白銀の暴威

 ── 出灰いずりはイロハ視点 ──


 ​「渡瀬さんには七不思議調査の名目で聖杖を探していただきます」


 ​リオナ様が、また新しい暇潰しを思い付いたようだ。


 ​今日は珍しく、風紀委員会顧問の松根教諭も生徒会室に顔を出している。彼の話によれば、学園には『折れない地下室の棒』という古い噂話が存在し、その正体こそが失われた聖杖『マテリア・フラクタ』であるという。


 ​渡瀬くんにその噂の真偽を調査させ、聖杖の行方に繋がる手がかりを掴む。それがリオナ様の意図のようだが、その噂は何十年も前の古い記憶に過ぎない。二年前の転移現象で失われた聖杖の在処に、学内捜索だけで辿り着けるわけがないのだ。


 ​これは渡瀬くんに七不思議の調査を許可する代わりに思いついた、単なる「お遊び」。私はそう思っていた。


 ​しかし、事態は私の常識を嘲笑うように動き出した。


 ​渡瀬くんの調査に同行した私たちは、ついに聖杖の核心へと繋がる手がかりを突き止めた。特定の教室の汚れた窓から初代学園長の銅像を眺めたときのみ、その手に『杖』が浮かび上がるというものだ。


 ​その日のうちに、私はブリュヌこと榛摺はりずりマユを連れて鏡界側の銅像を確認しに向かった。


「ブリュヌ、どう?」


「うーん……反応はないですね」


 ​聖杖の在り処の目星はついた。だが、見えるだけだ。マテリア・フラクタの実体は、いまだに私たちの前から姿を隠し続けていた。


 ​翌日、渡瀬くんに七不思議調査の打ち切りが告げられた。


 表向きの理由は、使用していた空き教室が体育祭の都合で使えなくなったというもの。だが、実際は安全上の懸念だ。これ以上の調査は「鏡界」という異質な領域に踏み込まざるを得ない。一般人の彼には、あまりに荷が重すぎる。


 ​リオナ様も、彼をこれ以上深追いさせるつもりはないようだった。


「えっ、休止ですか?  やっと二つの謎が繋がったのに……」


 ​私の目の前で、渡瀬くんは納得がいかない様子で唇を噛んでいる。その食い下がるような視線に、私はわずかな胸騒ぎを覚えた。


 ​その日の夜。

 懸念は現実となり、渡瀬くんが学園へ向かったまま行方不明になったという報告が届く。


 ​あの諦めの悪い少年だ、独りで禁域に踏み込んだのは疑いようもなかった。私はすぐにマユを伴い、夜の校舎へと急行した。


 私たちは渡瀬くんを追跡していたイオリと合流し、彼が先週、侵入に使った裏門で待ち受けた。だが、どれだけ時間を費やしても、彼が姿を現す予兆はない。


「おかしいですね。何も視えません」


 マユが羅針盤を握りしめ、周囲の空間を慎重に探り始める。


「出灰先輩!モニター室へ来てください!」


 監視カメラの映像をチェックしていたイオリからの呼びかけに応じて、モニター室へ移動した。


「これは榛摺先輩が探知魔法を行使した時の映像です」


 イオリが指し示したのは、誰もいないはずの裏門を映すハードディスクの記録映像だった。


 ​マユが画面を覗き込み、怪訝そうに眉を寄せる。

 ​映像が叩きつけられたような激しいノイズで乱れていた。


「……魔力の干渉が可視化されてる?」


「光学レンズに魔力が記録されるはずありません」


 ​イオリが切り捨てた。その通りだ。防犯カメラはあくまで光学的現象を記録する機械に過ぎない。魔力そのものを捉える術はないはずだ。


「じゃあ、このカメラはなに……?」


「もう一度、探知を行ってみます」


 マユの羅針盤が光を帯びて回転する。


 《アストラル・ファインダー》


 羅針盤が光を発した瞬間、全てのモニターにノイズが走った。


 マユの顔から血の気が引く。


「この映像は偽物です。いや、この空間自体が偽物です」


「探知が効かないんじゃなくて、この空間そのものが偽物ってこと……?」


 私は鳥肌が立つのを感じた。

 映像が乱れているのではない。カメラが捉えている「現実」そのものが、何者かの手によって書き換えられ、私たちの認識を阻害しているのだ。

 ​

 私たちは、すでに罠の中にいた。もはや一刻の猶予もない。


「聖女の器を顕現する」


 私の号令に、二人が頷く。


 指先に触れる冷たい感触。私はポケットから白銀の魔導符を取り出した。


「──私の名はグリーズ……」


「──ブリュヌ」


「──我が器の名はノワール」


 ​三人の風紀委員の姿が、夜の闇に映える純白のケープを羽織った戦闘装束へと塗り替えられていく。


 私達はモニター室を飛び出し、夜風を切り裂きながら校門近くの銅像の前に急行する。


「ブリュヌ、結界を解く……ノワールを守って」


「えっ、でも、結界の解析はまだ──」


「必要ない」


 ​​私は遮るように言い捨て、右手を虚空へと突き出した。

 ​ 

 わずかに指先が震えている。武者震いなどではない。内に秘めた、自分でも制御しきれない「暴力」への本能的な拒絶だ。


 ​私は元来、魔力制御ができない。私にとっての魔力とは、繊細に編み上げる技術ではなく、ただ底の抜けた器から溢れ出す破壊の奔流だ。リオナ様から与えられた魔導符という「栓」がなければ、私は今頃、自分自身をも焼き焦がしていただろう。


 ​一度放てば、加減などできない。だが、迷っている暇はなかった。あの諦めの悪い少年が、今この瞬間も死地を彷徨っているかもしれない。


 私は奥歯を噛み締め、自己嫌悪ごと魔力を引き絞る。


「闇の帳を穿つ、遥かなる純潔の輝きよ──」


 一節。

 ​大気が、私の魔力に怯えるように鳴動を始めた。


「全ての呪いを洗い流し、世界に真の解放を呼び起こせ──」


 ​二節。

 夜の闇が、私の周囲だけ不自然なほど濃くなった。

 ​私はただ、偽りの夜を見据えて囁く。


「──イノセント・カタルシス」


 ​本来であれば、邪気を浄化し、真の姿を露わにする魔法だ。しかし、私の魔力が介在すれば、それは慈愛の光などではなくなる。

 言葉の終わりと共に、私の指先から白銀の暴威が吹き荒れた。


 ​それは「解呪」や「解析」といった生温い干渉ではない。世界を覆う欺瞞を、質量を持った魔力で物理的に叩き潰す、祈りという名の暴力。


 制御を放棄した私の魔力は、結界だけでなく周囲の大気さえも圧壊させ、衝撃波が校舎の窓を悲鳴のような音で震わせた。


 やがて、鼓膜を震わせる轟音と共に、偽りの夜がガラス細工のように粉々に砕け散った。


「すごい、これがグリーズ先輩の魔力……」


「先輩、例の教室から異常な魔力反応です!」


 ​ブリュヌの叫びが、まだ耳鳴りの残る頭に響く。


 聖杖が見える場所と異常な魔力反応、この二つから導き出される答えはただ一人、『フラマ・ルイナルム』しかいなかった。

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