第5話 『放課後の初稽古』
第5話 放課後の初稽古
夕陽が校舎の窓を橙に染めるころ、剣哉と湊は竹刀袋を肩にかけ、道場へと向かっていた。
足取りは少し重く、しかし胸の奥には確かな期待があった。
湊「なあ、剣哉。今日が本格的な初稽古か。緊張してんだろ?」
剣哉「うん。でも……楽しみでもある」
湊「そういうとこ、昔から変わんねぇな」
二人は笑いながら、道場の戸を開けた。
木の香りが鼻をくすぐり、竹刀の音が遠くで響いている。
すでに部員たちは整列しており、中央には剣道部の部長・**編切祐介(あみきり・ゆうすけ)**の姿があった。
その傍らでは、顧問の篠原聡が静かに腕を組んでいる。
編切「全員、整列!」
部員たち「押忍!」
編切「新入部員、前へ出ろ。前園剣哉、髙瀬湊、久我圭人!」
呼ばれた三人が前に出る。
剣哉と湊の隣に立つのは、鋭い目をした少年。どこか冷たく、落ち着き払った表情。
それが、入学式で会った*久我圭人(くが・けいと)**だった。
編切「お前たちは今日から正式に剣道部員だ。気を引き締めていけ」
久我「はい」
剣哉・湊「押忍!」
篠原が一歩前に出て、低い声で告げる。
篠原「まずは素振りからだ。新入生は特に、動きに無駄が出ないよう意識しろ」
号令とともに竹刀が一斉に振り下ろされ、道場に「メン!」という声が響く。
剣哉も声を張り上げ、必死に動きを合わせる。
しかし、隣に立つ久我の動きはまるで違っていた。
無駄のない構え。鋭く、速い。
まるで竹刀が空気を切り裂くような音を立てる。
剣哉(心の声)「……すごい。あのスピード、まるで試合のときみたいだ」
湊「(小声で)あいつ……やっぱレベル高ぇな。動きが切れてる」
篠原の目が動き、声が飛ぶ。
篠原「久我、前園。打ち込みを見せろ」
久我が静かに前へ進み、面をつけた。剣哉も息を整え、構える。
場の空気がぴんと張りつめる。
編切「構えっ!」
数秒の沈黙ののち、久我がわずかに間を詰める。
その動きは滑らかで、剣哉が反応するより早く――
久我「メンッ!」
乾いた音が道場に響く。
剣哉は反射的に竹刀を振り上げたが、間に合わなかった。
久我の一撃は正確で、鋭い。
久我は何も言わず、ただ静かに面を外す。
その冷たい横顔に、剣哉は息を飲んだ。
剣哉(心の声)「……強い。まるで、迷いがない」
もう一度構え直す剣哉。しかし次の瞬間もまた――
久我「メン!」
竹刀が閃き、再び打たれる。
その圧倒的な差に、剣哉の胸が熱くなる。
篠原「よし。そこまで」
篠原が止めをかけると、剣哉は深く息を吐いた。
桜「……久我くん、すごいですね。あんなに速く間を詰めるなんて」
編切「ああ。あいつは落ち着いてる。構えに迷いがない。……でも前園も悪くない。まだ粗いだけだ」
桜「はい。目が、いいです。あの子……伸びますね」
桜は女子たちをまとめながらも、時折ちらりと剣哉たちを見ていた。
その視線には、応援とも心配ともつかない優しさがあった。
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稽古が終わるころ、剣哉の腕は鉛のように重く、呼吸も荒かった。
編切が最後に全体を締める。
編切「今日の稽古はここまで。新入生は焦らず、まず“形”を覚えろ」
部員たち「押忍!」
整列が解かれ、部員たちが片付けに散る。
湊が剣哉の背中を軽く叩く。
湊「すげーな、久我。あいつ、もう完成されてる感じだな」
剣哉「……ああ。完敗だった。でも、あの速さ……絶対、追いついてやる」
その様子を見ていた桜が、タオルを手に近づく。
桜「前園くん」
剣哉「あ、桜先輩」
桜「お疲れさま。初稽古、大変だったでしょ?」
剣哉「はい。思ってたより……ずっと」
桜「久我くんは強いけど、焦らなくていいわ。大事なのは“目の前の一本”をどう打つか。形より心よ」
剣哉「……はい」
桜「その目、今日もちゃんと光ってた。これからが楽しみね」
剣哉は少しだけ顔を赤らめ、そっぽを向く。
桜はそんな彼の様子に首をかしげた。
桜「……? どうかした?」
剣哉「い、いえっ! なんでもないです!」
桜「(小さく笑って)ふふっ。そう?」
桜は微笑み、道場の出口へと向かった。
春の夕風が吹き抜け、竹刀の音が静かに遠ざかる。
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日が沈み、校舎の外。
チアリーディング部のかけ声が運動場に響いている。
その輪の中で、日向が笑顔で跳ねるように動いていた。
チア部員「日向ー!テンション高っ!」
日向「だって今日から一年も本格練習でしょ? がんばらなきゃ!」
動きながら、ふと空を見上げる。
少しずつ群青に染まる空。遠くで風が旗を揺らす音。
日向(心の声)「剣哉くんも、今ごろ練習終わったかな……」
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そのころ剣哉は家の窓辺で、同じ空を見上げていた。
湯気の立つ湯呑を手にしながら、今日の稽古を思い返す。
剣哉(心の声)「久我……強かった。動きも速さも、すべてが一歩上。
でも――あの差を、いつか越える。絶対に」
夜風がカーテンを揺らす。
その瞬間、遠く離れた場所で、同じ空を見上げる日向の笑顔が重なった気がした。
剣哉(心の声)「……負けてられないな」
月の光が、静かに部屋を照らしていた。
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