第20話 都市計画会議 ― 次の1000人を迎えるために
朝の鍛冶場は、火の匂いが濃かった。
夜の残り火はまだ生きていて、ブランカが踏む送風皮袋のたびに、火舌は短く伸びてはすぐにたたまれる。鉄は黙って赤くなり、槌は無駄のない往復だけを覚えている。
「……よし」
乾いた一打。きれいに返った音に、彼女は小さく頷いた。前腕に古い火傷が幾筋も走っている。線というより、繰り返しの印。鍬三本の刃、穂先の欠けた槍、夜番の鳴らし棒の金具、そしてパン窯の口金――依頼札は昨日より一枚多く、明日はさらに多いだろう。
人が増える。
それはいい。
火は、いい嘘しかつけない。
ただ、火傷は正直だ。増えれば増えるほど、街が背負った荷の形が露わになる。
「都市計画、ね」
ブランカは顎で汗を払って、赤い鉄を水に落とした。短い白い霧が立ちのぼり、音が一拍遅れて耳に触れる。今日は会議がある。文句を言いに行くんじゃない。ただ、合図を渡すだけだ。手の皮が、もう先に知ってしまったことの。
火を落として、戸口に閂。彼女ははしょった歩幅で桜精院へ向かった。
◇
大講堂は、朝の光で薄く満ちていた。長机が円を描き、中心に空白がある。壁沿いに据えた黒板には紙が何枚も押さえられ、白墨の粉が淡く積もっている。パン窯の青年ローク、香油工房のミュレル、畑の獣人たち、旅商人、子どもを抱えた母親、年寄りの歌い手。ユーマはすでに端で手を洗い、袖を高く結っていた。
「始めよう」
ユーマの声は、低く遠くまで飛ぶ。
ブランカは席に着くなり手を上げた。合図は早い方がいい。
「先に言う」
大きくない。だがよく通る。
「仕事、増えてる。危険なやつ、特に。……火傷、前より増えた。事実だ。
それだけ」
静かなざわめきが、円の外周をふっと撫でて消えた。ロークが帽子のつばをいじり、ミュレルは目を伏せて一度深呼吸をした。
「うちも似てる。夜明け前から火を入れる日が続くと、昼の腕が重い」ローク。
「香りの仕事は、いい匂いばかりじゃない。続けると心が疲れて、甘い匂いが苦くなる日がある」ミュレル。
「天気が荒れる年は、牧草も荒れる。身体が先に悲鳴を上げる」獣人の長。
ユーマは頷いた。
誰がどれだけ大変かを競う空気は、生まれない。言葉がみな、生活の形のまま円の中へ置かれていくからだ。
「ありがとう。今日は“分け前”じゃない。“都市計画”だ。人が増えてもやることは同じ――だからこそ、先に構造を決める」
ユーマは黒板の紙を一枚めくり、太い白墨で円を描いた。二重、三重、四重。中心に「桜精院/市場/広場」と書き込む。
「骨格はこれ。四環で行く。
中心に学びと市場と広場。第一環に工房と小学校。第二環に住む場所。第三環に畑と牧草と小水車。外側に“緑の環”。城壁は作らない。風と水が通る街は、火にも疫にも強い」
「燃え移りにくい」ブランカが短く挟む。「理屈は、わかる」
「動線は人と荷を分ける。市場⇄工房は裏路で荷車、表は歩行者優先。住区から市場は片道七分以内。子どもは小学校まで“雨の日でも歩ける”距離に」
「裏から入れて、香りは表に残るのね」ミュレルの声は、少し柔らかかった。
「第一環の防災は、水路で切る。鍛冶と窯の間に幅二尺半(約2.5m)の導水。その上に生垣。炭穴は直径一尺半のを三基、焼けた灰は菜園の肥やしへ戻す。香油の煙は風下に逃がす屋根孔。小学校は風上に置く。火の音は聞いても、煙は吸わせない」
ブランカは鼻を鳴らした。「炭穴、倍にするなら、排水の溝も広げろ。雨の日に溢れる」
「広げる。溝は水路へ抜く。水路は第三環の粉挽き水車へつなぐ。流すだけじゃない、使う」
ユーマは紙をもう一枚めくった。升目が刻まれ、区画の寸法が引かれている。
「住む場所は種族別に分けない。けれど“楽に生きられる並び”は作る。
早起き帯は工房に近く。昼型は畑に近く。夜型は小川沿いの“静の帯”。区画は二十五×二十五の桜歩(およそ十八×十八メートル)を基本に、角地には共同井戸とベンチ。角に座れる街は、喧嘩が減る」
「なんで座りゃ喧嘩が減る」若い冒険者が笑う。
「立ったままの怒りは、行き先を見失う。尻が板に触れると、言葉が先に出る。治安は構造で作る」
年寄りが肩を震わせて笑い、同時に真面目に頷いた。
