第35話 グループチャット

 木曜日午後6時過ぎのマクニールオフィスのチームルームに、ボクは一人で居た。窓の外はもう真っ暗で、隣のオフィスの明かりが差し込んでいた。


 今日のあおいさんは元気いっぱいだった。早朝のパワー・ブレックファスト・ミーティングがすばらしいものだったらしい。

 そのあおいさんは30分ぐらい前に帰宅した。残りの作業は個人でできるものだけだったから、自宅で続けると言っていた。ボクは自宅に帰ると仕事がはかどらないタイプなので、オフィスで作業を続けている。


 そろそろお腹が空いてきた。夕食のお弁当を注文しようかな。新土岐寿司か、オーベジールか、大京亭か。それともUberで新しいところを開拓しようか、なんて考えていたら、スマホが振動した。


 グループチャットへの投稿だった。グループ名『インドネ・スリー』へ、山下さんからのメッセージだ。


 今週月曜日に片桐さんが立ち上げた『インドネ・フォー』は、もう使われることはない。

 今は、山下さん、あおいさん、そしてボク──3人だけの新しいグループ。それぞれ会社のスマホではなく、プライベートのスマホのアカウントで接続している。


 チャットアプリを開くと、緊迫した文字列が飛び込んできた。

《緊急事態です。いますぐ、グループ通話できますか?》

 ボクはすぐに、

《り》

 と入力し、山下さんに通話発信する。

 そこに、あおいさんもすぐ参加した。


 メモが取りやすいように、スピーカーホンに切り替える。


「──聞こえますか? 山下です。今、ジャカルタからです」

 少し息を弾ませながら、山下さんが話し始める。


「日本はもう夕方6時ですよね。急にすみません」

「だいじょうぶですよ。どうされたんですか?」

 あおいさんが冷静に問いかける。


「例の“その他顧客”のひとつ、PT. Indotek Nikmatと、サプライヤーのPT. Mulya Niaga Supply。それぞれの倉庫の場所を突き止めました。2つの倉庫は同じ建物の中で隣り合ってます。それ以外の”その他顧客”もこの倉庫を使っているようです。倉庫管理マネージャーに『友好的に』教えてもらいました」


『友好的に』の具体的な内容が気になるが、あえて聞かない。ボクは核心的な情報に近づきつつある状況に背筋が伸びるのを感じながら、顧客名とサプライヤー名をノートに書き留めた。


「そこに保管されている電子部品のユニークIDと、アリジオ電子の出荷データーベースのIDとを突き合わせれば……」

「循環取引の実体証拠、ってことですね」

 あおいさんの声が弾んでいる。


「そうなんです!ただ……急がないといけません。今週中に倉庫内の在庫を別の場所へ移送するよう指示が出ているそうです。倉庫マネージャーは渋々教えてくれましたが、移送は遅らせられないって」

「今日はもう木曜日だから、明日にも移送されちゃうってことですか」


 どうしよう。時間がない。


「いちおう契約では、アリジオ電子はサプライヤーの倉庫にいつでも立ち入って監査できることになっています。ただ、すんなり立ち入らせてくれそうにありません。こっそり入って調べるしかないのですが……」

 山下さんが言い淀んだ。

「……でも正直、一人じゃ無理です。倉庫マネージャーと仲良くなっただけでは、倉庫の中には入れません。セキュリティガードが常に2人以上張り付いています。アリジオのインドネシア工場長は職場を離れられないし、事情をイチから説明して協力を頼み込んでも協力してくれるかどうか。リスクが高すぎますから……」


 その言葉を遮るように、あおいさんの声が入る。

「私が行きます」


「え?」

 と、ボクは思わず口に出した。


「あおいさん、国内じゃなくてジャカルタですよ?」

「今から羽田発の深夜便に乗れば、明朝にはジャカルタに着けるわよ」

「ま、待ってください。もうすぐ夜7時ですよ? 海外出張の承認も──」

「颯真」

 あおいさんの声は、冷静で諭すようだった。


「この証拠は、デューデリ結果に大きく関わってくる。そして、目の前で2人も人が死んでいて、その真相にも関係しているかもしれない。『真実を知る』ためには『機を見るに敏』よ」


 ボクが返答できずに躊躇していると、あおいさんの声がやさしくなった。

「もちろん、無理にとは言わないわ。コンサルタントとしての業務を逸脱しているもの。だから今回は会社の出張ではなく、私のポケットマネーで行く。でも、颯真が一緒に来てくれたら心強いな」

「ボクも行きます!」

 ボクは即答していた。


 それから、山下さんと細かい打ち合わせをした。明日の朝、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に、山下さんが小型バンで迎えに来てくれることになった。


 グループ通話を切り、ボクはすぐにマクニールオフィスを出て地下鉄に乗り、自宅に戻った。


 パスポートは常にカバンの中に入ってるけど、今回の任務に適した服装を用意する必要があった。

 あおいさんに言われて、いつでもすぐに出張できるように機内持ち込みキャリーケースの中に2日分の着替えが用意してある。シャツとネクタイは今回要らないから、それらを出して黒のジャージを詰めないと。



 いろいろ考えていたら、地下鉄は駒込駅に到着していた。

 グループチャットに山下さんから、倉庫の見取り図の画像データが送られてきていた。

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