第17話

「灰色狼」との戦闘が終結して、半日が過ぎた。 勝利の歓喜はすぐに、差し迫った「次の脅威」への緊張感と、山積みの「戦後処理」という現実的な作業に取って代わられた。


集落の入り口は、凄惨(せいさん)な戦場のままだった。 まず行われたのは、負傷者の手当てと、戦利品(ぶき・ぼうぐ・うま)の徹底的な回収だ。鋼(はがね)の剣を手にしたブルックたち領民は、その本物の「重み」と「力」に、武者震いしているようだった。


そして、最後に残された「処理」。 山賊たちの死体だ。


「……アレクシス様。こ、こいつらは、どうしますだか」 ガレスが、恐る恐る尋ねた。


俺は、館の裏手――湯気を上げる「堆肥(たいひ)の山」――を、アゴでしゃくった。 「決まっている。貴重な『有機物』だ。来年のジャガイモ畑に、栄養として還(かえ)す」


「ひっ……」 その言葉に、ブルックたち領民よりも、新しく加わったマルクスたち王国兵士の方が、顔面蒼白(そうはく)になって後ずさった。 「……し、死者を……肥料に、だと……?」 マルクスが、信じられないものを見る目で俺を見た。 「そ、それは……人の道に反する! 悪魔の所業だ……!」


「悪魔?」 俺は、マルクスに冷たい視線を向けた。 「マルクス隊長。あんたが信じる『人の道』は、あの子供たちを冬の飢えから救ってくれるのか? 奴ら(山賊)は、俺たちを殺し、女子供を弄(もてあそ)び、すべてを奪うためにここに来た。奴らが『人の道』を外れた瞬間から、奴らは『人』ではない。俺の領地にとっては、ゴブリンと同じ『資源』か『害獣』だ」


俺は、ブルックに命じた。 「ブルック。奴らの服を剥(は)げ。布は煮沸(しゃふ)して再利用する。……その後の『処理』は、お前たちに任せる。マルクスたちは、見ているのが辛(つら)いなら、馬の世話でもしていろ」


「……」 マルクスは、俺の徹底した合理性(という名の冷酷さ)に、ぐうの音も出なかった。 彼は、自らの信じてきた「騎士道」や「正義」が、この辺境では何の役にも立たない無価値なものだと、骨身に染みて理解させられた。


その日の夕方。 俺は、館の広間に主要メンバーを集め、最初の「軍議」を開いた。 メンバーは、俺、ガレス(内政・民生担当)、ブルック(領民兵・作業部隊リーダー)、そしてマルクス(専門兵・軍事教官)だ。


「まず、現状を整理する」 俺は、地面に描いた集落の地図を指差した。 「我々は、ヴァーグの第一波を、奇跡的に撃退した。だが、奴は必ず戻る」


俺は、マルクスに視線を送った。 「マルクス。あんたが戦った『ヴァーグ』という男の情報を、すべて話せ」


マルクスは、部下の手当てを終え、覚悟を決めた顔で口を開いた。 「……奴は、元王国軍の重装騎兵上がり。関所を突破した手口から見ても、正面からの力押しだけではなく、陽動(ようどう)や兵糧攻(ひょうろうぜ)めも使う、狡猾(こうかつ)な男です。……そして何より、残忍だ」


「つまり」と俺は続けた。「次に奴が来るときは、熱湯(ねっとう)やハッタリの爆炎(ばくえん)が届く距離まで、不用意に近づいてはこない。……十中八九、弓矢による遠距離攻撃と、包囲による兵糧攻めだ」


「……!」 ブルックが息を呑んだ。 「じゃあ、どうすりゃいいんだ! こっちには弓なんて……」 「三張り(みはり)だけだ」とマルクスが答える。「俺の部下と、あの戦利品を合わせても、な。しかも、矢の数が絶望的に足りない」