「子どもは真ん中だ。桜精院に**“育ちの庭”**を併設。昼は八十、夜は二十まで預かる。見守りは妖精隊が手伝う。手洗いは入退場で二度、香油薄液を常備する。太鼓と風鈴を置いて、音で気持ちを整える」
「……それで、朝が少し楽になる」ロークが言う。「楽は、善だ」
「楽=出産が増える」ユーマは言葉を区切った。「人口政策は、命令じゃなく“楽”でやる」
旅商人が手を挙げる。「土地配分は? 物差しが要る」
ユーマは大きな表を掲げた。
「**人口八百二十→千二百(十八か月)**を見据えた割合だ。
核七%、仕事帯十八%、住区四十二%、生産帯二十五%、緑の環八%。
住区は百十区画増設。工房十二棟、倉二棟、小水車四基。広場に舞台を常設する」
「攻め過ぎじゃないのかい」議会の年長が眉を寄せる。
「飢えない都市は、戦わない。腹が決まっている都市は、人を殺さない。――治安の最短は、台所だ」
広場の隅で子どもがくすりと笑って、母親に肩を抱かれた。笑いは緊張をほどく。ほどけた場所に、決めるための重みが落ちる。
「道路は三幅。主幹は五桜尋(約九メートル)で馬車がすれ違える。副幹は三桜尋(約五・五メートル)で荷車一方通行。路地は二桜尋(約三・七メートル)、夜は提灯を十五歩おき。市場の間口は六〜九メートルに統一して、二階の張り出しは禁止。火は上唇に溜まるからだ」
「助かる」ブランカはうなずいた。「燃えにくい街は、治せる街だ」
「倉は見える場所に作る。広場地下に共同倉。工房の炭・鉄・香油原液は分散で。在庫札は掲示板に貼る。“返す文化”は、街の錠前だ。――見えない倉は盗まれるが、見える倉は守られる」
若い冒険者が腕を組んだ。「見張りを増やすより、安いな」
「安いが効く」ユーマは笑った。「門の太鼓も置く。音は人を集める。集まれば、言葉が先に立つ。武装より安いし、早い」
紙はもう一枚、残っていた。ユーマはそれを中央に出す。数字は最小限、式は短い。
「**平均労働賃金(β版)**を今日から試す。
“誰が偉いか”の話じゃない。“身体が先に壊れる場所を先に支える”ための手順だ。
計算はこれだけ」
月給=B×(1+K+T+E)
B=基本生活費(米麦・塩・油・灯・家賃の一二分の一)
K=危険度係数(〇〜〇・四)火・毒・高所・重負荷
T=時間調整(マイナス〇・一〜〇・二)季節波・夜明け稼働
E=環境補正(〇〜〇・二)高温・騒音・香気負荷・湿冷
「評価は年二回。繁忙前と収穫後。帳面は全員で見える場所に置く。――労働の価値を比べない。街の標準を上げる」
「難しくねぇ。助かる」ブランカが短く言って、膝を叩いた。その音は、槌の余韻に似ていた。
「周辺の村は“吸収”じゃない。“自主管区”として迎える。長老、祈り、歌はそのまま。税は都市で統一、祭は各自主管区の自治で。議会には各区から一席。根を移すんじゃない、根が枝を出す」
年配の女が目を潤ませた。「うちの歌は、ここでも歌っていいかい」
「歌は都市の心拍だ。――増えるだけだ」
紙がほとんど尽きた頃、ユーマは最後の一枚を胸に当てて、皆を見回した。
「非常時の想定勝利も、今やっておく。
火は第一環で水路と生垣で切る。風下へ燃えるものを逃がして、人は風上へ。
疫は門で手洗い、市場入口で灰水→香油薄液。桜精院前に症状の板を出す。
暴れる日は、太鼓で人を集める。角にベンチがあれば、拳が言葉に変わる」
誰も笑わなかった。笑い方がわからなかったからではない。会議の言葉が、暮らしの手触りと同じ固さになってきたからだ。笑いは軽さだけに似合うわけじゃない。重みを受け止めた後の、余白にも似合う。
「――以上。決めよう」
議長の木槌が三度、乾いて響く。
紙の上の線だった街が、少しだけ土の匂いを帯びた。
◇
会議が解散になると、皆が勝手に図へ寄ってきた。パン窯は裏路に小さな丸印を置き、香油は風の通り道に矢印を引く。獣人はベンチの位置を確かめ、年寄りは広場の舞台に小さな桜印を入れた。子どもは提灯の間隔を指で数え、笑って母の袖を引く。
「ブランカ」
ユーマが近づく。ブランカは腕を組んだまま、図の第一環を眺めていた。
