第2話 生徒会長の完璧な微笑

水瀬 悠斗は、広報委員会の部室棟へ向かう廊下を歩きながら、先ほど撮った星野 葵の写真をカメラの液晶で確認した。夕陽に照らされた彼女の笑顔は、いつも以上に解像度が高く見えた。ただのクラスメイト、ただの広報委員の相棒。そう頭では理解しているのに、その写真に収められた生命力のようなものが、悠斗の心の隅でくすぶっている感情に、微かな火花を散らしたような気がした。


広報室は、旧校舎の三階にある、少し埃っぽい、だが光の差し込みが穏やかな空間だった。委員のほとんどが揃い、部屋は熱気で満ちていた。壁一面には、過去の学園行事のポスターや、先輩たちが撮った無数の写真が貼られており、まるで学園の歴史を凝縮したギャラリーのようだ。


「じゃあ、始めるわよ。広報委員会、緊急ミーティング」


凛とした声が響き、部屋が一瞬にして静まり返る。現れたのは、三年生で広報委員長を務める藤堂 怜奈(とうどう れいな)だった。制服を完璧に着こなし、すらりとした立ち姿。一切の隙が見当たらないその姿は、まるで写真の黄金比のように美しい。彼女が口元に浮かべる微笑みは穏やかで親切に見えるが、悠斗は知っていた。その微笑みの裏には、底知れないプロ意識が隠されていることを。


「皆も知っての通り、来月の『星城祭』は、私たち広報委員会の腕の見せ所よ。生徒会としては、今年のテーマを『未来への扉(ドア・トゥー・フューチャー)』に決定したわ。例年以上の準備と告知が必要になる。特に、外部のメディアやOB・OGへのPRを強化したい」


怜奈会長は、淀みない口調でテキパキと指示を出していく。その的確な言葉選びと、周りを惹きつけるカリスマ性は、悠斗の心に強烈な印象を残した。一見クールな悠斗も、実は彼女の完璧主義に、ある種の憧れを抱いていた。なぜなら、彼女の全てが、悠斗が追い求める「最高の瞬間」を体現しているように見えたからだ。


「水瀬君と星野さん、あなたたち二年生の広報班には、今年の『星城祭』のメインビジュアルと、学園公式SNSの日常風景部門の撮影を一任したい。特に水瀬君の写真は、一瞬の情景を切り取る感性に優れている。期待しているわ」


悠斗は、自分の名前を呼ばれたことに驚き、反射的に立ち上がった。「はい」と答える声が少し上擦ったのは、怜奈会長の真っ直ぐな視線に射抜かれたせいだった。彼女は、悠斗のクールな外見の裏にある情熱を、しっかりと見抜いている。


ミーティングが終わると、周りの委員たちがざわめき出した。


「うわー、水瀬くん、会長に感性って評価されたよ!やばいね、会長ってめったに人を褒めないのに!」葵が興奮気味に悠斗の腕を掴んだ。


そのとき、部室のドアが控えめにノックされ、一人の後輩が入ってきた。一年生の結城 颯太(ゆうき そうた)だ。彼は広報委員の中で最も写真の技術が高く、マニュアル撮影においては悠斗すら凌ぐほどだが、極度の無口で人との交流を避けていた。


「…水瀬先輩。これ、先日の新入生歓迎会の、予備データです。確認を…」


颯太は、分厚いデータファイルを悠斗に手渡すと、すぐに目を伏せて部屋の隅へ向かう。彼が持つ天才的な才能と、人と関わりたくないという意思のギャップが、部室の空気の中で小さな渦を作っていた。


「結城くんも、もうちょっとみんなと話せばいいのにね」葵が心配そうに呟いた。


悠斗は、颯太が残したファイルを抱えながら、怜奈会長が立っていた場所を見つめた。彼女の指示は、ただの業務命令ではなかった。それは、悠斗の心に挑戦状を突きつけるものだった。


『未来への扉(ドア・トゥー・フューチャー)』。


シャッターを切ることで、本当に自分自身や、この学園の未来を切り開くことができるのだろうか。あの、完璧な微笑みの裏に隠された会長の孤独の影を、自分のカメラで捉えることができるのだろうか。


悠斗は、カメラをストラップから外し、その冷たいレンズを撫でた。ファインダーを通して見つめる世界に、怜奈会長という名の新たな光と影が、鮮烈に現れ始めた。彼のモノクロームの世界に、彼女が投じた鮮烈な色は、無視できない熱を帯びていた。


「よし、葵。さっそく『星城祭』のイメージ撮影、始めよう。会長の期待に応える、いや、それを超える写真を撮るぞ」


悠斗の目に、初めて明確な闘志の光が宿った。それは、広報委員としてのプロ意識か、それとも、ファインダー越しに見つめる彼女へ向けられた、まだ名前のない初恋の予感か。その答えは、まだ誰も知らなかった。

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