「だから、体制を変える」 俺は、三つの決定を言い渡した。


「第一。マルクスを、この集落の『防衛隊長』に任命する。あんたの仕事は、ブルックたち領民兵の『訓練』だ。剣術などいらん。ひたすら『槍(やり)』。戦利品の槍(やり)と、逆茂木(さかもぎ)の残りで槍(やり)を作れ。あの入り口で、『槍衾(やりぶすま)』を作れるように叩き込め」


「第二。ブルック。お前たちの中から、特に腕の立つ者、目の良い者五人を選抜しろ。マルクスから『弓』を習え。お前たちが、この集落の『目』となり『牙』となる」


「第三。ガレス殿と女子供たち。家の修繕と並行して、館の壁を『補強』しろ。石と泥で、弓矢を防げるだけの『胸壁(きょうへき)』を、屋根の上に作るんだ」


三者三様の、明確な指示。 彼らが「はい!」と返事をして立ち去ろうとした時、俺はマルクスだけを呼び止めた。


「……アレクシス様。何か?」 「あんたにだけ、見せておくものがある」


俺はマルクスを連れ、館の地下――あの「硝石(しょうせき)」が眠っていた貯蔵庫――へと降りた。 そこには、俺が戦闘の合間に運び込んでいた、木炭(もくたん)の粉末、硫黄(いおう)の粉末、そして例の「塩(硝石)」があった。


「……これは、あの時の『魔法』の材料か」 マルクスが、警戒するように身構える。


「魔法じゃない、と言ったはずだ」 俺は、石臼(いしうす)を使い、硝石(しょうせき)を極限まで細かく砕き始めた。 戦闘で使った「燃焼剤(ねんしょうざい)」は、材料を雑に混ぜただけの代物(しろもの)だった。 だが、もし、これを「正しい比率」で、「正しく精製」し、「正しく混合」したら?


俺は、前世で得た最も危険な知識の一つ――黒色火薬(こくしょくかやく)のレシピ――を、慎重に再現していた。 硝石を水に溶かし、不純物を取り除く。 硫黄と木炭を、別々に砕く。 (……一緒に砕けば、この地下室ごと吹っ飛ぶ)


マルクスは、俺がまるで薬師(くすし)か錬金術師(れんきんじゅつし)のように、黙々と粉末を精製し、調合していく姿を、息を詰めて見守っていた。


一時間後。 俺の手には、一握(ひとにぎ)りの、きめ細かく均一な「黒い粉末」が完成していた。


「……マルクス。外に出るぞ」 俺は、その粉末をほんの一つまみ、指先に取り、集落から少し離れた岩陰に置いた。 マルクスが、怪訝(けげん)な顔で見つめている。 俺は、火のついた松明(たいまつ)の先を、その粉末に近づけた。


次の瞬間。


――カッ!!!!


マルクスの目の前で、轟音(ごうおん)と閃光(せんこう)が爆ぜた。 戦闘の時のような「燃焼」ではない。 空気を震わせ、地面を揺るΓす、明らかに「異質」な力の奔流(ほんりゅう)。 マルクスは、驚きのあまり尻餅(しりもち)をついた。


「……な……」 彼は、自分の指先を見た。黒い粉末が置かれていた岩は、わずかに黒く焦げ、煙が上がっている。 「……なんなんだ、今のは……!?」


「これが、俺の『切り札』だ」 俺は、残りの火薬が入った革袋を、マルクスの前に差し出した。 「だが、マルクス。これだけでは、ヴァーグは倒せない」


「……どういう、意味だ?」 「これは、ただ『燃える』だけだ。この『力』を、ヴァーグに叩きつけるための『器(うつわ)』が、俺たちにはない」


俺は、マルクスの目をまっすぐに見据えた。 「あんたがた王国軍は、『大砲(たいほう)』というものを見たことがあるか?」 「……!?」


「火薬」という名の悪魔の力を手に入れた悪役貴族は、ついに、この世界の軍事バランスそのものを破壊する「兵器」の製造へと、思考を巡らせていた。

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