桜舞う恋色キャンバス
@ooriku
1章 ファインダー越しの初恋の予感
第1話 モノクロームの世界に響くシャッター音
水瀬 悠斗(みなせ ゆうと)は、今日もまた、校舎の片隅に静かに佇んでいた。彼の世界は、どこかモノクロームで、周囲の喧騒や鮮やかな色彩は、一枚の曇りガラス越しにしか届いてこないように感じていた。教室の窓から差し込む午後の斜光が、彼の愛機——年季の入った一眼レフカメラの黒いボディに反射し、鈍く光る。その冷たい感触だけが、彼にとって唯一の確かな現実だった。
「水瀬、お前またそんなところで黄昏てんのかよ?」
背後からの快活な声に、悠斗は反射的に身体をこわばらせた。振り向かなくてもわかる。その無遠慮な声の主は、親友であり、クラスのムードメーカー、神崎 蓮(かんざき れん)だ。蓮は、サッカー部のジャージ姿で、額に汗を滲ませながら悠斗の隣に立つと、軽く肩を叩いた。
「別に黄昏てない。広報委員の仕事だ。今日締切の『新年度の風景』の素材がまだ足りない」
悠斗は、蓮に向かってそう応じたものの、実はシャッターを切る手が少し重かった。彼にとってカメラは、世界を切り取るための防護壁のようなものだった。ファインダー越しなら、人との直接的な接触を避けつつ、世界と関わることができる。しかし、本当に撮りたい「誰かの感情」の瞬間は、なかなか捉えられなかった。
「ふーん。まあいいや。それより、聞いたか?今年の星城祭、生徒会長の**藤堂 怜奈(とうどう れいな)**が、かなり気合入ってるらしいぞ。三年生だし、最後の文化祭だろ。校内新聞の予想じゃ、過去最大の動員数になるって」
蓮の口から出た藤堂 怜奈の名前は、学園内で一種の魔法の言葉だった。誰もが認める才色兼備の生徒会長。その名前を聞くだけで、校舎全体がにわかに華やいだ色を帯び始める。悠斗は小さくため息をついた。生徒会関連の行事撮影は、広報委員にとって最もプレッシャーがかかる仕事だ。
その時、廊下の向こうから、太陽のような明るい声が聞こえてきた。
「悠斗ー!蓮ー!ここで何してるの?次、広報委員会のミーティングだよ、遅れるって!」
声の主は、彼と同じクラスで、広報委員会でペアを組む星野 葵(ほしの あおい)だった。葵は、常に笑顔を絶やさず、その場の空気を一瞬で明るくする力を持っていた。悠斗がモノクロームなら、彼女は正反対のビビッドカラーそのものだ。ポニーテールを揺らしながら走ってくる葵の姿は、まるで写真のブレのように、悠斗の視界を乱した。
「ほら、お前の相棒が呼んでるぞ。頑張れよ、広報委員長さん!」蓮はそう言って笑い、さっさと体育館へ向かって駆け出した。
「もう!蓮ったら!」葵は蓮の背中に文句を言いながらも、すぐに悠斗に向き直った。「悠斗も早く!って、またそんな難しい顔して。シャッターが重い?それとも、何か悩み?」
葵は、悠斗が誰にも言わない心の機微を、なぜかいつも見抜いてしまう。悠斗は軽く首を振った。
「悩みじゃない。ただ、最高の星城祭を、どうやって最高の写真に収めるか、考えてただけだ」
嘘ではない。しかし、全てでもない。彼の心の中には、もう一つ別の感情の影が落ちていた。それは、今年の春、広報委員会の新入生歓迎会で、たった一度だけ目にした、怜奈会長の一瞬の寂しそうな横顔だった。あの瞬間を、彼は写真に収めることができなかった。完璧なはずの彼女が見せた、あまりにも人間的な、モノクロームな一瞬。
「最高の星城祭か!じゃあ、任せて!私も最高の笑顔で写ってあげる!」
葵はそう言って、悪戯っぽくウインクをした。その時、夕日が差す廊下で、彼女の瞳がキラリと輝いた。まるで、モノクロームの世界に、彼女だけがピントが合って色を持ち始めたかのように。悠斗は思わずカメラを構え、その一瞬を切り取ろうとした。
カシャッ――
響いたシャッター音は、いつもより少し、熱を帯びていた。それは、彼自身の心臓の鼓動と、どこか似た響きだった。
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