなのに、声が聞こえた。


「テリア……?」


 聞き間違いじゃない。確かに彼女の声が聞こえる。決して近くもない。まともに聞き取れもしない。それなのに、この静かな港の中に、確かに聞こえる。


「――――ッ!」


 どこだ。どこにいる。こぼれ出そうになる嗚咽をこらえて、鼻をすすって探し始める。開けた場所に出ようと、島から張り出した桟橋を戻っていく。我慢できず、走り出す。


「誰か! 助けて!」


 直後、確かに聞き覚えのある声が、桟橋の下から聞こえた。

 ――そこに居るのか?

 声には出さず身体を伏せて、無理やりに島の下を覗き込めば、月明かりを遮る島の影の中に佇む、信じられないほどに巨大な何かが見えた。


「屋敷船?」


 それは、ベルバンの直上にあるはずのものと酷く似た、オオワタリドリの羽で浮かぶ屋敷船のように見えた。そのことを頭で認識した瞬間、瞬間、頭の中で全てがつながったような感覚を覚えた。


『それどころか、彼らは気にいった女性を身の回りに侍らせるため、屋敷で雇ってやるなんて言いながら、誘拐紛いのことを繰り返しているなんて噂もある』


 かつてのフリエンデさんの言葉。テリアと共にベルバンを訪れたあの日、フリエンデさんから聞いた街の噂。ベルバンの現町長代理が街の女性を誘拐して自分の屋敷へ連れ込んでいるという噂。

 思えば、ベルバンの直上に佇む屋敷船は、元々町長のものであるはずで、その「屋敷」というのがあの屋敷船のことであるならその手口にも納得がいく部分がある。

 おそらくテリアは今、あの船の中のどこかに、いる。


「行かないと……でも、どうやって……」


 多分、あの船はこのリハーサルにかこつけてルヴェールを訪れただけだ。夜に街を断てば不用意な噂を流しかねないと踏んで、朝までこうして待機しているのだろう。

 だとするなら急がなきゃならない。俺の船の修理はまだ終わっていなかったはずだし、知り合いを頼ろうにもラジオ局の船は既に港を発ってしまっている。

 何か……何かないのか? そうやって思考を巡らせながら、少しでも遠くを覗き込めないかと身を乗り出したところで気づいた。この桟橋から覗ける島の底面、剥き出しになった岩肌には、岩石の離脱を予防するためのネットが張り巡らされている。


「漁網……か」


 思えばここはルヴェールの港だ。この町はそこまで治安が悪いわけでもないから、漁に使う道具はそのまま外に放置されていることもある。大型船での漁に使う網くらいは、周囲を探せばすぐに見つかった。おあつらえ向きに端の方には固定用のロープがいくつも付いている。


「やるしかない。こないだの一件で高い所は慣れっこだ」


 自分を鼓舞するように呟き、桟橋の根元の方にある係船柱に巨大な漁網をしっかりと括り付ける。そのまま反対側の端を持って、桟橋の先へと向かっていく。


「はー……はー……」


 漁網全体がピンと張られたタイミングで強く引き、固定の強度を確かめてみるが、手先の感覚じゃ全くもってわからない。引いてみる分には大丈夫でも、これから俺の全体重を伝えた途端、ブチッと千切れてしまうかもしれない。それでも。


「大丈夫だ行ける。行ける。行ける」


 つなぎのポケットから作業用のグリップを取り出し、前歯で先を引っ張って手早く身につける。握力に関してはおそらく気休めの補助にしかならないが、ロープの摩擦を素手で受けるよりよっぽどマシのはずだ。


「よし、行くぞ。行くぞ行くぞ行くぞ!!」


 イメージは、高所から振り子を落としてやるように。俺は桟橋の床を蹴って、中空へと身を躍らせた。全身で風を受けながら落ちていく。自由落下に任せつつ、やがて来るはずの衝撃に備える。


「グウッ!」


 瞬く間に両腕が伸びきって、鋭い痛みが両腕を襲う。それでもなんとか網を握りしめて、せめて手を離さないように努め続けていれば、衝撃はすぐさましなる力に変わって、身体を遠く運んでくれるはず。そうして十分に勢いが着いたら――その時に備えて先を見据える。最後に覚悟が決まったら、恐れずにその網を手放すんだ!


「おらあああっ!!」

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