第2話 覚醒
一方、私はといえば入社当初から人知れず、「びっくりのパワハラ」を受けていました。中途採用でしたから先輩からすると何も知らない新卒の社員を教えるよりもやりにくかったのかも知れません。私が発注の日程を間違えた時などは
「えー!ひっくり、こんなミス私だったらできない」
とみんなに聞こえるような声でびっくりしていましたし、一度しか説明されていない企画書の記入を間違えれば、
「びっくりー!あんなに説明したのに理解してなかったんだ。分からないところはきちんと聞かないとね」
と大袈裟に言ってみせるのです。さらにきちんと仕事をこなせば
「え、びっくり!彩ちゃんは覚えられないと思ってたぁ」
など、例を挙げればきりがないのですがいちいち癇に障る発言ばかりでした。訴えるとは程遠い些細な嫌がらせなので当初は気にしないようにしていましたが数年経つころには蓄積された「びっくり」に心身ともに追いつめられ鬱寸前でした。そんな状態が続き、仕事にも身が入らないまま35歳にさしかかった頃には、当時付き合って2年になる隣の部署で働く勇太と結婚して平凡で温かな家庭を作りたくて仕方ありませんでした。一年ほど前には同棲の話も出たのですがタイミングが合わず先延ばしになっていた事に加え、彼も先輩と同じく39歳だったのでもうすぐ訪れる私の誕生日には絶対にプロポーズされるものだと思い込んでいました。
今思えば誕生日の1か月ほど前からは会社を辞めて先輩から解放される事に喜び浮かれていたような気がします。なによりも、早く先輩に結婚報告をしたくて仕方なかったのです「年下の私が先に結婚します」と。聞かされた先輩の顔を想像するだけでも優越感で満たされたものです。しかし誕生日前日に給湯室で彼から告げられたのは別れの言葉でした!なぜ突然フラれたのか、何が起きたかわからないまま私はしばらく立ちつくしていました。
同じ会社だった手前、私たちが付き合っていたことは誰にも言っていませんでしたが先輩だけはいち早く気づいていたようでした。さらに運悪く給湯室での私たちのやり取りを目撃されてしまったのです。いえ、「きっと何かある」そう思い後を付けていたに違いありません。そういう人なのです。先輩は今にも泣きだしそうな私の顔を確認したかの様なタイミングで
「びっくりしたぁ。二人は結婚すると思ってたのに」
と言いながら私の横に立ち、慰めるでもなく会議用のお茶を入れ始めました。その瞬間、全身に血が駆け巡るのが自分でも分かるくらい強い怒りでいっぱいになったのです!何も言い返せないまま、とにかくその場を離れると悔しくて悔しくて大粒の涙と共に「会社を辞めよう」そう思いました。この先勇太と顔を合わせるのも気まずいですし、何より先輩と一緒に働く事が限界でした。
意外なもので、一度そう決心すると夜になる頃には信じられないくらいスッキリした気持ちになっていて、勇太と別れた事などさほど気にならなくなっていました。そして気づいたのです。私は勇太よりも「結婚報告で先輩を悔しがらせたかった」それだけだったんだ、と。よく考えてみたら彼のどこが好きなのかさえもこれといって思い出せなかったのです。きっと彼はそんな私の気持ちを見透かしていたに違いありません。
そしてその日の夜は疲れとアルコールのせいか何年かぶりに深くぐっすりと眠れたのです。人間というのは不思議なもので嬉しさや悲しみ痛みよりも、根深く最後に残るのは怒りの感情のようなのです。睡眠により心が回復したのか、
はたまた別の人格が目を覚ましたのか分かりませんが次の朝、目覚めと同時に
「あのびっくりババア!散々ネチネチ嫌味ばかりで長年人を傷つけやがって!」
これまでに無い強い感情が沸きあがりました。
そして新たに決心したのです。
「あのびっくりババアを心底びっくりさせてやろうじゃないか!!!」と。
昨夜のスッキリとした感情は勇太に対する事であって根底にはやはり先輩へのモヤモヤが消えないままだったのです。このまま辞めてしまったら私の人生は前に進めないそんな気持ちになっていたのです。
こうして私はその日から先輩の行動を監視することにしました。彼女の鼻をあかしてやりたい一心で、時には仕事帰りの先輩の後をつけ行動を把握するようになっていったのです。
綿密にしらべて徹底的にびっくりさせてダメージを与えてやりたかったのです!
いま考えるとその時の私は怒りの気持ちだけで日々動いていた気がします。
女の執念とは全く恐ろしいものです。
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