「言ったろ」彼女は目だけを寄越した。「火傷が増える。……合図だ。街が無理をし始めたってことの。あたしはそれを先に見る。嫌だからじゃない。壊れる前に直したいだけ」
「わかってる」
ユーマは短く、深く頷いた。
人は、ときどき“わかってる”という言葉を軽く使う。けれど今のそれには、帳面の重さがあった。桜貨の比重、炭の湿り、香油の引火点、子どもの体温。数字ではない単位で成り立つ重さ。
「作るのはお前だ」ブランカが言った。「叩くのはあたしらだ。……それで、いい」
「それで、いい」
彼女は椅子から立ち上がり、背を一度ゆっくり伸ばした。
槌の柄を握るときにできる、掌の厚い皮がきしむ。
彼女は短く顎を引いた。
「じゃ、叩く」
ブランカは振り返らない。鍛冶場の火は彼女を待たないが、彼女が踏む皮袋を待っている。火は嘘をつかない。だから、火に嘘をつかせない。街ができる嘘は、祭の余白だけでいい。
◇
午後。
広場の掲示板には新しい札が並んだ。
――都市計画会議・第1回 議決事項
一、四環構造を採用。十八か月で人口一二〇〇を受け入れる造成を開始すること。
二、人と荷の動線分離。主幹道五桜尋、副幹道三桜尋、路地二桜尋。夜の提灯は十五歩間隔。
三、第一環の防災仕様として導水二尺半・生垣・炭穴三基を設けること。
四、住区は生活リズム編成とし、角地にベンチと井戸を設置すること。
五、桜精院に育ちの庭を併設(昼八十・夜二十)、妖精隊の見守りを依頼すること。
六、水と風の循環路を設け、黒水・灰水を分離、葦で濾過して畑へ戻すこと。
七、土地配分表に基づき、住区百十区画・工房十二棟・倉二棟・小水車四基を優先すること。
八、平均労働賃金(β版)を導入し、年二回の見直しを行うこと。
九、周辺村は自主管区として受け入れ、議会に各一区一席を置くこと。
十、非常時は太鼓・掲示板・風上避難を基本とし、症状表示板を桜精院前に設置すること。
札の下に、子どもの字で小さく書き込みがあった。
――「ベンチでアイスたべたい」
誰かが笑って、誰かが「冬だぞ」と返す。「冬でもアイスはうまい」と別の誰かが言い、香油工房の誰かが「夏の匂いを少し入れよう」と提案した。市場の隅で小さな喧騒が生まれて、すぐに薄まっていく。喧騒は悪ではない。街の呼吸の戻りだ。
ユーマは会計台帳を閉じた。
税率は据え置く。賃金が上がり、流通が回り、備蓄基金税に少し厚みが出る。数字は噓をつかないが、数字にできないもののために数字を使う――それだけは忘れない。
ふと、風が広場を横切った。
祈りの森の若木がわずかに葉を鳴らす。
風下に、小さな香りが走った。甘く、少しだけ苦い。ミュレルが試作した「眠りの香囊」だ。角のベンチの新しい木に、それが吊るされている。
ベンチには、老いも若きも座っていた。
歌が低く始まり、子どもが合いの手を打つ。
太鼓は鳴っていない。鳴らす必要がないからだ。
◇
夕刻、ブランカは工房に火を戻した。
昼間に据えた新しい炭穴は、雨水の抜けが良い。溝は導水へつながっている。水路は第三環へ伸び、その先で粉挽き水車がひとつ回っていた。音は軽く、しかし頼りになる。
槌を上げる。
赤い鉄は今日も同じ色で、明日にはまた違う形を要求するだろう。
街が変わっていくとき、叩く音の重さはあまり変わらない。変わるのは、その音が届く距離だ。遠くまで届けば、それでいい。
彼女は一打、そしてもう一打。
火花が舞い、たわむれに壁の影が息をした。
指の皮が厚く鳴る。痛みは祈りではない。けれど、祈りの代わりにできることがある。叩いて、形を与えること。都市計画の線は紙の上に、都市の骨は鉄の中に。
「……よし」
ブランカは短く言って、槌の柄を握り直した。
街はこれから千人を迎える。
それでも、やることは変わらない。
火は嘘をつかない。
だから、街も嘘をつかないで育てる。風と水と、人の歩幅で。
夜の最初の星が、工房の口からちらりと見えた。
その明るさに、彼女は目を細める。
遠くで太鼓は鳴らない。鳴らす必要がない。
今日は決める日で、もう決まった。
槌は、まだ降り続ける。
街のために、明日のために、そして――戻ってくるすべての人のために。
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