第15話
「橘くん…」
だから終わる前に、知りたい。声は掠れていた。
「どうして、部活に来てくれるようになったの?」
彼が気まずそうに、ゆっくり目線を逸らす。聞いてはいけなかった気がして、唇を噛んだ。それでも、前を向いて言葉を待つ。
彼は息を吐いて、ようやく口が開いた。
「俺…全然勉強できなくてさ。運動も得意ってわけじゃないし、何にもなくて」
何度も何度も、瞬きをした。その度に、頭の中が疑問符でいっぱいになる。
不得意なものがあったとしても、彼は充分魅力的だ。今も、伏目になったまつ毛の作る影が美しい。
そう考えてから、こういう目線こそが、彼の中身までちゃんと見られてなかった証拠だと気が付いた。
彼にもコンプレックスがある。自分に何もないと感じている。
ふと、彼の涙を思い出す。映画を見た後に溢れていた涙。それは、彼の中身だったのかもしれない。
橘くんがジュースを一口飲む。
「夢みたいなのはあったけど…叶える方法も分かんなかった」
彼の目線が僕に向く。
「でもあのチラシにカントクの名前があって…どうしても行かなきゃって思って」
(僕の名前…?)
また、頭の中がこんがらがる。
彼とは、高校で初対面のはずだ。幼稚園も、小学校も、中学校も記憶する限り『橘幸生』はいない。むしろ、同じ学校だったら橘くんは目立つから知らないなんてことはない。
(彼は僕を知っている…?)
胸に期待と不安が、同じだけせりあがってくる。少しだけ、期待の方が大きい。
「俺の一番好きな映画、当ててみて?」
彼が目を細めた。懐かしむような目つきだった。
そんなの、分からない。すぐに『暖雨』を思い出したけれど、彼の中で一番好きかは分からなかった。あの女優と橘くんの顔が重なる。すると、なぜか頭の奥が何かを思い出しそうに点滅する。
テーブルを見つめて考え込んでいると、絶対に知ってる映画、と彼の笑う声が降ってきた。
「………『犬の探した星』だよ」
弾かれたように顔を上げた。目を見開く。
───小さな犬は小さな星を目指して、旅に出ました。
黒目がちな犬が夜空を見上げているプロローグが上映される。その次のシーンも、セリフも全部思い出せる。懐かしくて、頭の奥が溶けるように柔らかくなる。
『犬の探した星』は、僕が作った映画だ。
───『最優秀賞は、日村ひかるくん!』
一瞬、昔の記憶が蘇る。
司会の人の声が高らかに響く。
審査員からトロフィーが手渡しされる。
生まれて初めて手にしたトロフィーは、ずっしりと重かった。
大人も子供もいろんな人たちが拍手をしてくれた。みんな、僕の映画を見てくれた人たちだった。
(橘くんも、あの中にいた…?)
目の前にいる、どこか柔らかい顔をした橘くんに面影を探す。
小学六年生の時に、コンクールに出した映画作品が最優秀賞をとった。僕の部屋に来た時、そのトロフィーを彼が撫でていたのを思い出す。
「あれが、俺の初めて泣いた映画」
えっと声が出た。
彼は照れたように少し俯く。その輪郭を見つめていると、記憶が徐々に立ち上がってくる。
───『犬の探した星』は小さな市民ホールで上映された。
授賞式の後、みんなが客席で立って拍手をしている中、一人座っている男の子がいた。その子は、下を向いて涙を流していた。ハンカチを持ってなかったみたいで、涙が膝の上に溢れていた。
壇上で、僕はその子の栗色の髪を見つめていた。
目の前に、同じ髪色の彼がいる。
「これが俺の全部」
繋いだ手を、ぎゅっと握られた。
「俺、カントクの映画にずっと出たかった」
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