白神様の花嫁は恋愛経験ゼロ

甘月鈴音

第1話 花嫁1

 茜色に染まる夕日が山際を照らしていた。山々からはひぐらしが、寂しげに鳴いている。


 すり切れた着衣を身につけた、村の男たちが、質素な輿を、汗を流しながら担いでいる。細長い曲がった山道を登る姿は、蟻の行進を浮かばせた。


 白無垢姿を身に纏った日野ひの蝶子ちょうこは、輿の垂れ幕の隙間から、ぼんやりと眺め、薄ら笑う。


(好きな感情が無くても花嫁になれるのね)


 すがるように、帯に隠し持っている栞を握り締める。

 もう、生きて帰ることはないだろう。


 そっと空を仰ぐ。茜色の空には鳥がねぐらを求め、羽を広げ飛び交っていた。


からすですら帰るところがあるのに)


 蝶子には、それすらない。

 これが、運命なのだろう。

 これが、定めだったのだ。


(もう、疲れた)


 生きていくことに。だから、これで良かったのかもしれない。

 蝶子を乗せた輿はゆっくりと、けれども確実に、鎮守の杜にある神社へと登っていった。


「なぁ、伯父さん。蝶子を嫁がせるのは止めないか」


 輿の前で男が両手を広げ、行く手を阻んだ。

 隻眼せきがんを包帯で隠し、つぶれた鼻に出っ歯の男は、啓太。なにかと蝶子を気に掛けてくれる。醜い顔と裏腹に心優しい人で、蝶子は彼にだけは多少なりと心を許していた。


「輿を担いで、山神に贄を捧げるなんて、馬鹿げている」


 異議を唱えたのは啓太の父だった。


「黙れ、啓太。兄さん、この馬鹿なせがれのことは気にしないでくれ」


啓太の父が、村長である兄に言うと、啓太の袖を引っ張った。しかし、啓太は振り払う。


「でも」

「啓太。雨が降らないんだ。仕方がなかろう」


 渋面の面持ちで、村長は声を荒らげる。啓太は分家の子供で、村長は本家。立場的に刃向かうのは分が悪いはずだ。蝶子は虚ろながらも、耳だけはしっかり聞こえていて、なにげに、村の男たちを見ると、彼らは皆、決まり悪げに蝶子の顔を逸らした。


 これが普通の反応だ。

 蝶子は笑いたくなり、冷めた目元をより細めた。

 文句など無い。


 すでに身寄りも無い。辺境の土地に身を置いたことが、運の尽きだと諦めるしかないのだ。


 蝶子が生贄として選ばれることになったのは、雨が降らなくなって、そろそろ二月にかげつになるからだった。作物は当に枯れてしまった。


 田んぼの土は、ひび割れ、葉月(八月)になっても稲の葉が茶色く焼けて、花がまだ咲いていない。野菜の生育も悪い。加えて、餌を求めて害獣が頻繁に出没し、なけなしの食糧を食い荒らしていた。


 このまま続けば、秋の収穫は絶望的になってしまう。そのうえ、租税である米は、国に半分ほどは納めなくてはならず、生活はますます厳しい。


 生贄を捧げよう。

 焦った村人たちは、そう囁きだしたのだ。


 この村はもともと雨が降らない土地だったと聞く。その昔、貧困に苦しむ村人たちは、蛇神を祀った。すると蛇神の守護のもと、雨が降るようになった。

 土地が潤い。田畑は実る。


 しかし、そこには十六歳未満の子供を山神に捧げることが条件だった。かれこれ八十年は行っていなかった行為だった。それが、貧しさから村人たちは、蝶子を贄にすることを賛同した。


 たかが迷信。されど迷信。

 村にとって蝶子が居なかれど、なんの影響などない。

 ならば、やろう。

 そう蝶子には推測できた。


「奉公人なら他にもいるだろう、なんで」


 啓太は喰って掛かった。村長は忌まわしげに一瞥しながら


「仕方なかろう、神が指名したんだ。蝶子は顔だけはいい。そう言うことだろう」


 と言う。

 実際、贄の候補には蝶子以外にもいた。それが、蝶子を神の嫁にしろと信託がくだされたのだ。


 五日前に、村長は何ヵ村かにひとりの割合にいる、神主を呼び寄せ、鎮守の杜に、雨乞いの儀式を依頼した。神職が大麻おおぬさを振りながら祝詞をあげていると、祀られている白蛇石はくじゃせきから、蛇が数匹、蛇行しながら、儀式に参加していた者の周りを囲んだ。


 神職、村長、村役人、百姓の数人は怖じ気づく。

 辺りは霧に包まれ、けれども、一筋の光が天から下り、祀られている白蛇石を照らした。


 そこから「蝶子を嫁にすること」と神託がくだされ、真っ白な白無垢が、数匹の蛇から運ばれて渡された、と、村人たちは騒ぐ。


 嫁とは、贄を捧げることであろう。

 村人たちは信じた。

 伝授では蛇神様は荒神様だと聞く。


 八十年もしなかった生贄に、神がとうとうお怒りになったのだ。

 神に蝶子が選ばれたのは、きっと、身も心も綺麗な乙女を、蛇神様が喰うのが好物なのだろう。


 村人が囁いている。蝶子は耳にしていたが、背に重たい枯れ木を背負った籠を持ち、俯きながら彼らの横を通り過ぎた。


 だれもが蝶子ならいい。心の底で思っているのが透けるように見て取れ、心が凍てついた。


 雨乞いの生贄に選ばれてからは、着々と準備は進み、今日は、最後の晩餐だと、白米を頂き、白無垢姿にお化粧までされ、身なりを綺麗に飾られた。


 死は着実に迫っている気がした。

 村人たちの仄かな笑顔を、どこか滑稽に見ていた。


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